第29話 飛騨侵攻

 義信が三河を発ったとの知らせは、またたく間に信玄の耳に入った。


「ほう、当主に就いて間もないというのに、もう上洛する気か。まったく……儂に天下を見せると言った手前、逸っておるのだな……」


 仕方のないやつめ、と呟く信玄。


 口振りとは裏腹に、どこか上機嫌で家臣に尋ねた。


「して、どこに攻めた。尾張か? 美濃か?」


「いえ、それが……」






 飛騨、姉小路領。


 姉小路良頼が本拠地を構える松倉城に、四割菱の旗が悠然とたなびいた。


「た、大変だ……!」


 見張りをしていた兵が報告に行くのと同時に、義信率いる武田軍の攻撃が始まるのだった。






「武田義信が飛騨に攻め込んだ!?」


 岐阜城にて報告を聞いた柴田勝家が大声で叫んだ。


「その話、間違いないのか?」


「はっ、武田軍1万に攻められ、松倉城は落城。姉小路親子は美濃に落ち延び、当家の庇護を求めているとのよしにございます」


「なんということじゃ……」


 予想だにしない報告に、柴田勝家が呆然とつぶやいた。


「飛騨が取られては、美濃の北側が危うくなるぞ……」


「もしものことがあれば、浅井に援軍を要請すれば、あるいは……」


「六角との戦が激しくなってる今、果たして援軍を送るだろうか……」


「むしろ、背後の守りを固めてもらってる分、こちらも守りやすくなるのではないか?」


 意見を出し合う織田家臣たちを尻目に、信長の元に身を寄せた徳川家康が声を張り上げた。


「此度の侵攻、美濃の北を抑えるのみにあらず。武田の目的は、我らと上杉が手を組むのを阻止することでしょう」


「なに……?」


「どういうことじゃ」


 口々に疑問を述べる家臣たちに、家康が地図を広げた。


「飛騨を抜ければ越中に続いており、上杉の越後まで抜けることができましょう。

 もし武田が飛騨を抑えれば、我らは危険を承知で飛騨を通って使者を送るか、北陸を迂回するしかありませぬ。……そうなれば、武田相手に上杉との連携は難しくなりましょう」


「なるほど……!」


「此度の飛騨攻めにそんな狙いがあったのか……」


 織田家臣たちが納得した様子で頷く。


 そんな中、家康の説明を聞いていた信長が口を開いた。


「おれバカだから難しいことわかんねぇんだけどさ〜。なんで義信は1万も軍を持って飛騨に攻め込んだんだ?」


 信長の疑問に家臣たちが顔を見合わせた。


「それは……」


「我らに手を出される前に、早急に飛騨を攻め落とす必要があったからでは……」


「だからって、飛騨を落とすのに1万もいらないだろ。せいぜい5000……多くて8000もあれば余裕で落とせる。……なのに、なんで義信は1万も兵を用意したんだ?」


 試すような口振りで家臣たちに尋ねるも、誰もが信長と目を合わせようとしない。


 ──ただ一人を除いて。


「わかるか、サル」


 サルと呼ばれた若武者──木下秀吉が待ってましたとばかりに笑みを浮かべた。


「おそらく我らに介入されるのを嫌ったのかと。飛騨の姉小路様は殿と相婿あいむこの間柄……。万が一、殿に援軍を出されては困るゆえ、大軍を擁したのでしょう」


 秀吉の説明を聞いて、信長が唸った。


 やはりこのサル、目端が効く。


 だが、一番大事なところを見落としている。


「それもあるだろうが、一番は武威を見せつけるためだろ」


 信長の言葉に、柴田勝家がポツリとつぶやいた。


「いったい、誰に……」


「おれや上杉、朝倉に見せるには少なすぎる……となれば答えは自ずと絞られる。さしずめ越前におわす公方様に見せるためだろ」


 家康と秀吉が目を見開いた。


 まさか、武田義信が飛騨を攻めた真の目的は……


「公方様のために大軍を興し、お迎えに上がるためだけに1万もの軍で飛騨を制圧して見せたらどうだ。

 飛騨を京に重ね、公方様はさぞお喜びになるに違いない。

 さしずめ此度の侵攻、上洛前の前哨戦よ」


 信長の話を聞いて、家臣たちが息を呑んだ。


「まさか……」


「武田は当主を交代して間もないのですぞ? そんな状況で上洛するなど……」


「考えてもみろ。武田は公方様の仲介で北条と和議を結んだ。そして、越後の上杉は公方様に弓を引くようなことはない。……東と北の憂いがなくなり、公方様という大義名分が手に入ったんだ。……上洛するまたとない好機だろ」


「な、なるほど……!」


「そういうことでしたか……」


 信長の説明に、家臣たちが納得したように頷く。


「……して、殿はいかがされるおつもりで?」


「姉小路殿に会ってくる。……公方様に媚びを売るためとはいえ、武田に本拠地を落とされたんだ。察するに余りあるってもんだろ」


 そう言って、信長は席を立つのだった。



あとがき

ノッブのキャラは書いていて楽しいですね


ちなみに、今の時点で織田家は尾張、美濃、伊勢北部を手中に収めており、だいたい150万石くらいの国力があります。

それに対して武田家は東海三国で70万石、甲信で60万石、上野西部で15万石。合わせてだいたい145万石ですね。

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