第42話 帰国
武田、織田、両軍が撤退して、二月が経過した。
織田家としては、義信の攻めとった飛騨、信玄が奪った美濃岩村城の領有を認める形で和睦しようとしていたが、これに義信が待ったをかけた。
「いま和睦を結んだところで、どのみちすぐに矛を交えることとなろう。
ここは一つ、信長に選んで貰おうか。
武田に屈するか、命を賭して抗うか……」
義信が提示した和睦の条件は、以下の通りであった。
武田家が飛騨、美濃東部の領有を認めること。
信長は隠居し、家督を次男信雄に譲ること。
信雄は武田の姫と婚儀を結ぶこと。
幼い信雄の後見人を義信とすること。
これらを条件とし、義信は和睦を提案した。
義信の提示した条件に、案の定、織田家臣たちは激怒した。
「これでは、織田を武田の傀儡にすると言ってるようなものではないか!」
「かような話、認められるはずがない!」
その一方で、織田家に与したばかりの美濃衆の反応は冷ややかであった。
斎藤龍興を見限り織田信長に鞍替えをしたものの、元より織田家譜代の家臣ではないのだ。
当然、信長に対する忠誠が高いはずもなく、今回の和睦交渉も静観を決め込んでいた。
熱くなる譜代の家臣と様子見の美濃衆。
織田家臣団が混沌とする中、信長が口を開いた。
「おれバカだから難しいことわかんねぇんだけどさ〜。いま武田に屈したら、遅かれ早かれ殺されるんじゃねぇの?」
「……と、おっしゃいますと……?」
「気づいていたか? 先の飛騨での戦、武田の先鋒が駿河の国衆だったことを……」
義信は織田が鉄砲を多く用いる軍であることを知っていた。
鉄砲を使えば、当然死傷者も増えるため、最前線では貴賎に問わず多くの者が鉛弾に倒れたという。
それがわかった上で、義信はわざと駿河衆を先鋒に配置したのだ。
「知っているか? 此度の戦で断絶した駿河の国衆も少なくないことを……。断絶した家が治めていた土地は、まるまる武田の直轄地にされたらしいぞ」
徳川家康をはじめ、織田家臣たちが息を呑んだ。
「武田義信は手段を選ばない男だ。いま当家が武田に屈したところで、滅ぶのが早いか遅いかの差にすぎぬ……。
それなら、死に物狂いで抗った方が得だろ」
信長の檄に、譜代を問わず家臣たちが力強く頷いた。
……もっとも、先鋒は駿河衆が多かったのは間違いないが、断絶も直轄地云々も信長の憶測にすぎないのだが。
帰国の途上、岩村城に向かう兵とすれ違うと、飯富虎昌がぽつりとこぼした。
「飛騨攻めの遠征に赴いたはずが、結果的に東美濃の要衝を奪えるとは……」
「いや、豊かな西美濃を奪えなくては意味がない。東美濃を奪ったところで、ほとんど山でしかないからな」
感慨深いといった様子の飯富虎昌に、義信が釘を差した。
とはいえ、岩村城を奪えたことで、美濃攻略の足掛かりが掴めたのは確かだ。
甲斐に戻ると、義信は改めて信玄に礼を述べにやってきた。
「此度の侵攻、ありがとうございました。父上のおかげで首の皮一枚繋がりました」
「なに……これくらい、どうということはないわい……。それより、どういうことじゃ。越後の長尾に援軍を頼んだというのは……!」
信玄と謙信の対立は根深い。
それゆえ、謙信が上杉姓を譲られたのちも、信玄は旧姓の長尾と呼んでいた。
「公方様にお願いして、一筆したためて頂きました。公方様からのお願いとあらば、上杉とて無下にはできますまい」
「しかし……」
「考えてもみてください。上杉に飛騨を守らせたおかげで、武田は美濃侵攻の足掛かりを得られたのです。これを祝わずしてどうするのですか」
信玄がううむと唸った。
義信の言葉は理に適っている。適っているのだが、上杉とは長年敵対してきたのだ。
それだけに、やはり素直に喜べないものかあった。
「それでは、私はこれにて……」
義信が腰を浮かすと、信玄が呼び止めた。
「なんじゃ。せっかく久しぶりに戻ったのじゃ。もっとゆっくりしていけばよかろう」
「お気持ちは嬉しいのですが、これから大仕事が待っておりますゆえ……」
「大仕事?」
「武田、上杉、北条で三国同盟を結んでこようかと……」
「なんじゃと!?」
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