第32話 本論に関係ない暇つぶしです。御用とお急ぎの方は読み飛ばして。

 ◆2022.11.17朝時点のレポート:


 https://kakuyomu.jp/users/hyper_space_lab/news/16817330649687438200


 ◆◆◆


 もはや毎朝のレポートを引用するのも空しくなるくらい、「うちのAI」STATSが壊滅してしまった。「令和の大改編」実施の代償ですな。


 1000PV/日を狙える作品として地道に育成する道もあったと思う。あったと思うが、それでは「夢」がない。


 なので、10kPV/日を目指す作品にするため、大手術に踏み切ったのだ。その決断に悔いはない。えーん。


 まだ、わからん。「生みの苦しみ」ってこともあるからね。めげずに頑張ろう。


 ◆◆◆


 さて、今日のお題が何かと言えば、「いろは歌」です。「いろはにほへと」ね。


 日本語の50音(実際には47文字)を①重複せずに、②すべて使用するという条件の中で「意味ある文章にする」という離れ業をやってのけた超絶テクニックの文章である。


 拙作「飯屋のせがれ、魔術師になる。――知力ひとつで成り上がってやる。」の中で、主人公ステファノが覚醒するギフト「諸行無常いろはにほへと」のトリガーとして借用させてもらった。


 ぶっちゃけて言うと、「呪文ぽいじゃん」という理由からであった。


 これがね、突っつくと色々遊べるおもちゃ箱なのである。


 ◆普通に書くと、こうなる。


 いろはにほへと ちりぬるを

 わかよたれそ  つねならむ

 うゐのおくやま けふこえて

 あさきゆめみし ゑひもせす


 ◆意味は、こう読むのが一般的だ。


 色は匂へど 散りぬるを

 我が世誰ぞ 常ならむ

 有為の奥山 今日越えて

 浅き夢見し 酔ひもせず


 ※とりあえず細かい話はカット。


 仏教訓話っぽくもある格調高い詩句になるよね。


 で、1行7文字に成形するとこうなる。


 いろはにほへと

 ちりぬるをわか

 よたれそつねな

 らむうゐのおく

 やまけふこえて

 あさきゆめみし

 ゑひもせす


 この時行末の1文字を並べると、


「とかなくてしす」


 すなわち


「咎なくて死す」


 となるので、いろいろと憶測を呼んでいる。


 曰く、


 ・柿本人麻呂作である。

 ・源高明作である。


 などなど。


 この辺は、「猿丸幻視行」(井沢元彦)が実に面白く取り扱っているので興味ある方は一読をお薦めする。


 ◆時空研はこう読む。


 さて、時空研はというと、今回違う区切り方を提起したい。

 それは「わらべ歌」としての「いろは歌」。「歌読み区切り」である。


 筆者は「いろは歌」でかなを覚えた世代ではないので確固たる自信は無いのだが、「いろは歌」を「歌う」際にはこう区切っていなかっただろうか?


 いろはにほへと

 ちりぬるをわか

 よたれそつねなら

 むうゐのおくやま

 けふこえて

 あさきゆめみし

 ゑひもせす


 この並びで、行末を拾うのだが、「よたれそ」と「むうゐ」の行が出っ張っている。

 ここは凸をふくめて2文字ずつ拾うと、


「とかならやまてしす」


 となる。すなわち、


「咎平城山ならやまで死す」


 となるのだ。


 ◆「平城山」と書いて「ならやま」と読む。


 試みにパソコンで「ならやま」と打って変換してみてほしい。「平城山」と出て来ないか? 出て来るよね。


 不思議ですか? 近畿地方の人にとっては当たり前でしょうね。


 なぜならこれは古くからある「地名」なのだから。

 平城山とは奈良市と木津川市の境にある丘陵地帯を指している。


 山と言っても標高80メートルくらいの「丘」らしい。


 ◆地面を平らにすることを何という?


「地ならし」というよね? 「ならす」とは平に整えることである。


 ◆奈良の都は平城京。どうして?


 お城を作ったから? いえいえ、「ならのみやこ」と書いて「平城京」なのだ。

 つまり「なら」とは古くは「平城なら」だったのだ。


「奈良」と書くのは、いわば「当て字」だ。いわゆる「好字」とか「佳字」というやつで、「葭原」を「吉原」としたり、「住之江」を「住吉」としたりする置き換えである。


 ◆それは良いけど、「平城山」で誰が死んだ?


 ずばり、「長屋王」である。詳しくは、Wikipediaでチェックしてね。


 ざっくり言うと、天武天皇の孫である。


 聖武天皇父子に対して謀反の心ありとして、死罪になった。実際には貴人なので「自死」という形を取った。


 これは「賜死しし」と言い、広い意味では切腹もこの考え方に立った「温情」とされていた。死ぬ方は良い迷惑だけどね。


 後の世の発掘調査で長屋王邸は平城京の東南に立地していたことがわかっている。ちょっと苦しいが「平城山」の山麓と言えないこともない。(JR平城山駅から3キロくらいの場所)


 ◆「いろは歌」と「平城山」の関係


 万葉集にこんな歌が残っている。


「奈良山を にほはす黄葉 手折り来て

 今夜かざしつ 散らば散るとも」(三千代人名)


 漢字では、


「平山乎 令丹黄葉 手折来而

 今夜挿頭都 落者雖落」


 この歌を見ると、「いろは歌」の存在を踏まえてもじっている・・・・・・のかなと思う。


「色は匂へど」「散りぬるを」の気配が、織り込まれているよね。「黄葉」は「もみじ」で「色付いた葉」だからね。「匂わす」って言ってるし。


「いろは歌」に「ならやま」が含まれていることを知った上で、こう読んだのではないでしょうか?


 ・「平城山を匂わす」とは「(いろは歌は)長屋王の変を暗示しているよね?」という暗喩ではないか?

 ・「にほはす」を「令丹」という漢字にしているのは、違和感がある。

」が「水銀(化合物)」であり「赤い塗料」であることは良く知られている。しかし「令」と書いて「ほはす」と読めるとは思えない。第一、漢語の語順として「丹」は目的語でなければならず、「丹〇〇す」ならばわかるが「丹はす」では意味をなさない。

 ・素直に読むなら「せしむ」であろう。「令」は命令するという意味である。「丹」=水銀は猛毒である。古来自害や毒殺に用いられてきた。長屋王に「水銀を飲め」と命が下ったと解釈できないか?

 ・「黄葉」はもちろん「もみじ」であるが、目を引くのは「赤/紅」である。黄葉の赤を「水銀」に見立てたのでは?

 ・「言葉遊び」としては「黄葉」と書いて「色葉いろは」と読ませた可能性もありそうだ。

 ・最後の「落者雖落」を「散らば散るとも」と読み下しているが、これも強引だ。

「落ちる」と書いているのだから、「黄葉」との連想を踏まえて「おちばおつとも」と読む方が文学的だと思う。

 ・この場合、「おちば」とは「落ち葉」と「落ちた者=長屋王」を掛けていると解する。


 ◆時空研版解釈:


「ならやまを にせしむいろは たおりきて

 こよひかざしつ おちばおつとも」


「平城山を 丹令しむ黄葉 手折り来て

 今夜かざしつ 落ち者落つとも」


「長屋王に自死のために与えられた丹のように紅い黄葉を手折ってきて、今宵一晩だけでも不遇な最期を遂げた皇子を偲んでおります」


 そういうことじゃないのかなあ?



 信じるか信じないかは、あなた次第です。どーん!

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