第45話 叔母がやってきた

 本来なら心苦しく思うところだが、そう思わせないのがサティアスで、どこかへ出かけると必ずビアンカの好物を土産に買ってきた。


「ビアンカ、新しく開店した店のタルトが手に入ったよ」

「まあ、凄い! なかなか手に入らないのですよ。予約していたのですか?」


 ビアンカは兄の帰りが遅いと待ちわび、いそいそと玄関まで迎えに出ることもしばしばだ。


 ほどなくしてお茶とともに、兄の買ってきたタルトが出された。

 

 しっとりとしたタルト生地に上に濃厚なカスタードクリーム、その上にはイチゴはじめとしたみずみずしい赤いフルーツが所狭しと並べられている。表面は、うっすらと膜をはるように透明の薄いゼリーでおおわれ、きらきらぷるぷると光を反射していた。


「きれい、食べてしまうのがもったいないわ」


そう言いながらも、ビアンカはタルトを切り分け口に運ぶ。カスタードの濃厚さにフルーツの香りも負けていない。調和のとれた美味しさに思わず口元が綻ぶ。


「最高に美味しいです!」

「良かった」


 兄が喜ぶビアンカの姿を目を細めて眺める。彼は甘いものをあまり食べないのにビアンカの為に買ってくる。

 気付けば、それは二人きりになる前と何ら変わりはなく。というより、父がいないせいかさらに甘やかされている。


 そのうえ、イレーネが去ってから、屋敷の料理が格段に美味しくなった。ビアンカは、ふと思う。こんなことでいいのだろうかと。兄に大切にされればされるほど幸せを感じ、その一方で……。


(私は、あの父の娘だ)


 そんな気持ちが強くなる。







 父が幽閉され母も去っていたある日、他国へ嫁いだ叔母が遠路はるばるやってきた。兄妹は、まだ見ぬ叔母と細々と手紙で連絡を取り合うようになっていたのだ。そして今日やっと彼女と会うことがかなった。


 叔母は子供がいると思えないくらい若々しく美しい人だった。


「本当にごめんなさいね。私の力が足りなくて、ゴドフリーの横暴に気付きながら止めることが出来なかった。私がもっと強ければ、こんなことにはならなかったのに」


 叔母が泣きながら、サティアスの手を取り謝る。遠い異国に嫁いだ叔母はユージン夫妻から子供が生まれてくるのを楽しみにしていると便りを貰っていた。叔母自身もその頃身重だったので喜んでいた。


 ところが、突然の夫妻の事故死を何か月もたってから聞いた。子供はどうなったのかと問い合わせても、ゴドフリーはしらを切るどころか連絡すらよこさない。


「もともとゴドフリーとは、あまり付き合いがなかったのよ。魔力がないことをひがんでしまってね。私達とは口も利かなかったわ。

 私が学園で出会った他国の留学生の元へ嫁いでから、ゴドフリーとは音信不通だったの。父母も早くに亡くなっていたし、頼りはユージン兄様だけだった」


 叔母は子供達の手が離れると、音信のないゴドフリーが気になってケスラー家にやってきたのだという。すると、ユージンの子にしか思えない年齢の子供がいることを知った。


「だから、着く早々、問い詰めたのよ。そうしたら、たたき出されて、縁を切られてしまったわ」


 と悔しそうに話す。そして兄妹に温かい視線を注ぐ。


「それにしても、ビアンカ、可愛いわね。コーネリアに似たのね。

 二人はよくある政略結婚でね。今では絶えてしまったけれど、彼女はケスラー家の分家筋だったの。コーネリアはとても魔力が強かったのよ」


 そう言って微笑む。叔母とコーネリアの関係は良好だったようだ。


 一週間ほどの滞在で叔母は帰って行った。帰路は二ケ月近くかかると言う。国では夫と四人の子供達が待っていると言っていた。


 兄妹は心づくしの歓待をし、たくさんの手土産をもたせ、再会を約束して見送った。








 父がいた頃、ビアンカの元に降るようにきていた縁談の話がぱったり途絶えた。たくさんいた婚約者候補たちはいつの間にか煙のように消えてしまったようだ。




「私、このままではお兄様のお荷物になってしまいます」


 二人きりの家族となって二年近くが過ぎたある日、食卓でビアンカが呟く。彼女は最終学年になっていた。


「ビアンカ、何を言いだすんだ。お荷物だなんて思ったことはないよ」

「だって、学園で多分私だけです。縁談が決まっていないの」


 優雅にスープをのんでいた兄の動きがぴたりと止まる。


「ビアンカは、結婚したいのか? 別に焦らなくてものんびり探せばいいだろう。いつまででもこの家にいればいい。お前の家なのだから」


 サティアスは当然のことのように言う。


「そういうわけにはいきません。お兄様はどうなさるんです? あの、ヘンリエッタ様とはどうなっているのです?」


 思い切って聞いてみた。彼の学生生活ももうすぐ終わりを告げるのだ。本格的に跡取りとなる。のんびりとしている場合ではない。


「どうなっているも何も、元から何もないよ」


 相変らず兄の表情は読めない。

 しかし、学園でちらほらと噂に聞く。サティアスが公爵位を継ぐことになり、ヘンリエッタとの縁談が持ち上がっていると。そのほかにも彼には縁談が降るように来ているのだろう。


「お兄様、私に気を遣わないでください」

「別に気など遣っていないよ。むしろお前と二人で気楽だ。お前は違うのか?」


 澄まして言うとサティアスは優雅な仕草で、鶏のソテーを切り分け口に運ぶ。


「ヘンリエッタ様ならば、お義姉さまと呼べるような気がします」


 ビアンカが何気なく放った一言。

 

 静かな食卓にガチャリと食器がぶつかる大きな音が響きビアンカは驚いて飛び上がった。見ると、兄がフォークを取り落とし呆然としている。

 驚いた給仕が慌てて、サティアスのフォークを取り換える、彼はそれにも気付いていないようだ。こんな兄を見たのは初めてだ。


「……ビアンカ、それはお前の本心なのか?」


 絞り出すような声で、聞いてくる。そんなことを言われてもビアンカには頷くことしかできない。相変わらずサティアスの瞳はハッとするようなブルーで美しい。そのうえ、頭もよくて、もうすぐ正式に公爵位を引き継ぐ、もてないわけがない。



 じっさい彼がもてるというのはジュリアンの言う通りだった。兄はその一点だけなぜか認めない。縁談一つないビアンカに気を遣っているのだろう。


 いつも冷静なサティアスが取り乱している。それはきっと兄はヘンリエッタのことが、好きなわけで、ビアンカがあれこれ口を出すべきことではないのだ。そう思うと少し居心地がわるくなる。


 きっとサティアスは一途に誰かを思う人だ。己の実父のように一人の女性を慈しみ大切にする。そんな人なのだ。



 兄は誠実だ。きっと言葉通り、縁談など無理強いせずにビアンカをずっと家に置いてくれるつもりなのだろう。たとえ自分が結婚したとしても、ビアンカを邪魔にしたりしない。

 それがわかっているだけに辛い。



  兄は、それで、幸せになれるのだろうか?




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