第50話 畑のマリア 最後のひとかけら(終わり)

 ビアンカはすっかり兄の話すキュウリの栽培に引き込まれてしまった。


「それが、上手くいってね。あの様子だと、冬でも生産できそうだ。一年中キュウリが食べられるかもしれない」

「本当ですか!!」


 がたりと立ち上がりそうなほど、ビアンカの食いつきが良かった。


「今は僕の火属性魔法が頼りだけれど、もしお前が魔道具を作ってくれるならば、量産も夢ではないかもしれないなあ。先ほど見たお前の畑の水魔法の塩梅は素晴らしいものがあった」

「……」


 ビアンカが黙り込む。


「どうしたの、ビアンカ? 急に黙り込んだりして」

「私、お家に帰ろうかと思ったんです」

「本当か!」


 サティアスが、ビアンカの瞳を探るように覗き込む。彼女は、もう根負け寸前だ。


「はい、でも、今帰るっていうと、まるで私がキュウリにつられたみたいじゃないですか」

「え、違うのか? お前ならケーキとキュウリで説得できると思っていたんだが」

「ほら! 私、ずっとそれいわれますよね」


 ビアンカが涙目で兄を見る。するとサティアスがポンポンと妹の頭を撫でた。


「言わないよ。じゃあ、やり直そう。ビアンカ、僕が寂しいから帰ってきてくれ」


 その言葉はじんわりと胸にしみ、こくりと頷くビアンカの目から涙があふれる。


「お兄様……私も寂しかったです」



「おいで、ビアンカ」


 サティアスが、腕を広げるとビアンカが飛び込んできた。


「ごめんなさい。お兄様、他の誰かと結婚して欲しいなんて嘘です。私……私は、お兄様が思っているほど清廉な人間ではありません。だから、家を出たんです。本当は……」


 ビアンカの嗚咽が漏れる。サティアスが宥めるように背をなでてやる。


「ビアンカはビアンカだ。どんなお前も好きだよ」


 サティアスから背中をさすられ、宥められると、少し落ち着いた。あたりは、陽が落ち始め、闇に沈んでいく。兄がポッと小さな魔法の明かりを灯す。最初は離れていたのに今はサティアスの隣に座っている。明かりがつくと思ったよりお互い近くにいた。


「ビアンカ、実はね。お前に黙っていたことがあったんだ」

「黙っていたこと?」

「二つほど……」

「二つもですか!」


 ビアンカが不満の声を上げる。


「一つはね。お前に来ていた縁談を断っていた」

「えーー! 私に縁談が来ていたんですか?」


 驚いてつい大きな声が出てしまう。


「縁談を受ける気があったのか?」

「ど、どうしてもとおっしゃるのなら。ですが、私は修道院……」

「じゃあ、この件は終わりね」


 またも兄がビアンカの続く言葉を遮る。

 サティアスは妹を置いてきぼりにして、さくっとこの話題を終わらせた。


「それともう一つ」

 

 そう言った兄の表情は引き締まり、真剣だ。今までのビアンカを揶揄うような雰囲気はない。きっとこれから大事な話をする。少し緊張し、居住まいを正す。


「ビアンカが、数年前、城に僕が跡取りだという証拠をもって行ったよね」

「はい」

「実はそれだけでは足りなくてね。父上はかなり巧妙に書類を偽造していたんだ」

「え!」


 どきりとした。兄はどうやって切り抜けたのだろう。


「もちろん、あの書類だけでも、父上に金を握らされて口をつぐんでいた使用人もいたから、彼らから、証言をとればすんだ。しかしそれでは時間がかかりすぎる。その間、僕もお前も城に留め置かれるかも知れない。だから、手っ取り早い方法を使った」


 ビアンカはごくりと唾を飲み込む。


「それで、どうしたんです」

「大した話ではないよ」


 そう言いながらも、サティアスが内緒話をするようにビアンカの耳元に口を寄せた。


「うちから、国王陛下の寝所まで、つまりこの国の王の枕元まで秘密の通路が繋がっているんだ。そのことを国王陛下にお伝えしただけだよ」

「ええ!」

「代々の領主がその秘密を読み解けるわけではないだろうけれど、僕がそれを知っていて、父上がその存在すら知らなかったということ。それだけで十分なんだ。簡単だろ?」


 そう言ったサティアスの瞳が、昏い色を湛える。


「まあ、公爵家は王家と仲良しなのですね!」


 ビアンカは嬉しそうににっこりと微笑んだ。


「……」


 妹の無邪気な一言にぴたりとサティアスの動きが止まる。すると彼の肩が震えだす。


「あ……あの、お兄様?」

「ふふふ、あははは、ビアンカ面白い。最高だよ」


 サティアスがいきなり声を立てて笑い出した。これで二度目だ。


「ちょっと待ってください。ひどいです。どこにそんなに笑う要素があったんですか!」


 理由のわからないビアンカが真っ赤になって怒りだす。きっと彼女はサティアスが扱う炎のこともわかっていないのだろう。善良なビアンカは、彼の扱う火魔法がどれほど凶悪か気付きもしない。


「ごめん、ビアンカ、我慢できなくて」


 そう言いながら、まだ笑っている。


「ちっとも面白くなんかないです」


 ふくれっ面をするビアンカの手をぎゅっとサティアスが握る。青い瞳がビアンカを覗き込む。それだけでドキドキした。


「なんです?」


 今まで笑っていた兄が急にあらたまる。


「ビアンカ、僕はね。とても冷たい人間で、ときどき心をどこかに忘れそうになる。だから、お前にずっとそばにいて欲しいんだ」


 兄の言葉に驚いた。彼はとても慈悲深く温かい人だ。悪事を働いた父にもその娘であるビアンカにも寛大だ。それに今日はとても機嫌がいいのかいつになく表情豊かだ。


「お兄様がとても冷たいだなんて思ったことありません。とても面倒見がよくて、公正で優しい方です」

「優しいのはお前にだけだよ」


 そう言って微笑む。またもビアンカはどきりとする。


 だが、彼が冷たいという言葉には納得できない。なぜなら、ビアンカの友人達をとても大切にしてくれるし、誠実でよく働く使用人達にも礼を尽くす人だからだ。ビアンカはそんなサティアスを尊敬している。


 それなのに、じっと見つめられるとドキドキが止まらない。


「家に帰るね?」


 うなずくしかない。


「もう、家出などしないで欲しい」

「それは……」

 

 兄が結婚してからも家に居座るわけにはいかない。


「ビアンカ、お前の子供の頃の夢、覚えてる?」

「え?」


 兄は突然何を言いだすのだろう。ビアンカがポカンとなる。


「ほら、それを口にして父上に泣くほど叱られただろう? 覚えていないのか」


 記憶をさぐると、すぐに思い当たり、真っ赤になった。


「ど、どっ、どうしてお兄様がそのことを知っているのです!」


 ビアンカは慌てた。兄は急に何を言いだすのだろう。それにあの時、兄は聞いていないはず。


「その夢、僕が叶えてあげる。というか、僕しか叶えられないよね」


 そう言ってふっと笑う。


「え……」


 心臓が早鐘を打ち、息が止まりそうになった。


 ビアンカは、この国の第三王子と婚約が決まるより前、「お兄様のお嫁さんになりたい」と言って父にひどく叱られた。そういえば、あの時何も知らない子供だった自分は、どうしたのだろう?

 ――いつものように兄の元へ走り、泣きついた――そのことを思い出す。


 あの時サティアスは何と言った? 


「ビアンカ、大きくなったら迎えに行ってあげる。だから泣かないで」まだ子供だった兄の声と真剣な青い瞳がよみがえる。他愛のない、子供頃の約束。ささやかな思い出。



 最後のピースがカチリと嵌った。どうしてそんな大切な記憶まで失ってしまったのだろう。目の前には大人になったサティアスがいる。



「ビアンカ、迎えに来たよ。結婚しよう」


 ビアンカが望んで望んで……叶わないこととわかり、心の奥深くに沈め続けたもの。答えはとっくに――ずっと昔に――決まっているのに、溢れる涙が邪魔をしてなかなか言葉が紡げない。



「お兄……様、私……」



 こんなにも思われていたのに気づきもしなかった……。



 夜の帳が落ち、星明りが、二人を包むように優しく降り注いだ。






Fin















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