第16話 ビーストテイマーの姫様


 ――ここでずっと暮らしたい。


 そう言ったイリス姫の表情は、なんというか、とてもはかなげだった。

 俺を見つめているような、その先のどこか遠くの未来を見つめているような。

 王宮で顔を合わせるときも、時々こんな表情を浮かべていたことを思い出す。


 そういえば、イリス姫は勇者スカルに強い苦手意識を持っているようだった。一国の勇者と、その国の姫君――どうしたって、接する機会は多くなる。

 俺にはわからない気苦労が王宮の暮らしにはあるのだろう。俺は、そう思うことにした。


「イリス姫」


 励ます気持ちを込めて、彼女の名を呼ぶ。

 すると、姫は我に返ったのか目をしばたたかせた。


「え? あれ? 私、今なんて?」


 口に手を当て、意味もなく左右を見る。


 忠実な護衛、ホワイトウルフのパテルルが、なぜか妙に気合いの入った声を上げた。そしてこれまたなぜか、主の背中をぐいぐいと押す。俺の方に。

 や、近い近い。


「あ……ああ……!?」


 瞬く間に顔が真っ赤になるイリス姫。


「ご――ごめんなさいいいっ!」


 立ち上がった姫様。そのまま走っていってしまう。バシャバシャと川に入っていく音が聞こえてきた。

 俺はパテルルを睨んだ。


「おい。あんまり主を困らせるな」

「ぅばうっ!」


 なぜか怒られた気がした。


 すかさずリーニャが割って入るが、パテルルは引かない。

 リーニャが振り返る。


「『追いかけてください』と言ってる。主様」

「どっかで聞いた台詞だな、それ……」

『うんざりしている場合ではありませんよ』


 アルマディアが言った。頬に手を当て嘆息している姿が目に浮かぶ。


『ラクター様。私は、女性関係で大いに積極的になるべきと考えます。あなたが一国の姫君をめとると想像するだけでも、私は幸福を感じます。逃してはなりません』

「いやそれ面白がってるだけだろ」

『神は寛容。愛はいくつあっても良いものです』


 どういう意味だ……。


 とりあえず、川へ走った姫を放っておくことはできず、俺は後を追った。

 イリス姫はすぐに見つかる。くるぶしまで水につかった状態で立っていた。


 彼女の肩には、いつの間にやってきたのか、一羽の白い鳥が止まっていた。野生だろうに、イリス姫が指先で首を撫でてもされるがままになっている。


 そうだった。姫は確か、【ビーストテイマー】の力を持っていたな。動物たちを手なずけ、しもべとする能力だ。

 護衛のパテルルが、まさにテイムによって配下となったと聞いている。

 ただ、イリス姫は心優しく控えめな性格なので、テイムによって無理矢理配下に置くことに抵抗感を持っていた。パテルルをテイムしたのは一種の契約みたいなもので、互いに意思疎通できるようにするために必要だったとか。


 ま、わざわざテイムしなくても、もともと姫は動物に好かれやすい体質のようだし。きっと、あの白い鳥も純粋に彼女に惹かれてやってきたのだろう。


 俺と視線が合うと、姫はまたも顔を赤くした。


「ごめんなさい、ラクターさん。取り乱してしまって」

「いや、気にしてない」

『ラクター様』


 女神に注意された。釈然としない。

 イリス姫は苦笑いを浮かべたが、すぐに表情を曇らせた。


「それで、あの。ちょっと気になることがあるのですが」


 そう言って、空を見上げる。


「カリファの聖森林は、聖地の名にふさわしく、生命力豊かな植物と多種多様な動物たちが暮らす地と聞いておりました。けれど、先ほどから鳥や獣たちの姿をほとんど見ないのです」

「気のせいなんかじゃない」


 隣のリーニャがうなずいた。


「皆、どこかに逃げてる」

「逃げてる? それはなぜ……」

「わからない。リーニャは勇者たちのせいだと思ってる。会ったら今度こそ八つ裂き」


 表情を変えずに物騒な宣言をする神獣少女。

 勇者の名が出ると、イリス姫はさらに暗い顔になった。

 俺は話題を変える。


「そういえば、イリス姫はどうやってここまで来たんだ? まさか、勝手に城を抜け出してきたってわけじゃないよな」

「……すみません。そのまさかです」


 おいおい。なかなかお転婆なことをするな、我が国の姫様も。


「どうしてもラクターさんにお会いしたくて。パテルルに力を貸してもらい、脱出を……。そして城下街でレオンさんに出会い、ラクターさんのお話を聞いたのです」

「そうか。レオンさんに会ったのか」

「はい。ご親切な方で、ここまで案内していただいたのです。ただ、私が森に不慣れで汗だくになってしまったのを見かね、ここの川で水浴びを勧めてくださいました」


 なるほど。で、俺とばったり再会したわけか。

 姫。そこでまた赤くならないでください。こっちまで思い出してしまう。


 彼女は何度か川の水で顔を洗う。そして白い鳥を引き連れたまま、岸に上がってきた。


「ラクターさん。先ほどのお話で、あなたは楽園を創り、森を再生しようとしているとうかがいました。その楽園作り、私もお手伝いしてもよろしいでしょうか?」

「姫様が?」

「はい。その……ここで、――さんとずっと暮らしたいというのは、本音ではあるんです、が」


 小声すぎてよく聞こえない……。

 姫様は深呼吸する。


「カリファの聖森林は、我が国の大事な聖域であり財産。姫としてこの国を護るためにも、ラクターさんにお世話になった恩返しをするためにも、あなたのお手伝いがしたいのです」

「それはありがたいが……いくらなんでも、王城を放っておくわけには」

「確かに、いつまでも城を留守にはできません。ですが、折を見て、ここを訪れることはできます。きっとお役に立ちます」


 イリス姫は表情を引き締めると、手の甲を掲げた。先ほどの白い鳥が、彼女の手に止まる。


「お願い。私に力を貸して――ビーストテイム」


 柔らかな魔力が白い鳥を包む。それから、その鳥は俺の肩に飛び移ってきた。


「今後は、その子が伝令役を務めてくれます。何かあれば、遠慮なくお知らせください」

「姫様に頼みごとかあ」

「そ、その。今日こんなことがありました、ってことでも、ぜんぜん、ぜんぜん構いませんので。むしろ毎日ご連絡いただけると――あ、いえ! 気にしないでください!」


 手をぶんぶん振るイリス姫様。

 俺は肩の力を抜いた。


「わかった。俺でよければ、話し相手になるよ」

「……! はい、ありがとうございます!」


 なんとも畏れ多いことではあるが。

 イリス姫のこの笑顔を見られたのは、ここまで頑張ってきた俺へのご褒美――ってことにしよう。



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