(九)奸臣の子
外へでられぬ藤太にかわり、直介が気をまわしてくれたおかげで、ぬいの実家へ遺骨をとどけ葬儀をつつがなく終えられた。
藤太は灰をわけてもらい、小瓶にいれ毎朝それに手をあわせる。
臨終のまぎわ、夫と子がむかえにきてくれたと言っていた。きっと極楽浄土への道のりを三人で仲睦まじくたどっているころだろう。
自責の念にとらわれる藤太に直介がおしえてくれた。
霊魂となった人は、己を好きな姿に変えられるのだという。
ぬいは若き日のみずみずしい姿にかわり、二十年のあいだに白くなった髪は黒づやをとりもどし、藤太の将来をあんじて深くなったシワも消えさるのだろう。
きれいさっぱりと、跡形もなく。
あとは三人で、何の憂いもなくすごしてほしい。それが藤太の本望だ。
だけれどもひとり残された身のうえとしては、やはり寂しい。
長いあいだぬいと二人きりだったのだから、それも仕方のないことで、おもかげが宿るものを見つけては身近に置いた。
食事と身のまわりについては、出仕のあいまに直介が面倒をみてくれるようになった。とてもありがたいことであるが、わるい気もする。
「だれか使用人にまかせてくれてもいいのだけど」
「いいえ、駄目です。これはぬいに助けられた私がなすべきこと。どうぞ気がねなくおまかせください」
「でもお前はお城づとめでいそがしい身分だ」
「なんの。お座敷番について歩き、戸を開け閉めするだけの雑用係。重き役目ではありませぬ」
直介は藩校の学業をおえたのち、
それでも御座敷番小姓とは、重役同士がかわす藩の機密を見聞きする役目でもある。
ゆえに直介は内外の状況をよくわきまえているのだが、それは抜け目のない左門がよく意図したところで、家老連中の静動をちくいち報告するかくれた使命もあった。
つまり直介は、左門や奉行衆の諜報者として送りこまれたのだ。
とりたててめずらしい話でもない。
立藩からこのかた家中は対立がたえない。各派閥から偏りなくとりたてられるのはあたりまえのこと。というわけで城中に仕える小姓同士は気が抜けない。おたがい誰かの息のかかった者であるというのが暗黙の了解だからである。
そして、もうひとつ。
直介が藩校の年上を何段かぬいて小姓に推挙された確たる理由があった。
直介の母である継妻は、二番座の一門家老家の分家筋からとついできた人だ。
よって直介は、佐竹一門の血をうけている。
あの襲撃があったとき、供の者たちが左門よりも直介のまわりを厚く固めたのはそうした理由によるもので、どことなしか白津地屋敷の風格が立派になり、陪臣と女中の数が増え、彼らの身ごなしがなにかしらよく見えるのもそれによる。
兄弟で晩酌をくみかわしながら知ったとき、藤太は盃をとりおとして唖然とした。
「直介、お前……君公の親戚か?」
「いえいえ、めっそうもない。母の実家は何百年もまえに枝わかれした
そう言って、盃をくわえた色白の横顔は、かげりをおびて沈んでゆくのだった。
ときどき直介は、左門のことをあの方とよぶ。それは胸のなかでやり場のない自己嫌悪がたまったときであり、自分が立っている場所に不安をおぼえたときに出るのだろう。
そのどうしようもないひとときが醸しだす濁った心もちは、藤太にもよくわかる。痛いほど、まるで自分のことのように。
直介いわく、白津地左門は異常なまでの上昇志向をもった人であるという。
出世のためならどんなに汚いこと、士道に反する不義すら平然とやりおおせてしまう。
自分の手をよごしたくない面妖な一門家老たちは、その特異な気質を便利がって寵用してきたのだ。
たとえば左門が郡奉行だったころ、とある一門家老の知行地で一揆さわぎが起こった。
羽州の北がわに位置する久保田藩の封土は、気候がきびしく飢饉がひんぱんにおこる土地柄である。このときもひどい不作があったので年貢の軽減をもとめ、農民たちは一千人ちかい群衆となって城下の入り口にせまった。武装や打ちこわしもなく、それは切実で静かなものだった。
この対応にあたったのが左門だ。
いったんは主張を受けつけたふりをして群衆を解散させ、後日になって一揆の中心人物らを
武士が臆面もなく二言をしたわけだが、これに満足したのは予定どおり年貢をあつめられた一門家老衆である。
勘定奉行になってからは、もっと罪ぶかい二言をしている。
それは
久保田藩は領内に銀山があったものの早々につきてしまい、ずっと貨幣不足にあえいできた。
不作の波が定期的におこる米だけで藩の財政をまかないきれないのは仕方ないこととはいえ、貨幣の鋳造は幕府の権限であって諸藩がやるのはご法度中のご法度とされる。
しかも贋金となれば、斬首をもまぬがれない違法行為だ。なのに家中の根まわしにそれをバラまくような具合であるから当然に政敵も多い。
先日の過激党にしても、裏からたきつけた人物があったらしい。
いずれかの派閥が清廉であってくれたのならまだ救いもあろうが、直介が見たかぎりどこも似たりよったりで腐りきっている。
いまにはじまったことでもなくずっとそうであったし、醜い足のひっぱりあいがこれからもつづくのだろう。
直介はいままで誰にもうちあけられないできたが、藩校へかよっていた時ぶん、年長の者から奸臣の子めとしばしば嫌がらせを受けたそうだ。学友とよべる存在もついにできなかった。
いまでも城中ですれちがいざま、
「おや、なんか臭うな」
「いかにも。もしやこれは奸臣の臭いではあるまいか。はて、どこからだろうか」
などとあてこすりを言われたりする。
奴らを黙らせるだけの腕っぷしはないし、かばってくれるような友もいない。
ひとたび反応しようものなら、やはりお前の父は奸臣なのかと返ってくるのがオチなので聞こえぬふりをしてきた。
直介がさびしそうに言った。
「和魂洋才という輝かしい旗印は、こうした不正と闇を覆い隠すためのまやかしにすぎませぬ。残念ながら、過激党が言いさすところもまた事実にて。そして私は、あの方の血をうけた子なのです……」
藤太はつよく首を横にふって、濁ったかげりを振りはらう。
「いいや、お前だけではない。母ちがいだが俺もそうなのだから」
そのひと言がどんなに心強く、うれしかったものだろうか。
直介は涼やかな微笑みをとりもどすと、盃を一気にのみ干した。
そして急に賑やかになって、ますます酒をすすめるのだった。
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