(六)師弟の惜別

 道端にうずくまっていた使用人が担がれてゆく。

 肩口と小手から血を流してはいるが、意識がはっきりとしているから彼は大丈夫なのだろう。

 藤太が倒した三人とは別に、首と胴を斬られた四つの亡骸が血だまりにうかんでいた。

 十年の剣術修行を経たいまならば、事後の状況から経緯をありありと見通せる。

 行列を襲撃した賊は七人だった。

 うち三人は一刀でこときれている。ぬいが仕留めたとみてまちがいない。

 おそらく騒ぎをききつけ駆けつけたぬいは、まず雷風剣で三人を斬りすてた。賊らがひるんだすきに馬の尻をたたき、左門を退かせた。

 そして腕のたつ者とともに二人でしんがりをうけおい、残りの四人をくいとめた。

 さいきん膝の自由がきかなくなっていたから、もういちど雷風剣をくりだすことはできなかったのだろう。そこへ藤太がきた。

 ぬいがうけた刀傷は深かった。

 ひと目しただけで全身に五箇所あり、卑怯にも背に袈裟で斬りつけられた傷がもっともひどかった。赤々とひらいた傷口が骨までたっし、出血も多い。


「ぬい、これぬい、しっかりしろ!」


 蒼白の顔でぬいが、うっすらと笑みをうかべ呼びかけにうなずく。

 身をかかえあげ、離れまで駆けた。

 そのあいだもボタボタと鮮血が地におちて、ぬいの命がこぼれてゆく。

 いまさら藤太の顔をみて、いちいち驚く使用人たちがわずらわしかった。

 誰にたいするでもなく、懸命に叫んだ。


「たのむ、医者をよんでくれ!」


 まもなく屋敷のかかりつけ医が馳せてきた。が、たったの一人だった。

 この後におよんであらぬ噂が家中に広まるのをおそれたゆえのことで、やはり医者はまず左門のほうを手当てした。

 聞けばたいした傷でもない。脚をあさく斬りつけられただけなのに、使用人たちが右往左往して大騒ぎしている。

 かたやぬいの容態は一刻をあらそった。

 意識は混濁として、くちびるが真紫色に変色しブルブルと震えている。


「寒いのか? 大丈夫だ、もうすぐ医者がくるから、どうか耐えておくれ」


 身にしがみついて温めながら藤太は一心に念じた。


「いかないでくれ、俺を置いてゆかないでくれ。ぬいが側にいてくれないと……ぬいが側にいてくれないと困る」


 やっと医者が離れにきてくれた。

 手早く傷口の手当てをしたのち、湯に溶いた痛み止めを飲ませてくれた。

 ぬいの様子がいくぶんか落ち着いてゆくのがわかる。


「どうだ、助かるか? ぬいは助かるのか!?」


 老齢の医者は無言のままうつむき、口の両端についた皺をなお一層深くして首を横にふった。


「明日の朝までもつかどうか……」

「なに?」


 覚悟はしていた。だがいざあらためて医者の口からつげられてみると、背筋が凍りついた。

 医者が太息をもらして声をひそめる。


「なにぶん背の傷がふかく血を失いすぎました。それにぬいどのは、胸に(癌)がござりましたゆえ、かねてより体がよわっておりました」

「い、いわ? それはいったい……」

「体の深奥にできる悪性のしこりのことです。命をうばう不治の病。もってあと一年か二年、そうした病状にございました。ここ数年みるみる白髪が増え、急に体がおとろえてきたのもそれによるもの。ぬいどのは気丈な方であらましたから、痛みどめと熱さましを処方してきたとはいえ、ずいぶん病んでおられたはずです。はやければ今宵かぎりのお命となりましょう。すぐにご親族をお呼びしたほうがよろしいかと存じまする」

「そ、そんな……それは嫌だ! 医者であろう、何とかしてくれ!」

「残念ながら医術がやれる手はつきております。まことに申し訳ございません」


 これ以上医者にあたってみても仕方がなかった。

 藤太はぬいの手を強くにぎり、名を呼び、懸命に寝ずのつきそいをつづけた。

 かたわらで親族を呼んでくるよう早馬を頼んだ。とはいっても、ぬいの実家は二十里も離れた山間の僻地にあるので、もう間に合わないかもしれない。

 時は淡々とすぎ、どんなに願っても止まってくれなかった。

 にぎりしめたぬいの手が、熱をうしないどんどん冷たくなってゆく。

 眠ったままの衰弱した横顔と、ますます白くなった髪をみていると、とめどなく涙があふれでた。


「どうして異変に気づいてやれなかったのだろう。まだまだぬいへの関心が足りていなかったからだ。人目をさけてこんなせまい離れにとじこもり、己のことしか考えていなかったからだ。ぬいは鍵をあけて待ってくれていたというのに。馬鹿者め、俺の馬鹿者め――」


 ごくごく短いあいだではあるが、泣きつかれた藤太はいつしか浅い眠りに落ちていた。

 まだ薄暗い早暁のこと。

 誰かの呼ぶ声がして目覚めた藤太は、息をのみ左右にずれた目をみはった。


「ぬい、いったいなにをしている……?」


 なんと布団のうえできちんと座り、いつものように屹と藤太を見つめていたのだ。

 ものしずかな、厳とした声音で、あらたまったように語りかける。


「藤太さま、おなごり惜しうございますが、いよいよぬいは死期をむかえました。せめてあと三年、藤太さまが二十五をすぎるまでお側にいるつもりでおりましたが、どうやら叶わぬ願いであったようです。無二無三、これも天地がさだめた唯一のことわりと思えば従うほかござりません。ふつつかものながら長らくお側に置いていただきましたこと、あらためて心より御礼を申しあげます」


 藤太は激しく首を横にふり、膝をにじりよせて訴えた。


「どうして病のことを言ってくれなかった!? 知っていたら無理をさせなかったのに!」


 ぬいが正面で泰然と微笑み、ゆっくりと首を横に振った。


「なんのこれしき、いかほどのものでありましょうや。武士に二言なし。病など理由にはなりませぬ。主である藤太さまがずっといてくれと命じられたならば、なにがあっても身命を賭し、血骨燃えつき灰塵となるまで奉じるのが武家の心得というもの。二十年まえ、私は母上さまより藤太さまをおあずかりしました。それからは藤太さまが世のため、お国のため、人のため、お役にたつりっぱな武家になれるようおせわをしてさしあげることこそが私の今生の使命であり、生き甲斐となったのです」


 暫時、ぬいの頭がゆらりと揺れて言葉がとぎれた。

 眼光が薄れかけたが、こきざみに息を震わせ、ふたたび背筋の屹立をたもった。

 鬼気せまる表情で、ひしと藤太の手をとる。


「よろしいですか藤太さま、よくお聞きください。これからの道はご自身でお決めになられませ。いっそうお心をひきしめ、人よりすぐれた武家となるべくたゆまず涵養なされませ。疾風迅雷、ただまっすぐに、剣の奥院までほとばしるのです。よろしいですね!?」


 まるで清水が岩を濡らすように、ぬいの声音がひしひしと腹底まで沁みいる。

 藤太は武士らしく、威儀を正して平伏した。


「承りました、ぬいどの! この白津地藤太、必ずやりっぱな武家となります。天地のことわりに則り、正義の剣である雷風一刀流の継承者として、また神州の守護者として、不肖ながらこの身命をささげたいと存じます!」

「はい、お約束ですよ。そのお言葉を聞けてよかった。ぬいはやっと、安心いたしました。ではそろそろ……おいとま、ごいを……」


 はっと見あげると、ぬいはどこか遠くを見やって目をほそめていた。

 やつれてこそいるが、まるで白磁のように一点のかげりもなく、耀きをました顔でやわらかに微笑んでいる。

 それはいまだかつて藤太が見たことのない、愛嬌と慈愛に満ちた女の顔であり、愛おしげに誰かを求めるまなざしだった。


「まぁ、源左衛門げんざえもんさんと、栄治えいじではないですか……わざわざそろって、ぬいをお迎えにきてくれたのですね。よかった、お二人ともかわらず、お元気そうで。本当に、よかった――」


 それはまるで春先の陽だまりのなか、うたたねをする姿のようでもあった。

 座したまま力を失ったぬいの首が、藤太のまえでゆるりと、穏やかに垂れた。

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