第38話 追撃と殿

 飛騨における武田家の拠点、松倉城までやってくると、上杉謙信は足利義昭に挨拶の口上を述べに来た。


「公方様にお目通り叶いましたこと、恐悦の至りにございます」


「うむうむ。お主の武勇、都まで響いておるぞ。上杉殿が力を貸してくれるとあらば、百人力よ!」


「もったいのうお言葉にございます。我が武、我が刃は幕府再興のためにあります。必要とあらば、遠慮なくご命じください。……手始めに逆賊織田信長を討ち果たしてご覧にいれましょう」


 幕府への忠義を見せる謙信の元に、織田軍退却の報せが舞い込むのだった。






 織田軍が退却したとの報せは、すぐさま義信の元に入った。


「やりましたな、お館様!」


「織田軍を退けましたぞ!」


 織田軍退却の報に沸き立つ家臣を諌めるように、義信は高らかに宣言した。


「これより追撃を仕掛けるぞ」


 義信の言葉に家臣たちが目を剥いた。


「お待ちください! 先の戦で、我が方の兵力はほとんど残っておりませぬ。無理に追撃をすれば、こちらの損害が大きくなりましょう! 」


「左様。ここは織田軍を退けたということで、ひとまずはよしとしましょう」


 消極的な意見が出る中、義信が家臣たちを睨みつけた。


「お主らはみすみす好機を逃せと言うのか?」


「なっ……」


「こ、好機ですと!?」


「次に相まみえる時は、信長はさらに入念な準備をして挑んでくるだろう。……だが、今信長を討てばすべてが丸く収まる」


 違うか? と義信が視線を向ける。


「たしかに……」


「一理ありますな……」


「各々、動ける者を集めて軍を再編しろ。……すぐに追撃を仕掛けるぞ!」





 飛騨からの撤退を始めていた織田軍の元に、武田軍の追撃が迫っているとの話が舞い込んできた。


「なんと!」


「武田が追撃を!?」


 織田軍の強攻を前にかなりの兵が消耗したにも関わらず、まだ戦えるとは……


 呆れる強靭さだが、武田の追撃に構っている余裕はない。


 今は一刻も早く美濃に帰らなければならないのだ。


 とはいえ、背後を突かれるのは避けたい。


「誰か、我こそは殿しんがりとなり武田の追撃を食い止めようという者はいないか?」


 信長が家臣たちを見回すも、誰もが俯き、顔を合わせようとしない。


「見事に食い止めた暁には、恩賞は思いのままだぞ」


 破格の恩賞を提示するも、家臣たちは石のように動こうとしない。


 ……ただ一人を除いて。


「殿、それがしにおまかせを!」


「サル!」


 秀吉の顔を見て、信長の顔が明るくなった。


「不詳、木下秀吉! 必ずや武田軍を食い止めてご覧いれましょう!」




 危険な殿の命令であったが、ここで生き残れば恩賞は確かなのだ。


 ならば、ここは受けない手はない。


 そう考えた秀吉は、動ける者を連れて山道を塞ぐように布陣した。


「よいか! ここを生き延びれば、恩賞は思いのままぞ!」


「浴びるほど酒飲んでもいいんスか?」


「飲んでヨシ!」


「俺、いっぺんでいいから金の海を泳いでみたかったンすよ」


「泳いでヨシ!!」


「国中の女子、抱いてもいいンすか!?」


「抱いてヨシ!」


 秀吉の檄に兵たちが奮い立った。


 恩賞があれば、いくらでも命を賭けられる。


 そんな気迫で、兵たちは静かに鉄砲を構えた。


「撃てッ!」


 秀吉の号令に、鉄砲が火を吹いた。


 迫りくる武田兵が次々と倒れていく。


 しかし、怯まず武田の後続が続いてきた。


「もうここまで迫ってくるか……」


 次の弾込めまで武田が待ってくれるはずもない。


 秀吉は兵たちに撤収を命じた。


「走れ! 走りながら弾込めしろっ!」


「そんな〜」


「無茶っスよ〜」


「お前たちは恩賞が欲しくないのか!」


 兵たちに無理やり弾込めをさせると、秀吉は再び鉄砲を構えた。


「撃てるやつから撃っていけ! 一人でも多く武田兵を討つのじゃ!」


 秀吉の指揮の元、殿部隊は粘り強い働きを見せた。


 しかし、一人、また一人と討たれ、とうとう残るは秀吉だけとなってしまった。


 それでも抵抗を続けるも、足場が悪いせいかその場に転んでしまった。


(ちくしょう……!)


 そのまま意識を失い、秀吉の視界は暗転するのだった。

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