尼になりそこねて候

桶星 榮美OKEHOSIーEMI

第1話 許婚

十一月 霜月

ここ興宮おきのみや藩では

雪がちらつき始めている


香子こうこは奉公人のラクぞうとイクをしたが

白い息を吐きながら道を急ぐ


「ごめんくださいませ」

香子が声を掛けると奥から多佳たかが出て来て

「まぁ香子さん」

と嬉しそうに笑顔を向け

「あいにく重延しげのぶはまだ戻らないのよ」


「それは間に合いよろしゅう御座いました」

とラク蔵イクから荷物を受け取り

多佳に差し出した


「まぁまぁ立派な鯛だこと

 それにわざわざ

 餅をついてくださったのねぇ」

「餅は重延様の好物だからと

 朝早くから義姉あねが」


「それはお手数をかけましたね、

 道世みちよさんに

 お礼を伝えてくださいね」

「はい。では私は失礼いたします」


「あらぁもう少し待って

 重延の顔を見ておい来なさいなぁ」

「いえ、五年ぶりにお戻りなのですから

 今日はご家族で

 水入らずにお過ごしください」


「そうねぇ重延と夫婦めおとになれば

 嫌でも毎日一緒ですものねっ、ふふっ」

「それでは、ごめんくださいませ」


香子は耳を赤くしながら杉岡家を後にした

乙女の胸は

重延しげのぶが帰郷する嬉しさで満ち溢れ

嬉しさを嚙み締めるように

一歩一歩ゆっくりと足を進め

重延との思い出を思い起こしていた


―――――――――


辻原香子 十九歳 ・ 杉岡重延 二十三歳は

重延の父・重平太じゅうへいた

香子の亡父・兼衛門かなえもんに頼み込み

香子十歳、重延十四歳で許婚いいなづけとなった

多佳たかは重延の母で

行く行くは香子の姑となるひとである


亡父・兼衛門が一人娘の身を案じ

丁嵐あたらし流道場へ

通わせていたのだが

許婚いいなづけになり間もない頃に

重延が重平太に連れら辻原家を訪れた際

香子が庭で剣術の稽古をする姿を見た重延が

「香子さんの剣術は凄いな

 これなら将来は安心して守ってもらえる」

と冗談で言ったのだが

十歳の少女は

「お任せください、

 香子はもっと稽古に励み

 必ず重延様をお守りします」

他愛たあい無い冗談を真剣にとら

今では丁嵐あたらし流の免許皆伝となってしまった


香子は遅くにできた子で

長兄の忠之亮ただのすけとは十七歳違いで

次兄で仲小川なかおがわ家の婿養子なった房之亮ふさのすけとは十六違い

母は香子が生まれて直ぐに他界し

長兄の忠之亮ただのすけ嫁道世みちよ

母親代わりとして育ててくれた


父の兼衛門かなえもんが病に倒れた時

香子は十四歳であった

兼衛門の余命いくばくもない事を知った

重延しげのぶの父・重平太じゅうへいた

少しでも兼衛門かなえもんを安心させたいとの思いで提案し

仮祝言をあげた


仮祝言をあげるという事は

夫婦めおとになる事ではあるが

まだ重延は十八、香子は十四と幼いし

この仮祝言はあくまで兼衛門の為に行ったまがい物

正式な祝言は

二人が一人前に成った暁に執り行う事と

両家で話し合い取り決められたのだが

香子は

「香子の心はすで

 重延様の妻にございます

 もしとつげ無い折には

 出家し尼僧となる覚悟です」

と宣言し周囲を驚かせた


なかなかに気の強く

一途な女子おなごである


―――――――――


杉岡 重延しげのぶは仮祝言を済ますと

江戸藩邸勤めとなり

江戸へおもむき五年となるのだが

この度、藩勤めにお役替えとなり

同僚二名と帰郷した


重延は興宮おきのみやに戻り一月経っても

辻原家に足を運ぶことは無かった

香子は江戸から戻られ

お忙しいのだろうと思ってはいても

内心は会いたい気持ちが募る


正月には重平太じゅうへいたが年始回りにきたが

重延は来ることは無かった・・・


―――――――――


三月 弥生

興宮おきのみや藩の雪解けはまだ訪れない


武家の娘が集まる茶会がもよおされ香子も出席した

見慣れぬ娘が一人

色白肌のはっきりとした目鼻立ちで

人目をく美しい娘である


こんな綺麗な方がいたのか

と香子が見とれていると

隣りに座る幼馴染おさななじみ那菜ななが耳元で

「およしなさいな香子さん、

 あの方とは関わらない方がよろしくてよ」

ささや


「私、初めてお会いするけど・・・どうして」

「千鶴さんは最近、

 江戸から興宮へ来たのだけどねぇ

 近藤家のご当主が

 江戸の茶屋女に産ませた娘なのよ」


(あぁ名前は千鶴と言うのか

しかし身分の高い武家が妾を置くことは

 珍しくもない)

「別に母親が誰でも問題は無いでしょ」

素直に香子が考えを口にすると

那菜なな

「問題なのは千鶴さんの所行しょぎょうなのよ」


はてなと香子は首をかしげる

那菜は続けて

「近藤の御父上は

 千鶴さんを商家へ嫁がせるために

 江戸から呼び寄せたんだけど

 当の千鶴さんは

 武家に輿入こしいれしたいらしいの」

「まぁそうなのね」

と相槌をしながらも

香子は心の中では

生き方や望みは人それぞれで

他人が横槍を入れるもので無い

との思いでいた


「それでねぇ」

那菜ななの話はまだ終わらない


「それで千鶴さんは

 なんとか武家の息子達に取り入り

 嫁にしてもらおうと」


真っ直ぐな気性の香子は

面倒な噂話に辟易へきえきするが

お構いなしに那菜ななの話は続く


「手当たり次第

 殿方に愛想を振りまくものだから

 皆に敬遠されてるのよ

 本当にはしたない方よね」


成程それで娘達が千鶴を

冷ややかな目で見ているのかと

香子は納得した

だが、

くだらない噂話だと気にも留めなかった


―――――――――


四月 卯月


「杉岡家の多佳女が風邪をこじらせた」

と叔父の亮庵りょうあんが知らせてくれた


亮庵は亡き父、兼衛門かなえもんの実弟で

江戸で医術を学び興宮おきのみやで町医者をしている


香子が幼い頃から顔を見るたびに

「そなたが男なら

 医術を学ばせ跡継ぎにしたものを」

と口癖のように言い可愛がってくれていた


義姉、道世に

「多佳様の見舞いに行くように」

と言われ香子は

イクを連れ杉岡の家へおもむいた


杉岡の家に着くと奉公人も風邪で寝込んでおり

多佳たかの世話が十分に行き届かないでいる

香子はイクと手分けして奥の仕事をし

多佳と寝込んでいる奉公人の世話をした


「申し訳ないわねえ、香子さん」

と多佳が病で心細くなっているのが伝わる


「心配なさらなくても必ず良くなると

 叔父の亮庵が申しておりました。

 奥の仕事はお任せください」


香子が明るく言うと多佳は安心したように

「それなら遠慮なく

 将来の嫁様のお世話になろうかしら」

「はい」

とだけ答え香子は耳を赤くした


夕餉ゆうげの支度が終わると

重平太じゅうへいたが帰宅し

多佳の休む部屋へ直行し見舞った


重平太は出世とは無縁な男だが

妻を大切にしていることで有名で

香子の父は杉岡家は格下ではあるが

この男の息子ならば

娘を大切にしてくれるであろう

との思いで

重延しげのぶを一人娘の許婚にしたのである


多佳の容態ようたいが良くなるまでと

香子は数日間

朝早くから日が傾くまで

杉岡家の家事を引き受けたのだが

重延とは一度も顔を合わせる事は無かった


重平太によれば

重延は帰郷してから帰りが遅く

時には深夜に呼び出され出かける事もある

呼び出し相手はどうやら

国家老の糸賀いとがらしい

「お勤めの事は知らん、

 わしは出世に興味がないからな」

と笑っていた


―――――――――


五月 皐月


興宮おきのみや藩に遅い春が訪れ

城内の桜がほころび始める

桜の木は外堀に沿って植えられ

みやびさをかもし出す


外堀桜の花見が毎年恒例行事であり

一日目は武家の未婚男女

 男は18歳から女は16歳から参加

二日目は士族

三日目は藩民


と取り決められているのだが

一日目の武家の未婚男女の日を設けたのは

三代目当主で

若い男女の出会いの場

逢瀬おうせの場を作るとは洒落しゃれた殿様である


14歳で重延しげのぶと仮祝言をあげた香子は

今まで一日目の花見へ

行ったことは無かったのだが

今年は重延が江戸から戻っているので

大手を振っていける

愛しい人と桜を見ながら過ごせる嬉しさに

乙女心は踊り

足取り軽くイクを従え堀桜を目指した


外堀に着くとイクが茣蓙ござお広げ

その上に丁寧に重箱を置いた

重延のためにと

香子が作った馳走ちそうが入った重箱である


初めのうちは二人で

桜が綺麗だの良い天気だのと

他愛もない話を年頃の娘らしくしていたが

半刻はんとき経っても一刻いっとき経っても

重延は現れず重い空気が流れ出す


そこに通りかかった二人連れの若侍が

「杉岡の奴なんで

 近藤家の千鶴と一緒なんだ」

「妾の娘が必死になって男探しか」

「杉岡は大丈夫なのか、

 たしか許婚がいたはずだが」

「まさか、いくら千鶴が美人でも

 本気にはなるまい」

「そうだな。

 まったく次から次へと男に言い寄る女だ」

「武家に嫁ぎたくて必死なんだろう」

と笑いながら話している


香子はその話を背中で聞きながら

千鶴とは

先日の茶会で見かけた娘のことなのか

杉岡とはもしや重延様のことでは

と頭によぎった

しかし何とおぞましい事を考えているのか

有らぬことに嫉妬しっとして情けない

おのれいましめる


イクが

「ご不浄ぶじょうへ行って参ります」

と場所を離れなかなか戻らない

やっと戻って来たと思ったら

下を向き無口である


時太鼓が鳴り花見の終了を知らせる

とうとう重延しげのぶ

姿を見せることは無かった


帰り道

イクは重延への口惜くちおしさと腹立たしさと

香子をあわれに思い

流れそうな涙をこらえながら

重箱と茣蓙ござを抱え下を向き歩いている


「今日は来てよかった、

 秋にはイクは里へ帰ってしまうから

 最後に二人で花見ができて本当によかった」

と明るく話す香子の姿にえきれず涙を流した


イクは農家の娘で

年季奉公ねんきぼうこうで十二の時に辻原家に来た

それ以来、

優しくしとやかで強い香子は

イクの憧れである


秋には年季があける

里では既に嫁ぎ先も決められていた

親が決めた顔も知らない男に嫁ぐ

それはのがれられないイクの

この時代の女のさだ


イクは香子と離れたくは無かった

できる事なら一生

香子の世話をして生きたいのが願いである


「イク、何を泣いているの」

「お嬢様と離れたくないんです・・・」

だがこの涙の本意は

香子の気持が重延に踏みにじられた

ことへのくやし涙であった


家に着くと香子は家人の目を避けるように

静かに部屋に入り息をひそめた


―――――――――


「奥様、イクでございます」

廊下から障子越しに道世に声を掛けるイク


「お入り、なにか話があるのですか」


イクはなかなか切り出せずに

もじもじしている


「どうしたんです、早くお話し」

とせかされ

せきを切ったようにイクが話し出す


「奥様、重延しげのぶ様はあんまりです。

 お嬢様がおいでなんを知りながら

 他の女子と花見をして

 ほでなしなで噓こぎなお方です

 あいての女子おなごもほんに、

 もえぐらわりえ

 お嬢様がお可哀想でならないんでぇ」


「これイク、言葉が過ぎます」

道世は

怒りで国言葉を出したイクを軽くいさめた


❝ほでなし❞とはろくでなしの意で

❝もえぐらわりえ❞とは

意地が悪いとの意味である


「それで、お前はその現場をみたのかい」

「はい、この目で見ました」


「香子は、香子は見たのかい」

「いんえ、お嬢様は見てねえし知らねえっす」


「そうか。

 この事は決して誰にも話してはいけませんよ」

イクは頷き部屋を出ていった


道世が辻原家に嫁に来た当時

香子はまだ三歳で

生まれて直ぐに母を亡くした香子に

武家の子女しじょとしての

礼儀作法を教え育ててきた

香子は道世にとって義妹であり大切な娘でもある


―――――――――


夕餉ゆうげの席で

長兄の忠之亮ただのすけ


「今日の花見はいかがであった、

 重延殿と仲良うできたか」

めずらしく口を開いた


長兄の忠之亮は亡父に似て

厳格げんかくで冗談も言えない

真面目まじめ反面はんめん、情にあつい男である


「いえ、重延様はお見えになりませんでした」

「そうか、

 まぁお役目が忙しかったのであろう」


「その様でございます。

 多佳様の看病に通っておりました時も

 お目にかかる事は御座いませんでしたので」


香子は淡々と話している


「それでは江戸から戻って

 一度も会っておらぬのか」


忠之亮は驚きを隠せない


「貴方、食事中にべらべらとはしたない」

道世にたしなめられ

忠之亮はそれ以上口を開かず

皆、黙々とはしを動かした。





























 


























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