第48話 畑のマリア 攻防
あずまやでは兄と少し距離をとって座る。そうでもしないと懐かしさのあまり、しがみ付いてしまいそう。
「ビアンカ、そんなに距離を取らないでよ」
心なしか兄が寂しそうにみえる。彼はとても強い人だけれど、本当はとても寂しがりや。だから早く素敵な相手をみつけて結婚してしまえばいいのに。
「お兄様、ご結婚は?」
「していないよ」
兄が首を振る。
「私、お兄様には幸せになって欲しいのです。いつも人の為ばかりで、これからは自分の為に生きて欲しいです。私なら大丈夫です」
「生憎と領主になってしまったから、領民の為に生きなければならない。頭の片隅にでも入れておくよ」
そういってサティアスは苦笑する。
「ビアンカ、僕もお前に幸せになってもらいたい。修道院にいて幸せなのか?」
ビアンカは一瞬言葉に詰まる。たしかに毎日充実していた。だが、幸せかと言われるとそれは少し違う気がする。今は、ただ頷くしかない。
「ビアンカ、家から出たのは、記憶が戻ってきた事と関係あるのか? 記憶がなくなる前、僕を避けていただろう?」
どきりとした。
「お前がいきなり暴食し始めたのはなぜだ? 理由が知りたい」
それを言うことに逡巡を覚える。手前勝手な理由で暴食を始めたからだ。
「あの昔の話と思って聞いてください。太り始めたのはずっと前のことですから。今の私は全然違いますから。その頃はとても子供だったのです!」
ビアンカが「子供だった」と強調するとサティアスが小さく笑う。
「わかったよ。話してごらん」
すこし緊張した。本当のことを話さなければ、きっと兄は引かないだろう。
「スチュアート殿下との婚約が嫌だったのです」
「それは、殿下の浮気が嫌だってことだよね」
「え?」
ビアンカが意外なことを言われたというように目をぱちくりとさせる。
「違うのか? 僕の記憶ではその頃からビアンカが、暴食を始めたように思うけれど。あの人、フローラの前にも何人か学園の女生徒と親しくしていたよね?」
「あ、ああ、そんなこともありましたね。それも嫌でした」
ビアンカは今思い出したというように、はたと手を打つ。
「だから、殿下が好きで、やきもちを焼いて、やけ食いが始まったんだよね」
サティアスが確認するように言う。
「お兄様、恥ずかしいから、やけ食いとか言わないでください。食べ始めたのは本当に自分勝手な理由からです。誰も悪くありません!」
ビアンカは真っ赤になる。
「それで、何が原因で僕と口を利いてくれなくなったの?」
そうサティアスに聞かれた時、一瞬息が止まりそうになった。
「それも自分勝手な理由からです」
「そんなの聞いてみなければ、わからないだろ」
兄が納得してくれない。ビアンカは腹をくくった。とうとう言わなければならない日がきた。サティアスの反応が怖い。
「お兄様が、ヘンリエッタ様と仲良くしているのに、その妹がまわりをウロチョロとして邪魔をしてはいけないと思ったからです」
「え? お前を邪魔だと思ったことなどないよ。ん? そういえば、あの頃から、一緒に遊ぼうと誘ってもこなくなったな」
「だって、二人の間に入り込めないですよ」
ビアンカがもじもじと言いづらそうに下を向く。あの頃は一歳上のヘンリエッタがとてもお姉さんに見えた。
「なぜだ? 普通に寂しかったよ。というかたったそれだけの事か」
「それだけの事って……。だ、だからっ! 昔の話ですし、私の勝手な理由っていったじゃないですか」
ビアンカが真っ赤になって食い気味に言う。それを聞いたサティアスが天を仰ぐ。
「なんだ。ひどいな、言ってくれればよかったのに。僕はすごく悩んでしまったよ」
「そんなこと! 言えるわけないじゃないですか!」
「どうしてだ」
兄はさすがに少し不機嫌な様子だ。
「だって、婚約のこともあったし、私、その頃はお兄様と実の兄妹ではないと思っていたし、それを黙っていたのだから、誰か……綺麗な人と仲良くしているのを見ているのが辛いなんて言えるわけないじゃないですか!」
ビアンカ、思わず大きな声をだす。
「それって、つまり」
「さっきから、自分勝手な理由だって」
サティアスが慌てて遮る。
「ビアンカ、違うよ。僕が言いたいのはそういう事ではなくて」
兄はそこでこほんと咳払いする。
「やきもちを焼いていたの?」
ビアンカが真っ赤になる。
「だから、さっきからそう言っているじゃないですか!」
「いや、言っていないよ。今初めて聞いた。とんだ誤解をしてしまったよ。ちょうどお前の婚約が決まる時期だったし、何か僕が無神経なことを言ってしまったのかと」
確かにサティアスはビアンカが何かやらかせば叱る人だが、無神経だと思ったことはない。
「全然違います! それに殿下は、その……手が早いという噂があったので」
「まさか、何かされたのかっ!」
サティアスの勢いに驚き、慌ててビアンカが首を振る。
「それが嫌なので、一生懸命食べて太りました。殿下は太っている女性が嫌いなんです」
「え、じゃあ、ビアンカが太った理由って、殿下本人がいやだったのか?」
ビアンカが首をたてに振る。
「そうです。別に誰のせいでもありません。私が勝手に太りたかっただけです。お兄様が悩むほど深刻なものではありません」
確かに彼女は食べることが好きだが、どちらかといえば食は細い方だ。太るのは大変だったろう。それに年頃の娘は見た目を気にするものだ。それでも無理をして食べた。
それほど嫌だという事に、どうして気付いてやれなかったのかと、今更ながら胸が痛む。それとともに湧いてくる高揚感に罪悪感を覚えた。
「ビアンカ、僕はお前に慕われていたと己惚れていいのかな?」
ビアンカが真っ赤になる。
「子供の頃のことです。だから、私はここの修道院で元気にやっていきます。お兄様はヘンリエッタ様と幸せになってください!」
父、ゴドフリーのせいで兄はとても苦労した。だから、今度は自分自身の為に生き、幸せになってほしい。それが、妹としての願いだった。
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