なきごえ
黒野しおり
こえがきこえる
社会人1年目のとある日、私は地元を離れて静岡県の西にある掛川市の会社に勤務することになった。本社は東京にあるのだが、新人研修後の配属でこちらに来ることになってしまったのだ。地元に居たかったなというのが本音だ。しかし心機一転、新しい土地でそれなりに仕事に打ち込んでいければいいな!……という気持ちにも完全には切り替えられない状態のまま、私はこだま新幹線に乗り込んだ。ウトウトしているといつの間にか掛川駅についていた。もっと遠くにある気がしていたが、案外地元から近いことに少しホッとした。
キャリーケースをガラガラと引っ張りながら階段を上り下りしつつ、北口からでる。話には聞いていたが、実際に木造の駅舎を見ると衝撃をうけた。時刻が夕方だからだろうか。味のある古びた駅舎は独特で、少し不気味な気配を漂わせていた。そんな雰囲気に不釣り合いなほど明るいお姉さんが、にこやかに、そして鋭い視線でチラシを駅前の広場で配っていた。
「こちらただいまキャンペーン中でーす」
断ろうとしたが、お姉さんは私を逃がさない。
「いまなら飴もついてるので~。お得ですよ~」
と有無を言わせぬ圧で差し出してくるので、思わず受け取ってしまった。仕方がないのでチラシも見つつ、飴はそのまま紙から引きちぎり上着のポケットにしまった。新居に向かうために歩き始めると、城下町と少し寂しげな商店街が合体したような雰囲気の街並みが続いていた。なんだか不思議な町なのかもしれないなと、なぜか不安な気持ちを私は抱いた。
バス・トイレ別で、オートロック付きの1LDK。社会人1年目にしてはすごく良い条件のマンションを借りることができた。こっちの物件の値段を見て、その安さに驚いたのは言うまでもない。とりあえず、どさどさと荷物を床に置き、さっきコンビニで買った、なんの変哲もない弁当を床に置きながらむさぼる。ベッドも机も、まだ何もない新居。とりあえずここで生活をしながら色々揃えて、私だけの城を作るんだと心に決めながら、今日は持参した寝袋で寝ることにした。
しかし真夜中になっても眠れない。新しい場所、どことなく乾燥している部屋。それに寝心地最悪の寝袋などいくつも理由が挙げられるが、それ以上に外がうるさい。カエルや何かよくわからない虫のなきごえが窓の外から聞こえてくる。1階の部屋を借りたのが間違いだったかもしれないなと、少し後悔の念が生まれた。
一服するために窓を開けると、空気は今の時期の夜とは考えられないくらい寒く、そして重い。かじかんだ手でタバコに火をつけようとしていると、どこか違和感を覚える。カエルたちの音に混ざって何か別の甲高いなきごえが聞こえてくるのだ。モスキート音かとさえ思ってしまうようなそれは、よく聞いてみると悲鳴のような、咆哮のような、女性の声だった。何を言っているのかは全くわからない。しかし、明らかにただ事ではない叫びが聞こえてくる。声のする方にスマホの光を当てると、うずくまっている女性が、近くの道路の真ん中で泣いているのが見えた。夜中の街は静まりかえり、他の家の住民が気付く様子もない。周囲を見ても怪しげな人物はいなかった。仕方がないので、上着を着つつ外へ出ることに決めた。
道は街灯も一切ない。墨で塗りつぶしたかのような空間が広がっている。スマホを懐中電灯代わりに使おうかと思ったが、忘れたことに気が付く。取りに帰ろうかとも思ったが、再度オートロックを解除するのも面倒くさい。そこまで距離も離れていないためそのまま歩みを進めることにした。
「あのー、大丈夫ですか?怪我とか?どうかしました?」
声をかけながら近づくも女性から返答はない。
「道の真ん中だと、通行の迷惑にもなるかも……まぁこんな田舎の道だったらならないかもしれないけど。とりあえず引かれても文句は言えないし。ね、とりあえず移動しましょう?」
と言いつつ近くまで来て、女性の肩に手をかける。その時初めて違和感に気付いた。それは人間の肌とは思えないほどツルツルしていた。それに体温がない。どこかジメっとしていて、かつひんやりとしている。それはまるで――
「……石」
それは女性でもなんでもない。石だった。女性のなきごえを出し続ける巨大な石。それが道の真ん中に鎮座しているのである。夕方ここを通った時には無かったのに、いつの間にこんな道のど真ん中に石が?とか、女性のなきごえが聞こえる石?とか、じゃあこの石の中に女性が埋められているのか?とか、様々な思考が瞬時に駆け巡り、頭の中がかき乱される。
「どうしたんですかな?」
背後からいきなり男性に声をかけられる。振り向くも、暗くて顔は良く見えない。しかし腰に棒のようなものを差していることには気が付いた。このいきなり現れた、それも武器のようなものを持っている男に対して、私はどうしたらよいのかわからなくなる。それにどうしたと聞かれても、何から説明したらよいのかわからない。この男性を信用していいのかもわからない。私が口をパクパクさせてもたついていると、
「お嬢さんは知らないのですか?……前に臨月の女性が道端の石の近くで亡くなりましてね。子どもの方はその後無事に拾われて育てられたのですが、亡くなった女性の怨念は石にとりついてしまったのですよ。そしてそれが今も永遠と泣き続けているのです。……有名な話です」
とゆっくりと優しい声色で説明してくれた。しかし解説されたところで到底納得できなかった。そんな学校の7不思議のような話、信じられるわけがない。でも実際に石は泣いている。もしかして女性は、何か助けを求めているのではないのだろうか?ふいにそんな考えが思い浮かび、男性に背を向けて、石をもう一度よく確認してみようとしたその瞬間
ずぶり
何かが私の体を貫いた。長い、銀色の刃物。痛い。どくどくと血が流れる。思考が止まる。痛い。なぜ。何が。痛い。血が––
ゆっくりと薄れゆく意識の中で、「ちっ、この女は金はもってねぇのか」という声を聴いた。
気が付くと、私は道の真ん中に立っていた。上着を羽織って外に出てきたときのままの状態で。傷も、血も何一つない。女の甲高いなきごえが鳴り響いている。いつの間にかカエルたちの声は聞こえない。あたりには誰もいない。さっきまでの出来事と、今の出来事。沢山の情報量で頭が混乱する。思考をグルグルさせていると、いつのまにか、石のそばに来ていた。あぁ。違う。私はここにきてはいけない。だって、ここにいると、ここには――
後ろを振り向く。すぐそばに男がいる。不気味なほどにこやかな男は私に声をかける。逃げようとしたが、傍にあったあの石に突っかかって転んでしまう。石は泣いている。後ずさりをする。逃げられない。あぁ。そしてそのまま男は刀を抜き、私に向けて振り下ろした。
その後もこれを繰り返した。何度かマンションに戻ろうとした。しかしなぜか石のある方向に一歩、また一歩と歩みを進めている。「金が欲しいなら戻って取ってくる」と男に話しても、「いま出せ」と言われる。半分寝巻のような状態のままで飛び出した私がお金を持っているわけもなく、交渉は上手くいかない。女を慰めればよいのかとも思い、言葉をかけることもした。しかしその言葉は届かない。女は永遠と泣き続け、それをしている間に私は男に刺されてしまう。
ずぶり、ずぶりと何度も刺されているうちに、どんどんと感覚も麻痺し始める。刺された痛みが、痛みではなくなる。どろどろと自分の体から流れる血が、段々と自分のモノではないように感じ始める。何十、何百回とこれをし続けても、夜は明けない。女は泣き続け、男は私に刀を向ける。この時間が終わらない。何度心の中で願っても。終わらなかった。
何回これを繰り返しているのか。考えることさえ諦めた時、足は自然と歩みを辞め、私はその場にへたり込んでしまった。女のもとへ向かう気持ちは、もうこれっぽっちも湧き上がってこない。どうせまた繰り返すのだったら、ここで男に刺されてしまおう。その間、少しの間だけ。私は休むことができる。
「私の母を見捨てるのか」
青年らしき人物がいきなり話しかけてくる。だけど私にはもうどうでもよかった。どうせ殺される運命なのだから、少しの間、平穏に一人で休みたいという気持ちの方が強かった。この唯一の休息を、邪魔しないで欲しかった。
「もう一度問おう。私の母を見捨てるのか」
私のそんな気持ちはつゆしらず、青年はもう一度私に話を振ってくる。うるさいなぁという気持ちで、目線を彼に向ける。
「聞こえているのではないか。私は母を見捨てるのかと質問している。答えろ」
「うるさいなぁ!!私は今、よくわからないことに巻き込まれているの!!これから私はまた刺されるの!その間休んでるんだって!あんたのよくわからない問いかけに答えている暇はないの!!」
空気の読めない発言に思わず立ち上がり、声を荒げながら青年に詰め寄る。しかし彼の目線は私ではなく、下に向いていた。
「ねぇ聞いてるの?私は今––」
「その飴はお前のものか」
「はぁ?」
男の目線の先を見ると、確かに私が夕方ごろに駅前でもらった飴が落ちていた。勢いよく立ち上がった拍子に、ポケットから落ちたらしい。男は満足げにその飴を拾いあげ、
「あぁ。懐かしい。べっこう色の、この飴だ」
と呟くと、それを口に運んだ。
「お前のその我々への気持ち、しかと受け取った。感謝する。」
そう言い残すと男は煙のように姿を消した。するとずっと泣き続けていた女の声も、ゆっくりと聞こえなくなっていった。進んでいなかった夜からいきなり時間が進むかのように、空の色がグルグルとうねりだし、重みのあった空気もどんどん軽くなる。気が付くと空は、早朝の色になっていた。
その後色々調べているうちに「夜泣き石」という話を知った。途中で聞いた刀男の話は間違ってはいないが、「女は金目当ての男に殺された」「その男と成長した子どもが出会い、子どもが恨みを晴らした」という部分が抜けていたようだった。そしてその時の子どもは飴で育てられたようで、その話が基となり「子育て飴」が今でも売られているらしい。
この身に起こった出来事と、この話がどこまで関係しているのかはわからない。しかし私がこれからもこの掛川で過ごす以上、きっと無視できないのだろう。
私がそれから常に、飴を持ち歩くようになったのは言うまでもない。
なきごえ 黒野しおり @kurono_shiori
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