第2話


「俺の名前は、橋下千尋。一人暮らししていること以外は、どこにでもいるような高校一年生だ。そして彼女の名前は矢野美也子(あだ名はヤヤ子)、中二の時に同じ班になったことがきっかけで親しくなった美少女だ。女っ気がなくて地味で陰キャな俺に接してくれる彼女は、神のような存在だと日々思っている」


 早朝の教室。机に頬杖ついて窓の外を眺めていると、前の席で椅子を反対向きに座ったヤヤ子がアテレコしてきた。

 教室には俺たちの他に誰もいない。それも当然で、今は朝7時10分。

 じゃあ何故こんな時間に登校しているのかというと、昨日、カラオケから帰った俺たちはまだ遊び足りず、明け方までオンラインのゲームをしたせいだ。眠って起きれないことを恐れて、二人して開門と同時に登校したわけである。


「ヤヤ子とは本当に仲がいい。最初はグループで遊んでいたが、中学三年のころから二人でも遊ぶようになり、高校に上がってついには一線を越えさせてもらった。彼女がいなければ俺は一生童貞のままだったろう。日に日に彼女への感謝の思いは募り、いつか大金で報いたいと思う」

「全然、そんなこと思ってない」


 そう言うと、ヤヤ子は笑った。


「えー、でも、ほとんど同じでしょ」

「ヤヤ子を神のような存在だと日々思ってないし、一生童貞のままだったと思ってないし、感謝の思いが募って大金で報いたいなんて全く思ってない」

「じゃあ、私を美少女だとは思ってるんだ、いやん」

「美少女かは知らないけど、俺はかなり可愛い方だと思う」


 ヤヤ子の頬が赤くなって、むず痒い甘い空気が訪れる。


「え、ちょ、あー、それは普通に照れるわ」


 ここでキモいとか言って冗談にならない俺たちは、セフレでも友達でもないのだろう。

 だけどここで恋人にならないのは、冗談を言うチャンスだと思ってしまうからだろう。


「私は、ヤヤ子。茶髪のショートボブが似合う、柔らかな明るさの雰囲気の女の子。顔はアイドルグループにいそうな感じで、綺麗と可愛いの中間から少し可愛いより」

「ばっか、やめろぉ」

「女の子って感じに華奢だけど、肉付きはちょうど良くてどこ触っても柔らかい。胸は着痩せするタイプ。Dカップのおっぱいは柔らかいのに形が綺麗で……」

「はい、変態。きもい、きもい」


 そんなこと言うヤヤ子だけど、ちょっと嬉しそうに笑っていた。

 ここでセクハラで訴えられないことに、ドン引かれないことに、空気が悪くならないようにそうしたわけでもないことに、俺たちの関係って何だろうという疑問が深まる。


「俺は千尋、変態である。おまけに、口だけでイってしまう早漏である」

「学校で何言い出すんだ、この痴女は。あと早漏じゃない」

「えーでも、ネットで書いてあったよ。口でイく男は早漏だって」

「私、ヤヤ子。胸で感じてしまうエロい女である」

「や、エロくないし」

「えーでも、ネットで書いてあったよ。胸では感じないって」

「……え、マジ?」


 頷くと、しばらくの間があって、ヤヤ子は言った。


「いや、感じてないけどね」

「本当?」

「本当よ。触ってたしかめてみるがいい」


 ヤヤ子が身を乗り出してきたので遠慮なく触る。

 服越しでもたしかに幸せな柔らかさを感じ、ヤヤ子から「んっ」と嬌声が漏れた時だった。


 教室の扉がガラガラと開く。


 反射的に離れた俺たちだけど、きわどいタイミングだったので、入ってきた人に目を向ける。

 涼やかな瞳。整ったという表現以外は無粋なくらい綺麗な顔立ち。ショートカットにしては長めの黒髪。背後にキラキラが見えそうなほど爽やかでクールな雰囲気の美少女。

 教室に入ってきたのは、カーストトップのクール系美少女、楓川涼葉だった。


「ん?」


 楓川は、目を向け続ける俺たちに、何かあった? というふうに短い声を出した。


「あ、ああ〜、何でもないよ、涼葉。ごめんね〜」

「そっか」


 そう言うと楓川は自分の席について、うつ伏せになった。

 俺たちは視線をもどし、声を潜めて話す。


「よ、よかったぁ〜」

「本当によかった」

「涼葉、一軍女子だし、あんな感じで嘘つかないって信頼あるから、見られて話題にでも出されたら私ら死んでたよ」

「だね。まじでやばかった……」


 危機だったことを再確認し、お互いに無言になったが、すーすー、と楓川の寝息が聞こえ始めると、緊張から解放された。


「寝てるみたい」

「寝てるな」


 二人顔を合わせると、潜めた声が少し大きくなる。


「いやびっくりした。まさか、涼葉がこんな早く学校に来るなんてね」

「楓川、バスケ部だったよね? 朝練ある日と間違えてきたとか?」

「ないでしょ、流石に。あの、涼葉だよ?」


 ヤヤ子は、まさかぁ〜とおばちゃんみたいな手招きして続ける。


「クール系の極みで女子の憧れ。一軍グループでも冷静なツッコミ役。そんな格好いい涼葉が、ポンなことしないって〜」

「厄介ファンみたいなこと言うなぁ」

「そらそうよ、厄介じゃないけど、ファンだもの。なったきっかけ聞きたい?」

「や、別に」


 そう言ったにも関わらず、ヤヤ子は嬉しそうに続けた。


「入学してすぐの時にね、用事があって、楓川さん、って呼んだんだ。そしたら何て言ってきたと思う?」

「わからないけど」

「呼びにくそうだし、涼葉でいいよ。って! ほぼ初対面の私にそれだよ? カッコ良すぎない?」

「ちょろすぎない?」

「あははは、二軍女子は一軍女子には大抵ちょろいものなのだよ。でもさ、自分が言われた時を想像してみてよ」


 ヤヤ子に言われて、想像してみる。


 脳内で、クール系美少女の楓川が何でもないように言う。

『呼びにくそうだし、涼葉でいいよ』

 胸がどきりとして、もどかしくなった。


「……たしかに、良いかも」

「陰キャ、ちょろいなぁ」

「そうかもだけど、楓川相手じゃ誰でもちょろくなるだろ」

「だね。顔は抜群にいいし、スタイルだって完璧。街歩けば、すぐにスカウトされちゃうらしいよ。千尋には高嶺の花すぎるね」

「否定したいけど、否定できないなぁ。付き合うどころか、一生関わらないような気もする」

「わかる、あはは! あ、そ言えばさ……」


 それからも授業が始まるまで、くだらない会話を続けた。


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