第70話 論功行賞と離間

 暫定的に濃尾の城主を決めて武田家の支配を進める傍ら、岡崎に滞在していた足利義昭を岐阜城に招いていた。


 天守に入ると、義昭はキョロキョロと辺りを見回した。


「ここが岐阜城か……」


 義信が義昭の後に続く。


「これよりは美濃が上洛の拠点となりましょう。公方様がお移りいただけますよう、手配させていただきます」


「おお、何から何までかたじけない。頼りにしているぞ、武田殿」


 上洛が間近に控えていることもあり、足利義昭は機嫌を良くするのだった。






 足利義昭を岐阜に招く傍ら、信玄が南近江と北伊勢を平定し、織田旧領の平定が成った。


 それに伴い織田討伐が終了すると、参戦した各大名たちの間で領地の争奪戦が始まった。


 北伊勢から戻ってきた馬場信春が、岐阜城に集まった面々を見渡す。


「公方様に仇なす織田信長を討ち果たし、来たる上洛の足掛かりを築いたこと、まずはお喜び申し上げる」


 義信や上杉謙信をはじめ、朝倉義景が頷く。


「……して、此度の領地の取り分、旧織田領はすべて武田が治めるがよろしいかと思うが、いかがかな?」


 馬場信春の言葉に、上杉家の宰相、直江景綱が待ったをかけた。


「待たれよ。此度の戦、我が殿は浅井長政を破り、織田攻略に多大な戦果を挙げた。……その殿を差し置いて領地をすべて武田が貰うのでは、こちらも割に合わぬというもの」


 熱弁を振るう直江景綱とは裏腹に、どこか他人事の様子で佇む謙信。


 どうやら、謙信個人は今回の領地争いの話し合いに関心を持っていないらしい。


 それならそれで都合がいい。


 馬場信春が続けた。


「……では、直江殿はどのような配分がよいと申されるのか」


「武田家が尾張、南近江、北伊勢を獲るというなら、美濃の北半分は当家のものとして頂きたい」


 大国である美濃は、北半分だけでも20万石に届くだけの国力はある。


「上杉家の貢献も理解できるが……」


「美濃半分ってのは取りすぎじゃないか……?」


 他の武田家臣が難色を示した。


 美濃は古来より交通の要衝であり、米どころでもある。

 その美濃を手中に収められれば武田家の国力が一気に増すだけに、むざむざと上杉に明け渡すことには抵抗があった。


 しかし、美濃以外にどんな恩賞を出せばよいものか……


 思案する馬場信春を尻目に、義信が口を開いた。


「では、美濃の代わりに越中でどうだ?」


「なに……!?」


 越中といえば、上杉家の本拠地である上越からほど近く、戦略的要衝として確保しておきたい土地であった。


 その越中から武田家が完全に手を引くというのは、あながち悪い話ではない。


 しかし、それには大きな問題があった。


「……越中といえば、大部分は神保家が治めていたはず……。それを此度の戦役の恩賞とするのでは、神保殿が黙ってはおりますまい」


 東部は上杉に臣従しているものの、中部から西部にかけては神保家が治める土地だ。


 武田家が手を引くというのならすぐにでも上杉家に臣従するだろうが、それにしても神保家の意向を無視して領地を決めて、はたして大丈夫なのだろうか。


 直江景綱の心配をよそに、義信が笑みを浮かべた。


「心配ご無用。当主の神保長職殿をはじめ、神保家の重臣は先の戦いで皆討ち死にされ申した。勝手に領地を配ったところで、問題あるまい」


「それは……」


 理屈としては通っており、上杉家の利にも適っている。


 だが、これを飲み込んでもいいものか……


 直江景綱が謙信の顔色を覗うも、謙信は我関せずといった様子でその場に佇んでいた。


 ……この場は儂に一任されるということか。


 覚悟を決めると、直江景綱が頷いた。


「……わかり申した。当家の恩賞は、越中一国で手を打ちましょう」


 上杉が交渉を呑んだことで、話し合いがまとまった。


「……では、これにて此度の論功行賞を終えるよう……」


 義信が話し合いを切り上げようとすると、朝倉義景が口を挟んだ。


「いや、いやいやいや、待たれよ。此度の戦、我らの活躍を忘れてもらっては困る!」


 直江景綱を始め、その場の皆が押し黙った。


「……聞くところによれば、朝倉殿は浅井軍との戦いにも参加せず、その場で傍観していたと聞くが……」


「浅井家は古くから当家と盟約を交しておる。……盟を破っては、義にもとるであろう」


 義景が助けを求めるように謙信に視線を向けた。


「……………………」


「では、浅井軍が撤退したのち、朝倉殿はいかがされた」


「上杉殿と共に、織田の城を包囲した」


 自慢気に自身の戦果を並べ立てる朝倉義景。


 それを見て、馬場信春がぽつりと呟いた。


「……勝敗が決したところで参陣しても、勝ち馬に乗ったと思われるのが関の山だろうに……」


 実際、朝倉軍が目立った軍事行動を開始したのは、上杉軍が浅井軍を破った後のことだ。


 いくら城攻めに参加したとはいえ、朝倉義景の行動に不信感が残るのも無理はなかった。


(ここは朝倉様の顔を立てるか……)


(あるいは朝倉様の要求を退けるか……)


 馬場信春と直江景綱が義信の動向を覗う中、義信が口を開いた。


「……敵軍を前にして戦に赴かぬとは、一軍の将にあるまじきこと! されど、浅井軍を退けた後は上杉殿と協力して城攻めをしたという……。これらの功を鑑みて、朝倉殿の所領を本領安堵といたす」


「なっ……」


 案の定、朝倉義景が絶句した。


 仮にも同じ敵と戦ったというのに、上杉とは雲泥の差だ。


 なにより、公衆の面前で自身の武功を貶されたことに耐えられなかった。


「〜〜〜〜ッ! 儂は帰る!」


 顔を赤くして、朝倉義景はその場を去った。


「よろしいのですか、朝倉様に喧嘩を売って……」


「構わぬ。……どちらにせよ、戦わねばならぬ相手よ。……それなら、少しでも離間の策を進めた方が楽だろう」


 義信の示す先では、一連の流れを見ていた直江景綱と上杉謙信が神妙な顔で佇んでいた。


 ともあれ、これにて論功行賞が成立した。


 足利義昭の承認もこぎつけ、義信の旧織田領の統治が始まるのだった。

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