第70話 王 VS 勇者 ⑥〈side:勇者〉


 今、姫はなんて言った?

『私はあなたを勇者と認めない』……だと?


 思わず俺は、吹き出してしまった。

 すぐに笑いは収まると思っていたのに、腹の底から次々と衝動が湧いてきて、引きつった声を抑えられない。


「……いや、失礼。失礼しました」


 ようやく落ち着いたので、一応、謝る。

 イリス姫の顔を見て、言う。


「しかし姫。ご冗談が過ぎますよ。俺が勇者でないとは、そんな」

「……」

「この俺を勇者と認めたのはあんたらだろうがッ!!」


 怒声が出た。

 広い城内を震わせるほどの大音声だった。


 そうか、さっきまで腹の底から湧き上がっていたのは笑いの衝動じゃない。

 怒りだ。


「勇者が勇者らしく助けてやろうって言って、何が悪い! 俺を勇者と呼んだのはお前たち、だったら大人しく助けられろ! そして俺を勇者と呼べ! 呼べよ!」


 ぶちまけた。

 俺自身でも驚くほど、次々と言葉が出てくる。

 だがおかげで、自分の苛立ちの原因を理解できた。


 要するに――ムシが良すぎるのだ。


 貴様らで持ち上げておいて、今更落とす? 冗談じゃない。

 俺を勇者と認めたからには、お前たちは俺を勇者としてあがめる義務がある。

 崇める対象を、つまり俺を不愉快にさせる行為は何人たりとも許されない。

 そうだろ?


「そうだろ……? ええ? イリス・シス・ルマトゥーラさんよ!」


 イリス姫は答えない。

 どこか悲痛さを感じさせる表情で目を閉じている。


 そこで今更ながら、気づいた。

 姫の格好、いつものドレス姿ではない。シスター服。いや……かつてエリスの奴が着ていたような、聖女の衣装。

 苛立ちが、少し収まった。


「ではこうしましょう、姫」


 立ち上がり、手を差し伸べる。


「あなたが聖女として俺に仕えるのなら、今までの非礼を水に流しましょう」

「……」

「その格好、聖女としての儀式を受けられたのでしょう? だったら聖女と名乗って問題ない。俺のパーティに加わるべきだ。それならば俺も納得する」

「……」

「さあ、答えはいかに? 黙ってないで答えろよ、ええ? 新しい聖女サマ――」


 直後、俺の目の前で黒い炎が弾けた。

 衝撃でよろめく。

 魔法の出所を探り、辺りを見回す。すると「こっちよ」と声がした。

 イリスの少し後ろに、女がひとり立っていた。顔に醜い染みが残っている。


「てめえ、アリアか!」

「久しぶり……って言葉もかけたくないわ、今のあんたには」


 心底軽蔑した――という表情と声で元大賢者が言う。

 俺は苛立ちを抑え込んだ。


「ふん。尻尾巻いて逃げ出した落ちこぼれが言ってくれる。だがまあ、さっきの魔法はなかなかだった。大賢者としての力を取り戻したみたいだな。結構。特別にお前も俺のパーティに復帰させてやらんこともない。どうだ」

「……あんたさ。気づいてなかったよね。私がここにいて、魔法を放ったこと」


 俺は眉をひそめる。

 アリアはゆっくりと歩いて、イリスの隣に並んだ。


「聖女になったイリス・シス・ルマトゥーラの放つオーラは本物よ。で、私も全盛期よりは力を落としたとはいえ、魔力量には自信がある」

「何が言いたい?」

「イリスの格好からでしか聖女の気配に気づけない。魔法が着弾したあとも遣い手の存在に気づけない。スカル、あんたさ。どうしようもなく。鈍ってんの。まるで穴の空いたバケツみたいにさ、力を使うだけ使って、二度と溜まることがないわけ」


 アリアの視線が俺を貫く。

 やめろ。そんな目で俺を見るな。

 そんな、弱者を見下ろすような目で見るな。


「そんな奴に、勇者なんて称号、相応しいと思う?」

「ふざけんなっ!」

「ふざけてるのはどっちよ。あんた、頭が回ってないから教えてあげるけどさ。勇者として認めるのが王家なら、勇者を罷免するのも王家の役割なんだよ。当たり前でしょ?」

「罷免? 誰が? 誰を?」

「だから――」


 苛立ったような顔で言い募ろうとするアリアを、隣の聖女がやんわりと止めた。


「ありがとう、アリアさん。後は私が」

「イリス……」

「だいじょうぶ。もう私は、ひとりではありませんから」


 前に進み出てくる。


 階段の踊り場から静かに見下ろしてくるイリス。

 階段下から見上げる俺の目には、イリスとともに、背後にかけられた巨大な王家のタペストリーが映る。


 王族でありながら、聖女。

 その圧倒的な存在感を目の当たりにして――俺は不覚にも、息を呑んだ。


 彼女は口を開いた。


「スカル・フェイス。あなたは勇者の地位にありながら、我が国に大きな混乱をもたらしました。私はこの目で、この耳で、あなたの凶状に触れています。断じて、許すわけにはいきません」


 違う、と叫びたかったが、イリスの迫力に押されて声が出せない。

 まるで走馬灯のように、思い出す。

 かつてエリスの奴が偉そうに自慢していた。


『聖女の前では、悪は足掻く力をも失う。ただひれ伏し自らの罪を認めるのみ』――と。


 ふざけんな。ふざけんなよ。

 身体が動かないのは、震えが止まらないのは、俺が悪だからっつーのかよ。

 ふざけんな……。


「イリス・シス・ルマトゥーラの名において命じます。スカル・フェイス、たった今をもって、勇者としての称号を剥奪します」

「……、……!」

「聖剣を、渡しなさい」


 ふざけんなよ……。

 動け。動けよ俺の身体。否定しろ。否定しろよ俺の声。

 聖剣を持つ手が勝手に動く。

 イリスに差し出すように、恭しく。


 ふざっけんな!

 俺の全部をっ、否定されてたまるかっ!!


「うおおおおおおおっ!!」

「ダメ、イリス!」


 ありったけの力を込めて、跳躍する。

 聖剣を、俺の武器を振り上げ、頭上からイリスを狙う。

 アリアが庇おうと動くが、それすらイリスは拒んだ。

 真正面から俺を見返す。


 ……もう何がどうなってもいい。どうとでもなれ。

 ただ今は、この不愉快な存在を視界から永遠に排除しなければ収まらな――。



 ――甲高い音が、した。



 振り下ろした聖剣は、イリスに届く前に、粉微塵に砕け散った。

 くすんだ金属片が、俺の視界をゆっくりと、やたらにゆっくりと通り過ぎていく。

 全身から力が抜けた。

 直後にアリアの魔法で吹き飛ばされた俺は、階段隅でうずくまった。


 どのくらい、そうしていただろう。


「あなたがラクター・パディントンを追放した日のことを、覚えていますか?」


 聖女であり姫でもあるイリスが、静かに問いかけてきた。


「私は彼に、あなたへの手紙を託しました。簡単な暗号を沿えて。暗号には、こう記しました。『この暗号に気付けたのなら、それはラクター・パディントンのおかげです。もっと彼を大事にしてあげてください』と」


 しかしあなたは気付かなかった、と姫は言った。


「あなたに人を気遣う心があったなら、一生懸命頑張っている誰かに目を向けることができていたなら。あなたも、私も、今、このようになってはいないでしょうね」


 動けない。

 言葉が頭を素通りしていく。なにも考えられない。

 ただひとつだけ、否定しようとしても否定できないことがあった。


「さようなら、スカル・フェイス」


 俺は――失ったのだ、と。



 

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