第47話 野菜を育てます

「マリア! そろそろお祈りの時間ですよ」

「はーい。今行きます」


 高台の修道院からふもとの街に鐘がなり響く。御祈りの時間だ。すっかり畑仕事に夢中になってしまった。ここに来て一年が過ぎた。


 マリアの作る野菜は育ちがいい。それもそのはず、密かに水魔法を使っているのだ。そのおかげで渇きがちな土壌はいつもふんだんに水気を含んでいる。もちろん畑は広いものではなく。自給自足の分で、範囲はせまい。広範囲となると水魔法だけでは賄えない。そのうち何か魔道具をつくらねば。


 しかし、庶民ばかりのこの修道院では魔法を使える者はいない。マリアは魔法が使えることを秘密にしていた。


「それにしても不思議ね。マリアの育てる野菜は水が少なくても良く育つのね」


 シスターレナータが感心したように言う。


「そっ、そうですね。よかったです」


 良い事をしていても嘘をついているので、どきりとする。ここの土壌は乾いていて野菜の育ちが悪いのだ。だから、水分を深くまで含ませるだけで随分違う。


「あなた、いまここでなんて呼ばれているか知っている?」

「え? マリアですが」


 不思議そうに小首を傾げる。するとシスターレナータがけらけらと笑う。ここの修道女はみな明るく豪快で、大きな声で話す者が多い。


「そうじゃなくて。あなた本当に面白いわね。『畑の聖女様』って呼ばれているのよ」

「聖女様ですか! 素敵な響きです」



 どうやらここで役に立てているようだ。マリアは嬉しくなった。


 厳粛な雰囲気の中で祈りを終えた後、再び畑仕事に戻ろうとすると、院長のガブリエラによびとめられた。


「あの、マリアにお客様がきているの」

「私にお客様ですか?」


 まさか兄に見つかったのだろうか? 


「それが、畑の野菜を上手に育てる聖女にお会いしたいというのよ」


 自分はこの街でそんなに有名になったのかと驚いた。誰かの為に役に立てるかもしれない。そう思うと嬉しい。マリアは客が待つという畑へいそぐ。

 するとそこには輝くような金髪の青年が立っていて……。優しく微笑んでマリアを迎える。


「すごいね。それが、卒業制作で頑張って作っていた魔道具? ほんとに瞳が茶色くなるんだ。売り出せるかもしれない。それと、その髪は染めているのか? 傷むぞ」


 彼の前から姿を消すにはこの特徴的な瞳の色を隠すしかない。

 フードから零れる茶色の髪に目にとめ、心配そうに手を伸ばす、ぶち壊しなひとことをいう見知った人。家族とはこんなにも遠慮のないものだっただろうか。


「わ、私は、マリアです」


 マリアは慌ててフードで顔を隠す。


「そうだね、失礼した。マリア」


 マリアがばつが悪そうな顔をすると、兄がくすくすと笑う。


「ごめん、ごめん、それで、二つ名は畑の聖女だっけ?」

「ひどいです。お兄様、それ絶対に馬鹿にしていますよね!」


 マリアが涙目で抗議する。


「あーあ、自分からお兄様って言っちゃったね。ビアンカ。ああ、マリアだっけ」


 まだ、くすくすと笑っている。真っ赤になって怒っているビアンカの頭をサティアスが優しくなでる。


「もう、一年になる。そろそろ帰っておいで。家出はもう充分だろう」


 決死の覚悟だったのに、兄のなかでは家出としてあっさり処理されていた。一年近く離れていたのに、不思議なほど元の兄妹の関係に戻っている。


「お兄様、私が書いた手紙読みましたか?」

「読んだよ」

「怒っていないのですか?」

「どうして怒るの?」

「だって、私、記憶が……」

「自分の日記を見つけて少しずつ読むうちに思い出してきちゃったんでしょ。ちゃんと手紙は読んだ。ついでに誤字も直しておいたよ」

「え!」

「冗談だよ。誤字なんてなかったよ」

「なんだか、今日のお兄様は意地悪です」


 ビアンカがしょんぼりと肩を落とす。


「当然だろう? いきなり出て行ってしまったんだから。メイドを減らしたのが悪かったのかな。今思うと実に家出しやすい環境だった」


 そう言って肩をすくめる。久しぶりに会う兄は相変わらずとても素敵だ。ビアンカは慌てて目をそらす。


「ちゃんと心配させないようにお手紙書きました。あの、でも記憶をなくす前の私は、お兄様が、実子じゃないという事を知っていて」

「ああ、読んだよ。僕が学園に行っている間に遠い国から叔母さんが来て、父上に突撃したんだってね。そこで僕が『実子ではないのでは?』と漏れ聞いてしまったと」


 サティアスが学園へ行っている間に、ただならぬ様子の美しい貴婦人が父の元へやってきた。つい気になり、盗み聞きしてしまったのだ。そのことを思い出し、ビアンカは恥ずかしさと罪悪感で顔を赤くする。


「わたし、それを知りながら、お兄様に黙っていたんですよ」

「仕方がないだろ。お前はその頃まだ子供だったのだから」


「でも、雰囲気からして、ただ事ではないのは気付いていました。学園に通うようになって、いろいろ勉強していくうちに実はとんでもない事なのではないかと、父がなにか悪いことをしたのではないかと思って……それなのに怖くてお兄様に黙っていた。一言で済んだのに、私は口をつぐんでいたのです」


 ビアンカが気の毒なほど、声も手も震わせる。


「その挙句の果てに、記憶喪失になっちゃうし」


 ポツリとこぼす。本当はビアンカがバルコニーから突き落とされたあの日、父に対する疑いを兄に話そうと決心していた。それを今更いったところで時は戻らない。


「それは不可抗力だろう? 証拠もないし、詳細を知らなかったわけだし。ここで立ち話もなんだから、あそこのあずまやにでも行こう」


 兄が示す先に粗末なあずまやがある。日曜日は信者の憩いの場所となる場所だ。二人はそこに差し向かいに座った。


 サティアスに真実を直接告げることなく、置き手紙だけを残して黙って出てきてしまった。そのことにビアンカの良心がチクチクと痛む。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る