第14話1.14 温泉と言ったらやっぱり……
湖畔を外れた道は森を抜け温泉のある山を登り始める。やがて、日本語で『雪花亭』と書かれた看板を掲げる古びた門へとマモルたちを導いた。
「今、開けます」
車から降りたルミナが門を開ける。マモルはゆっくりと車を進めた。
「はぁ~、これはまた、趣のある宿だね」
――って、創造主は本当にジ〇リ好きだね
赤い欄干が付いた橋の向こう岸にある旅館を見てマモルは内心で苦笑する。
そこに。
「ほれ、何を呆けておる。ルミナは先に行ってしまったぞ。はよ案内するのじゃ!」
目を輝かせたシラユキから催促が入った。
「すみません。参りましょう」
少し頭を下げた後、マモルはシラユキを連れて橋を渡る。そして見えてきた旅館の全貌は――アニメとは異なって普通の旅館だった。
だが、マモルは知らなかった。この旅館はアニメの題材とされた建物をモチーフとしていることを。
――さすがにそこまでは再現していないか
そんなことを知らないマモルは軽い失望と大きな安堵を胸に正面玄関の前に立つ。すると中から桃色の――今度こそアニメそっくりな装束を着たルミナが現れた。
「いらっしゃいませ。シラユキ様」
「うむ、旅館にはその服がよく似合うの」
「ありがとうございます」
「マモルも早く着替えてこい」
「へ、私もですか?」
「もちろんじゃろ。我を楽しませるのじゃろ?」
バン! とマモルは尻を叩かれる。
――本気で? ってか、シラユキ様、やけに詳しいな。地上でも旅館あるのかな……日本のアニメに似せた?
マモルは心に引っ掛かりを覚えながらも客に逆らう訳にもいかず、ルミナに教えてもらった部屋で白い装束へと着替える。
そして改めて。
「「いらっしゃいませ」」
ルミナと並んで玄関口でシラユキを出迎えた。
「よいの、よいの」
部屋に案内したシラユキは上機嫌だった。
入ってすぐマモルの目の前でワンピースを脱ぎ去り浴衣に着替えたかと思うと、畳の上でゴロゴロと転がったり、ルミナが持ってきた饅頭をぺろりと食べてお茶をすすったり、随分と旅館慣れしているようだった。
「シラユキ様は旅館によくお泊りになるので?」
「……いや、そういう訳ではないが」
マモルの問いかけを聞いた途端、再び畳の上でゴロゴロしていたシラユキが座布団の上に正座してお茶をすすりだす。
――あれ~、俺何か聞いてはいけないことを言ったか?
マモルは少し焦った。ここまで概ね、ご機嫌だったシラユキなのに、急に態度が変わったから。
――詮索みたいに聞こえたのかな、うん、気を付けよう
失敗と認識したマモルは密かに反省する。そして、シラユキの気分を変えさせるために。
「シラユキ様。お風呂の準備が整ったようです。ご案内します」
シラユキを温泉へと誘った。
温泉設備は旅館の裏手、専用の建物内にあった。男女共に内風呂あり、サウナあり、ジャグジーあり、露天風呂ありと充実した設備となっていた。
「こちらでございます」
マモルは女風呂の暖簾の手前で頭を下げる。
――温泉にも詳しそうなシラユキ様なら説明は要らんだろう。彼女が風呂に入っている間に少し休ませてもらう
などと目論んでいたが――甘かった。
「うむ。では入ろうぞ」
マモルはシラユキに手を引かれ女風呂へと連れ込まれた。
「あの、シラユキ様。ここは女湯でございますが」
「それがどうしたんじゃ。旅館には、お主とルミナ以外居らぬのじゃろ。お主が入っても文句を言うやつはおらん」
「ですが――」
「なんじゃ、ぐじぐじと。さっさと脱ぐのじゃ」
女湯に入ることに抵抗を示すマモルのズボンをシラユキは引きずり下ろしに来る。
「わ、分かりました。自分で脱ぎますから」
「ふん。最初からそう言えばいいものを……」
シラユキは、やれやれと首を横に振ってから自分も浴衣と下着を豪快に脱ぎ去った。
「それ、行くぞ!」
「シラユキ様。少しは女としての恥じらいを――」
タオル一つ持たず駆け出していくシラユキへマモルは苦言を呈するが彼女は全く聞いていない。
それどころか。
「ほれ、マモルよ。我の髪と体を洗うのじゃ!」
洗い場から恥ずかしげもなく要求を突き付けてきた。
――はぁ、いきなり子持ちになった気分だ
マモルは内心でため息をつきながらも、洗わせていただきます、とシラユキの後ろに陣取る。そして、シャワーで彼女の頭からお湯をかけた。
「にひひ、主、なかなか上手じゃの」
「そうですか? 長い髪を洗うのは初めてで、気を使います。とても綺麗な髪ですしね」
「誉めても何も出んぞ」
照れたのかプイと顔を背けるシラユキを見てほっこりとした気分になったマモルはシャンプーを手で泡立てて、まるでシルクのような手触りの髪を先までしっかりと洗っていく。その後、一度シャワーでシャンプーを流してから次はトリートメントを髪に塗っていった。
「はい。髪の毛は綺麗になりましたよ」
「うむ、良い仕事であった。では次は体じゃ」
「ええー、背中だけですよ」
「けち臭いの。じゃが、ま、それで許してやるのじゃ」
気に入らないけど大目に見てやるとばかりにシラユキは腕を組んでふんぞり返る。マモルはその反り返った背中を泡立てたタオルで洗っていった。
「後は、御自分で」
「分かっておる。お主も洗うのじゃ。でないと湯船には入れさせんからの!」
黙って女風呂から出ようと算段していたマモルに釘を刺すようなことをシラユキが告げてくる。
「はいはい、分かりました」
逃げられないと諦めたマモルは女湯であることを気にしながらも、誰も来ないからいいか、と体を洗い始めた。
「いい湯ですね」
「いい湯じゃな」
洗い終えたマモルが先に入っているシラユキの隣に腰を下ろすと、彼女は、にかっとした笑みを向けてきた。マモルは、そんなシラユキに笑みを返しながら頭にタオルを置いて首までしっかり湯に浸かって体を休めた。
――温泉なんて、いつ以来だ
揺れる水面を漠然と眺めながらマモルは考える。だが地球では出張に次ぐ出張で休みらしい休みすら取ったことなかったマモルの脳裏には温泉どころか湯船に浸かった記憶すら思い出されなかった。
――枯れた人生送ってたんだなぁ……
辛い過去のことを忘れるようにマモルはゆっくり首を横に振る。するとシラユキも自身と同じように頭にタオルを置いて入っているのが目に入って、気になった。
「シラユキ様の温泉マナーは、私の故郷でのスタイルと似ていますね」
「む、温泉の入り方など、どこでも同じじゃろ?」
「いえいえ、これがそうでもないんです。温泉に親しみのある国も少なくないのですが、そんな国でも温泉に入るときに裸で入る国はほとんどありません。大概は水着を着ていますね」
「そうなのか、それでは体も洗えんし、くつろげんではないか?」
「ははは、まぁ、それは文化の違いですかね。風呂が日常的にあるかどうかの」
「ということは、じゃ。マモルの育った国の文化では風呂が日常的にあったのか?」
「ありましたねぇ。どの家にも湯船があって、さらに町中に銭湯があって、温泉地では旅館が立ち並んで、大人から子供まで親しんでいましたよ。……まぁ、最近の若い人は湯船に入らずシャワーで済ます人も多いらしいですが」
話しているうちに体の芯からぽかぽかと温かくなってきたマモルは目を閉じて半分寝ながら話続ける。
おかげでシラユキが目をランランと輝かせて見つめていることに気が付かなかった。
「ふーん、なるほどの、良さげな国じゃの。名を何という?」
「日本ですよ。おもてなしの国、日本。ジャパンと言った方が分かりやすいですかね」
「そ、そーか。二ホンか。ふーん、なるほどの」
「って、あれ? シラユキ様が日本を知っているはずが――」
脳内に浮かんだ疑問について問おうとしたが無理だった。
「それ!」
シラユキがマモルの上に座ってきたから。
「し、シラユキ様⁉」
一気に眠気が吹き飛んだマモルが叫ぶ。だがシラユキは意にも介していなかった。
「ふふん。良い座り心地じゃ」
「いや、いくら何でもこれはやりすぎでは?」
さらに苦言を呈するマモルにシラユキは背中を預けてくる。
マモルは言っても聞かないのなら、と無理やり降ろそうとして出来なかった。
「エーテル、足りておらぬのじゃろ?」
シラユキが突然、核心を突いて来たために。
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