第2話 柳行李

六月 水無月


「なにを申すか重延しげのぶ

重平太じゅうへいたは怒りで顔を赤くし重延の胸ぐらを掴んでいる

「ですから辻原家との縁談は無かった事にして頂きたいのです」


「なにを申しておる、香子殿とは仮祝言をあげた仲ぞ

 たかだか好いた女子ができたくらいで破談にできるか」

「ただの好いた女子おなごではござりませぬ

 腹には私の子がおります」

 

「重延!なんと浅はかな事を己は恥を知らぬのか」

重平太は拳で重延の横面を殴る


多佳は息子の不祥事におろおろと袖で顔を覆い泣いている


「いったい相手はどこの女子ぞ」

「近藤 繫衛門しげえもん様が娘、千鶴殿にございます」


――   ――   ――


江戸から五年ぶりに帰郷したばかりの重延は

国元の娘たちの垢抜けなさが鼻につき嫌気がさしていた

そこへ美しく生まれ育ちが江戸生で垢抜けた千鶴と出会い

恋に落ち後先考えずに逢瀬を重ねた


――   ――   ――


「近藤繫衛門・・・」

その名を聞いた重平太は全身の力が抜けたように

座り込み、赤かった顔色がみるみるあおくなる


若い重延の事どうせ相手は茶屋女あたりであろう

女を妾にして

子供共々隠しておけば済む話と考えていた

しかし近藤家は杉岡家より数段格上の家柄

その近藤家の娘をはらませたとなれば話は別である


「相手が近藤家の娘とは。

 いやしかしわしは亡き兼衛門かなえもん殿に

 頼み込み香子殿を許婚にしてもらったのだ

 今さら破談などにはできない

 だが近藤家の娘の腹には重延の子が

 いったいどうすればよいのだ」


重平太じゅうへいたはぶつぶつと独り言を言っていたかと思うと

そのまま部屋を出て行った


しばらくして戻った重平太は一枚の紙と刀を手にしていた

手にした紙を妻に差し出し

「多佳、三行半である。そなたは実家へ戻れ」


そして重延の胸ぐらを掴み立たせると

力一杯に腹を蹴り上げた

重延の体は障子を突き抜け庭に転げ落ちる

重平太は庭に降り刀を抜く、その眼は狂気に満ちている


「辻原家にも近藤家にも面目が立たぬ、其方そなたを切る」


多佳が悲痛な声をあげる

「それでは杉岡家がお取り潰しとなります」


「構わん!わしは腹を切る。武士の面目である」

重平太は腹から太く声を出しさやから刀を抜いた


重延は重平太の気迫に押され身動きできない

重平太が刀を振り上げると

「ぎぃぇい」

と多佳は獣のような声を吐きながら

庭に転がる重延に覆いかぶさり

重平太を般若のごとき顔をして睨んだ


「どけ多佳」

「どきませぬ!重延は私が腹を痛めて産んだ息子

 この世のどこに我が子を殺されるのを

 黙って見過ごす母がおりましょうか!」


「どかぬか多佳!」

「先ずは私からお切りください」

多佳は般若の顔で重平太を睨み付ける


重延は声さえ荒げたことの無い重平太の狂気を帯びた眼と

自分を守ろうとする母の背中を見て

初めて己の仕出かした事の重大さに気付く

許婚がいる身でありながら武士として無責任なおこな

香子にも千鶴にも申し訳が立たない身勝手な事をした

なんと己は未熟で浅はかなのだ・・・


まさに後悔先に立たず時は巻き返せないである


重平太と多佳の睨み合いは続いている

奉公人たちも騒ぎを聞きつけ震えながら

事の成り行きを見守つている


やがて重平太は母心の強さに負けさやを拾い刀を収めた


「多佳、其方そなたには三行半を渡した。里へ帰れ・・・

 重延、儂は隠居願を出し家督を其方にゆず

 その前に当主として辻原家へと近藤家への後始末をいたす」


それだけ言い重平太は部屋へ籠った


これから杉岡家は息子重延の不祥事で

世間から向けられる白い目に多佳を晒す訳にはいかない

嫁に貰う時に多佳の父に

「贅沢な暮らしはさせられませんが

 生涯、決して粗末には扱いません」と約束した

その約束をたがえる事はできない

三行半を渡したのは多佳を守る唯一の道だったのだ


重平太は腕を組み

これからの辻原家への香子への謝罪をどうするのか

どの面下げて行けばいいのかと溜息をつく・・・


―――――――――


翌日

重平太じゅうへいたは辻原家を尋ねた

千鶴の腹が目立つ前に一日も早く事を進めねばならない

そして一日も早く辻原家にびねばならぬ


辻原家の現当主、忠之亮ただのすけとその妻の道世を前に

重平太がいきなり頭を下げ畳に額をつけたので

忠之亮と道世は何事かと驚き

更に重平太の口から出た言葉に呆気に取られた


「重平太殿それはどういう意味でござりますか」

何かの聞違いかと忠之亮ただのすけは我が耳を疑った


「身勝手は重々承知でお願いつかまつる」

「縁談を無かった事にしろと申されるか・・・

 今更なにを、いったい香子のどこに落ち度が有ると」


忠之亮ただのすけは突然の破談話しに怒りをおさえきれない

一途で純心な妹が傷付き悲しむ姿を思うと

胸が痛むなどと生易なまやさしい言葉では足りない程に

心も頭も混乱を極める


奥方おくがたは多佳様が気に入らぬとお仰せなのですか」

「多佳とは離縁いたし今朝、実家に戻しました」


それを聞き忠之亮は絶句した


「よいではないですか」

それまで黙っていた道世が突如口を開いた

いったい何がよいのか忠之亮は疑念に思う


「私は嫁に来た時に三歳だった義妹いもうとを手塩に掛け

 育てて参りました、ただの義妹ではありません

 私にとっては娘も同然、その大切な香子を

 許婚いいなずけがありながら他の女子おなごと逢瀬を重ねるような

 不誠実な殿方の元へ嫁にやる気はございません」

と道世はきっぱりと言い切った

外堀桜花見の一件のあと奉公人のラク蔵に命じ

市中での重延の噂を探らせ千鶴との仲を承知していたのだ


重平太は、はっとして更に頭を低くした

その姿を見て忠之亮は全てを飲み込んだ

香子と言う許婚がありながら重延は他の女と深い仲になり

後戻りできない状態になったのだと


「承知した、双方合意のもと破談といたしましょう。

 しかし私事と藩のお役目は別

 これからも重延殿と共に力を合わせていく所存であると

 重延殿へお伝えください」


家長として忠之亮は凛と重平太に言い放した


―――――――――


その夜

忠之亮ただのすけ仲小川なかおがわ家に人をやり

弟の房之亮ふさのすけを呼び寄せた


辻原家で冷や飯食いだった房之亮は

仲小川のしゅうとに才を見込まれ

一人娘と結婚し婿養子となった

頭の回転が早く人の懐に入るのが得意で口も達者な房之亮は

舅の跡を継ぎ勘定方にくと、あれよあれよと出世をし

陰で仲小川の房之亮はその内に家老になるぞと言われている


忠之亮は香子の重延との縁談が破談になったあらましを話した

房之亮は

「そりゃまあ男と女の事で仕方ないが・・・

 だが例の件は大詰めに入ている

 昨夜も家老の糸賀いとが様が

 矢追やおい家老が感付き動き出したと言っていた」

「矢追家老ならば手荒な真似に出るかも知れん」


「噂では腕の立つ浪人を抱え込んだらしい

 兄じゃも夜道には気を付けてくれ」

「ふむ承知した」


「しかし、なにも藩の一大事の時に破談話しなど」

「仕方あるまい。公私は別問だ私情は捨て置かねば

 重延殿とはこれまで通り協力してまいる」


「勿論だ。ところで香子は破談話を聞いて

 どうしているのか・・・」

「まだ話しておらん、これから話す」


「そうか、では俺は帰る」

腰を上げようとする房之亮ふさのすけ

「待て、お前も同席しろ」

忠之亮ただのすけが命じた


忠之亮は憂鬱であった

破談を知らせた時きっと香子に泣くであろう

情に厚い忠之亮はとにかく女の涙に弱い

まして可愛い妹に泣かれるかと思うと気が滅入る

そこで少しでも香子の気が楽になるようにと

口達者な弟を呼び寄せた


憂鬱なのは房之亮も同じである

誰が好んで大事な妹に酷な話がしたいものか

しかし兄に同席しろと言われれば嫌とは言えない


香子が部屋に入ってきた


「御用でしょうか」

「馬鹿だな香子、用がなきゃ呼ばれまい

 大兄上が其方そなたに話があるそうだ、のお兄上」

と房之亮は兄の忠之亮に目配せをする

忠之亮は無駄な咳払いをしてから香子に話し始めた


「其方と重延しげのぶ殿の縁談であるが」

「はい」

「両家で話し合い破談と相成あいなった」

「それは近藤家の千鶴・・・」


と香子が千鶴の名を口にすると忠之亮と房之亮の顔色が曇った

それを見て香子は破談の原因を悟り己の馬鹿さ加減を思い知る


許婚いいなずけの重延は江戸から帰ってかた一度も顔を見せず

外堀桜の花見にも来ていたのに許婚の自分の所には来ずに

千鶴と一緒に花見にきょうじていた


「それではわたくしは・・・」


それでは私は一途に信じたお方に裏切られたのですか

と言いかけて口をつぐむ

そんな事を口にするのは余りにも惨めだ


香子は静かに

「承知いたしました」

と返事をした

あまりにも素っ気なく素直に承知したので

兄達は逆に心配になる


「あれだぁなんだぁほれ、香子に相応ふさわしい男は

 この兄が見つけてくるから待っておれ、なぁ」

「おお、それがいい。房之亮は顔が広い

 香子にきっと良い縁談を探してくれるぞ」


と忠之亮と房之亮は妹を元気付けようと言ったのだが

香子は

「それはご無用にございます

 私は誓い通り出家し尼となりますので」

そう言い部屋を出て行った


長兄の忠之亮が慌てて連れ戻そうとするのを房之亮が

「兄じゃ、香子はいま気が動転しておるだけじゃ

 しばらくそっとしておいた方がよい」

と止めた


―――――――――


香子は自分の部屋へ戻り正座をし

涙をこぼすまいと膝の上に置いた手を握りしめる


重延しげのぶは仮祝言をあげた仲の自分を放り投げ

なぜ千鶴を選んだのだ

重延がお役目で江戸におもむいていた間も

杉岡家の重平太も多佳も親だと思い尽くしてきたのに

なのに重延しげのぶは感謝するどころか仇で返した

どうして易々やすやす夫婦めおとになる約束を破れるのだ

許婚になった時から信じ過ごしていた年月は全てが無駄だった

ああ、なんと愚かな事か


思えば花見からこのひと

重延と千鶴の仲を勘繰かんぐり心穏やかにあら

一人悶々と胸が締め付けられ過ごしてはいたが

それでも、こんな大切な約束をたがえるはずはない

そう許婚いいなずけの重延を人として信じていたのに

こうも簡単に反故ほごにされるとは

いったい今まで自分は何を信じ守ってきたのか


香子は重延に恋焦がれていたわけでは無い

長兄の忠之亮ただのすけに似て

男女の色恋に疎い香子は

ただ親の決めた縁談だから従っていただけなのだが

そんな事も分からない乙女であり

本当に腹を立ているのは

重延が約束を守らないことである


「ああ、馬鹿馬鹿しい」

無意識に口からぽろりとこぼれ落ちた言葉に

香子は、はっとする


そうだ悩んでもうらみ言を言っても覆水盆に返らず

ただ無駄に時を過ごすに他ならない

浅ましく悩み怨みして無駄に年を重ねるのは真っ平御免だ

己は己が選んだ道を真っ直ぐ進もう

それが辻原香子の、私の生き方だ

そう思いが定まると目の前が明るくなり心が軽くなった


香子は部屋の障子を開け

「イク、イク」

とイクを呼びつけた

駆けつけたイクが

「はい、何でしょう」

と尋ねると香子は微笑みながら


「ご苦労だけど納戸なんどから柳行李やなぎごうりを持って来て」


―――――――――


忠之亮ただのすけは朝食の席に着き目を疑った

そこにははかま姿で髪を一本にった香子が座っている

まるで元服前の若侍のようである

息子の元三郎もとさぶろうも叔母の姿に何事かと戸惑っているのに

妻の道世は気にも留めない様子だ


思わず忠之亮は

「その身なりは何事か」

と尋ねたら

「尼になる身ゆえに本日より女子おなご着飾きかざりりは控えます

 かんざしも櫛も柳行李やなぎごうりに全て仕舞しまいました」

当たり前の事のように清々すがすがしく答える香子


これは参った、どうしたものかと道世に目配せすると

「香子、納戸に元三郎の着なくなった着物と袴があるから

 あとで一緒に取りに行きましょう」

「はい」


女たちの会話に面食らう忠之亮ただのすけ元三郎もとさぶろう


妻は・母は・香子が・伯母上が出家するのを止めぬのか

と驚き動きが止まる父子おやこ


「なんですか二人共、うわの空で食事をするとは」

道世にたしなめられる忠之亮と元三郎父子。

















 














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