第17話 楽園に集う者たち


 それから俺たちは、レオンさんが待つ新拠点に向かった。

 イリス姫も一緒である。


 途中、彼女はやたら気合いの入った表情で提案した。


「ラクターさん。こうして連絡を取り合う仲になったのですから、どうか私のことはイリスと呼んでください」

「うーん……」


 難色を示すと、途端にイリス姫の表情が曇った。


 一国の姫君相手にタメ口をきいている以上、もう十分に無礼を働いている。今更呼び捨てにしてもたいした違いはない――そう思ったが。


「申し訳ない。やっぱり姫は姫だ。そこは一線、引かせて欲しい」

「え……そ、そう、ですか」


 そこまでがっかりすることか、と思うほど落ち込むイリス姫。

 だから俺は、できるだけ言葉を尽くした。


「姫が嫌いだとか、苦手だとか、そんなことはない。断じて。君は王族として、ひとりの人間として、すごく立派で尊敬できる女の子だと思っている」

「う……!」

「だが同時に、ルマトゥーラ王国の姫であることも君が君でいる証だと思う。俺はそこをないがしろにはできないな」

『こういうのを、人間社会ではクソ真面目と表現するのでしょうか』


 うるさいよ人間かぶれの女神様が。


『お願いですから、私のことは引き続きアルマディアとお呼びください。私は女神ですが』


 ……実は怒っているのか? お前。


 ちらりと姫を見る。

 彼女の方は怒っているのかどうかわからなかった。――というより、表情が複雑すぎて俺ごときでは判断できない。それ、どんな感情?

 頬をかく。とりあえず、言いたいことは言い切るつもりだった。


「それと、これが一番大きな理由だけど……今更、姫と呼ばないのは、こう――逆にしっくりこないんだよ。

「へぅ……!?」

「イリス姫?」

「あ、そう、なんです、ね。えへ、あは、ははは。それなら仕方ない、です、よね。へへへ」


 一国の姫君がへへへなんて笑うもんなのか。


 その後もイリス姫はしゃっくりのような不自然な声を出し続けた。さすがに俺でなくても心配になったのか、リーニャが姫の熱を測るようにおでこに手を当てる。

 神獣少女はキリリとした顔で報告した。


「いい感じにふやけて食べ頃。しょくしていい? 主様」

「いいわけあるか。ぜったい駄目」


 わかりやすくリーニャは落ち込んだ。めんどくさい。


 ――そうこうしているうちに、レオンさんの新拠点に到着した。


 ちょうど建物の中からレオンさんが出てくるところだった。彼の隣で小さな女の子がしがみついている。あの子が娘さんか。


「ただいま戻りましたよ。アン」


 イリス姫が優しく語りかけると、女の子は喜色を浮かべて「ひめさま!」と走ってきた。仲良く手を握り合う様は、年の離れた姉妹のようだ。良い。


 アンが俺に気づく。

 俺はしゃがんで彼女と目線を合わせ、微笑んだ。


「はじめまして。俺はラクター・パディントン。君のお父さんのお友達だ」

「ラクター……おにいちゃん」


 うーん、お兄ちゃんか。

 確かに今は十九歳の青年だけど、転生前はアラサーのおっさんだったからなあ。生きた年数合計したらアラフィフ五十代手前だし。


「じゃあ今度は、君の名前を教えてくれ」

「えっと、アン・シオナードだよ」

「何歳?」

「六歳!」

「そっか。お父さんとの旅は楽しかったか? 樹がいっぱいあって驚いただろ」

「うん! はじめてみるところで、すごいきれい! あ、でもあんまり動いたらお父さんがしんぱいするから、アン、おとなしくしてたよ」

「そうか。偉いな、アンは」


 他愛のない話を続けるうち、いつの間にか俺は『高い高い』でアンとたわむれていた。

 なんか思い出すなあ。昔、アイツ幼馴染の妹をこんな風にあやしてたっけ。


「ラクターさん、すっかりアンに懐かれましたね」


 イリス姫が穏やかに笑っている。


 一方、リーニャは二歩ほど距離を取って俺たちをじーっと見つめている。尻尾を身体の前で抱きかかえているのは、あれは防御姿勢だろうか。さっきアンに引っ張られてたからな。そういや、心なしか獣耳もペタンと閉じている。


「リーニャ……その子ちょっと苦手。声が響く……」

「おにいちゃん、おにいちゃん。わんわんリーニャ!」

「リーニャはわんわんではない! ……これは強敵。このままではリーニャ、主様にくっつけない。匂いを嗅げない」


 つぶやく神獣少女を、イリス姫が衝撃の表情で見ていた。「リーニャさん、詳しく」と聞きに行っていた。いや何を。


 ――ひとしきり騒いだ後、俺たちは建物の中に入った。

 王都から持ち込んだ荷物のおかげか、がらんとしていた室内の印象はだいぶ変わっていた。


「散らかっていて申し訳ない……」

「いや、まあ俺は気にしないよ」


 部屋の隅に乱雑に積まれた諸々を見て、片付けが苦手なんだろうなと思った。少々、親近感が湧く。

 今後は、レオンさんとアンのふたりで暮らしていくらしい。母親はしばらく前に他界してしまったそうだ。


「おにいちゃんも、いっしょにここで暮らそうよ!」


 アンがずいぶん熱心に誘ってくれたが、俺はやんわりと断った。寝床は別にある。リーニャがむくれそうだし。

 その代わり、ちょくちょく遊びに来るからと約束して、しぶしぶ納得してもらった。


「ラクター君。おかげさまで娘にとって良い環境を整えることができました。僕はここで研究を続けます。改めて、ありがとうございます」

「シオナード研究所のめでたい門出、って奴かな。応援してるよ」


 握手を交わす。

 イリス姫も手を差し出す。


「私も力になります。ここまで送ってくださったのですから。何かあれば、声をかけてください」

「畏れ多いことでございます」


 恐縮しきりで、レオンさんは姫と握手した。ついでに姫とアンも仲良く手を繋いでいた。


『一生懸命に生きる者たちの楽園が、またひとつ――ですね』

「ああ。そうだな」


 アルマディアの言葉に満足してうなずきながら、俺は自分の信念をあらためて自覚した。

 一生懸命に生きる奴をリスペクトしよう。

 そのために、【楽園創造者】としての力を使おう、と。

 


◆◇◆



 ラクターさんの見送りを受け、私は街道に出た。

 彼はしばらくカリファ聖森林で暮らしたいと言っていた。王都に戻るつもりはないようだ。無理もないよね、と思う。


 私はパテルルの背中に乗りながら、しばらくの間、森の方を見つめていた。


「ラクターさん……」


 彼の名前をつぶやき、首筋がこそばゆくなる。


 ――勇気を出して、彼に会いに行って良かった。

 やっぱり、ラクターさんはラクターさんだった。

 彼にかけられた言葉のひとつひとつを思い出すたび、私の胸が熱くなる。


 私は、イリス・シス・ルマトゥーラ。

 ルマトゥーラ王国の姫として、できることをしよう。

 たとえ、彼と毎日会うことができないとしても。


「あなたがいれば、お話はできるものね」


 森でテイムした白い鳥――ヴォカロと名付けた子を肩に乗せ、私は王城への道を行く。

 さすがに街の正面入り口から入るわけにはいかないので、城壁を越えられるところまで移動する。いつもごめんなさい、パテルル。


 そのとき。

 遠く地平の先で、何か黒く小さなものがいくつも飛び立つのを見た。


「鳥……?」


 カリファ聖森林に、動物たちの姿が少なかったことを思い出す。


「悪い前兆でなければいいけれど」


 ラクターさんやレオンさん一家の無事を祈りながら、私は王都へ帰還した。



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