第71話 王 VS 勇者 ⑦〈side:勇者〉


 何も考えられない。

 身体に力が入らない。

 イリスとアリアが、何やら相談しているようだ。耳に、頭に入らない。


 アリアが姫を押しのけ、俺に近づいてきた。手には魔法で編んだらしいロープが握られている。

 なるほど、それで俺を縛り付けて、さらし者にするのか。

 この俺を。

 惨めに、笑いものにするのか。

 いいぜ、やってみろよ。

 やれるもんなら、やってみろよ。さあ、クソッタレな正義の味方サンよ!


 アリアが立ち止まった。怯んだように、呻く。


「あんた……この期に及んでなんて顔してんのよ」

「くくく……」

「抜け殻か、気が触れたか……皆が来るまで、そこで大人しくしてもらうわ」


 そのときだった。

 轟音が響いて、建物全体が大きく揺れた。

 パラパラと砂埃が頬に落ちてくる。


 直後、天井の一部が崩落してきた。

 俺と、イリスたちの間に落下する。

 あいつらの慌てた声が聞こえてきた。


「この振動と気配……! 外のリビングアーマーたちが攻撃してきた!?」

「アリアッ、まだ彼が!」

「あんたの安全の方が優先! 急いで離脱するの! 早く!」


 次々と落ちてくる瓦礫の合間から、イリスとアリアが走って行く後ろ姿が見えた。

 はは、見ろよ。尻尾巻いて逃げていくぜ。

 所詮、てめえらはその程度なんだよ。

 俺様から逃げていく程度の、取るに足らない小物たち。

 俺が気にかけるほどもない、いなくなっても問題ない奴ら。

 そうだよ。そうに違いない。そうでなければならない。


 ――振動が収まった。

 同時に崩落も一段落する。


 俺は身体を起こした。

 城への攻撃とやらは、ごく一部に留まったようだ。綺麗だった城内は見る影もないが、生き埋めになるほどひどくはない。


 笑おうとして、咳き込んだ。砂埃で喉がやられた。ちくしょう。

 涙が止まらねえのも、砂埃のせいだ。


 ……身体がおめぇ。

 足を引きずるように、俺は階段を上った。イリスやアリアが逃げていった方向に歩く。なぜそうしようと思ったのかはわからない。奴らを追いかけて何になるというのか。


 やがて、巨大な扉の前にたどり着く。

 ここは謁見の間だ。

 半開きになった扉の奥に、大きな広間と玉座がある。

 俺は吸い寄せられるように、謁見の間へと入った。


 振動で割れたガラスが散乱し、燭台もいくつか倒れている。被害はその程度だ。

 玉座へ続く赤絨毯はそのまま。

 この国の最高権力の象徴に、まっすぐ、まっすぐ絨毯は続く。


 俺はその上を歩きながら、思い出していた。

 勇者として仲間を引き連れ、国王に謁見を果たしたときのこと。

 勇者として正式に認められたときのこと。

 居並んだ高官たちから拍手を送られたこと。

 思い出すだけで、背筋がゾクゾクした。目を閉じ、当時の高揚感を噛みしめる。


 そして、目を開けた。


 誰もいない。

 散らかった謁見の間には誰もいない。

 玉座に王の姿はない。王妃の姿も、姫の姿もない。

 居並んだ高官たちもいない。

 俺に向けられた万雷の拍手も、王からの言葉も、ない。

 城を襲った振動も、今は収まっている。


 ここは――恐ろしいほど静かだった。

 そこに、たったひとり、俺は立っている。


 首が凍ったように動かない。周りを見渡して状況を確認するのが怖かった。

 玉座に向かって歩く。

 ひとりが恐ろしくて、この広い空間に満ちた沈黙が耐えられなくて、俺はわざと足音が出るように強く一歩一歩を踏みしめた。毛深い絨毯は足音を吸収するから、それでもなお音が響くように、強く、強く。

 絨毯に全ての恨みと怒りをぶつけるように、強く踏んだ。

 まるで腹を殴られたときのような鈍い音がした。

 音がしたら少しは気が紛れるかと思ったが、全然だった。むしろ逆だった。

 息が詰まるほど、苦しい。怖い。


 気がつくと、俺は玉座の前に立っていた。

 王が座るに相応しい、見た目と快適さを兼ね備えた逸品。おそらく、ルマトゥーラ王国で唯一無二のもの。

 たったひとつだけの椅子。

 この椅子に座ることを夢見たこともあった。現国王には似合わねえと、内心で嘲っていた日々もあった。


 今、なぜか強く思う。

 この椅子に腰掛けたら、もう戻れない――と。


 心のどこかで、「今すぐ引き返せ。ゼロからやり直せ」と誰かが言った。

 俺は無視した。誰かに従うなんてまっぴらごめんだった。理屈や正解不正解なんてどうでもよかった。

 冷水に飛び込むように、玉座に座る。

 大きく息を吐き、玉座からの光景を噛みしめる。


 超絶に、後悔した。


 誰もいない。

 何もない。

 椅子はここだけ。

 力もない。

 失った。

 俺にはもう何もない。


「はは……っ、ふっぐぅ……ぶはっはは……うう……」


 生まれて初めて、笑いながら泣いた。

 今まで、目を背けてきた現実を意識してしまったのだ。


 俺は、孤独なのだ。

 たったひとりになったのだ、と。

 王様は孤独。その王様の象徴が玉座。

 ここに座ることを本能が嫌がった理由が、今わかった。

 なにもかも遅かった。


「ふふ……ははははっ、あっはははは!」


 ――死ぬ。

 このままじゃ、俺は孤独に殺される。

 だけどもう、身体が動かねえ。


 玉座で狂ったように笑いながら、泣きながら、干からびた姿をさらすなんて、我慢ならない。

 特にあいつには――ラクター・パディントンに見られるくらいなら。

 ああちくしょう。笑いが止まらねえ。なのに吐くほど静かだ。苦しい。


 死ぬ。

 きっとこのまま無様に死ぬ。

 嫌だ。それだけは嫌だ。


 また、轟音が響いた。


 俺は顔を上げる。

 真正面。入り口近くの天井が、でかい拳によってブチ抜かれていた。


 そこから覗く影。

 影そっくりな、黒く染まったリビングアーマー。

 身体に取り込んだ勇者装備は、もはや跡形もない。

 その姿は、魔王と言ってもいいくらいで――。


「はは」


 どうせ死ぬのなら。

 孤独に押しつぶされるのなら。

 ありったけの声で叫んでやろう。


「スカル・フェイスはここだ……ここに、いるぞ!」


 孤独の恐怖を振り払って、俺をこんな目に遭わせたすべてのモノをぶっ壊せるのなら。

 俺は、魔王にだってなってやろう。

 湧き上がる興奮とともに、俺の全身から黒い魔力が噴き出した。


 全部――てめぇらが悪い!



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