第1話


 熱気と甘い香りでむわっとする部屋の中、俺はベッドに座り、ペットボトルに口をつけてごくごくと喉を鳴らす。


「私にも頂戴」


 隣に座るヤヤ子は、衣類を何も身につけていないのにもかかわらず、無防備に腕を伸ばしてきた。


「ほいさ」

「えいさ、と」


 ペットボトルを渡すとヤヤ子は、同じく口をつけてこくこくと喉を鳴らした。

 ヤヤ子も暑かったのだろう。細くもなく、太ってるでもない、女の子って感じの身体は火照り、汗でぬるぬると光っている。

 温度を気にする余裕がなくなるのは目に見えていたので、最初に空調をいじっておけば良かったかもしれない。


「あぁ、おいしー……って、そんなじろじろ見んな〜変態」

「やー、帰宅部の体してんな〜って」

「それが好きなくせに〜、散々抱いたくせに〜」

「うん、好き。ヤヤ子以外を知らないから、比べられないけど」

「私はもっとマッチョがいいなぁ〜」


 軽口を叩き合う俺たちに、甘いピロートークの空気はなかった。


「てかさ、どうしてこんなことになってんだっけ?」

「たしかさ、カラオケの予約が18時だから、それまでどうする? って話になって」


 そう言うと、ヤヤ子は俺の口調を真似してくる。


「お昼食べたし、運動したいねって話になって」

「お、こんなところにホテルがあるって話になって」

「じゃあセックスしとくかぁ、って私が言って」

「そうしましょう、って俺が言って今に至るわけだ」

「ねえさ、酷くない?」

「酷い。けど、いつもこんな感じじゃない?」


 高校に上がってすぐのこと、冗談口調のセックスしてみませんか、という誘いに、してみますか、とホテルに入ったのが初体験。それ以来、どちらか、もしくは両者が気が向いた時、軽く始まるのが常だった。


 ヤヤ子は「それもそうだね」とカラカラと笑って、「ねえ」と尋ねてきた。


「こんな感じでヤっちゃう関係ってさ、何だろうね?」

「セフレ?」


 ヤヤ子はう〜んと唸る。


「それは何か違うんだよなぁ〜」

「俺もそう思う。ヤヤ子に彼氏とか好きな人ができたら、やだなぁ〜って思うし」

「私も、千尋に彼女とかやだなぁ〜って思うから、セフレほど冷めてはないんだよね〜」


 でも、と俺は言う。


「恋人かって言われたら違うよなぁ。寝落ち電話したいとか、イチャイチャしたいとか、好きで胸が苦しいとか、恋人になりたいって一切思わないし」

「うん、それ。一切そういう感情を抱かないか、って聞かれたらそんなことないし、好きな人ができたら嫌だな、とかは思うけど、じゃあ私が恋人になります、っていうのも違うんだよね。普通に応援できちゃうと思うし」


 恋人らしい重さなんかは感じないし、恋人と言うには何か違う感が強い。かといって、セフレのようにセックスするだけの関係と冷め切っているわけでもなく、ヤヤ子とはシなくても遊ぶしよく話す。


「じゃあ、友達とか親友とか?」

「うーん、それよりは好きだしなぁ〜。そもそも、そう思ってたらセックスしないしなぁ〜」

「だなぁ。でも遊ぶのは、仲良い男みたいに楽しいよ」

「それもそうなんだよね……」


 少し二人して唸ったのち、ヤヤ子は「まっいっか、何でも」と笑った。


「千尋といるのは居心地がいいのは変わらないから、どうでもいいか」

「うん、何でもいいよ……あ」


 スマホからアラーム音が鳴って、短い声をあげる。すると、ヤヤ子はこうしてはいられない、と立ち上がった。


「時間だぁ、急げ、千尋! シャワー浴びるぞ!」

「だね、浴びてカラオケ行こう」

「へへっ、私の美声を聞かせてやるから覚悟しな」

「美声に無慈悲に下される60点を見に行きますか」

「そんな酷くないし。千尋も上手くないじゃん」

「いや多分上手い。機械が悪いだけ」

「よし、じゃあ勝負だ。私に勝てると思うなよ? あ、全裸でかっこいいこと言うの気持ちいい」

「ちょっとわかるかも」


 お互い裸のまま、そんな言葉を交わして笑い合う。


 セフレと言うには熱すぎて、親友と言うには甘すぎて、恋人と言うには軽すぎる関係。


 そんな名前のない関係は、淘汰されるからこそ名がないのだ、と知る由もなかった。



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