第44話 そんなに守られても

「お兄様、お父様のことはどうなさるおつもりですか?」


  ビアンカが徐に口を開く。


「僕は、家督を不正に奪ったとは公言したくない。陛下にもその旨お願いして来たよ。表向きには、ご病気という事で退いてもらい、うちの領地で事実上の幽閉ということになるけれど。ビアンカはどう思う?」

「……お兄様がお決めになることです」

「ビアンカ、そんな言い方しないで欲しい。厳しいというのならば考え直す。いまこの家には二人しかいない。お互い助け合おう」

「……お兄様は……それでいいのでしょうか?」

「どういう意味?」

「幽閉などと甘すぎませんか? 父は不正を働いたのです。公言しないなどとっ! 糾弾されなくてよいのですか?」


 唇をかみ俯くビアンカに、サティアスが心配そうな視線を送る。


「ビアンカ、君にとっても僕にとってもあの人は父だよ。もう、糾弾なら十分だ。表向きには僕に爵位を譲って引退したという形にするけれど、人の口には戸を立てられないからね。噂は広がる」


 サティアスが、ビアンカに言い聞かせるように語りかけた。


「そんなの、罰にもならないではないですか! もしかして、私のことを慮ってくださっているのですか? それならばやめてください」


 サティアスはいつになく頑固なビアンカに、困惑する。落ち着かせようと彼女の背中をさすった。


「ビアンカ、疲れたろう? 今日はもうゆっくり休んで。お前は何も心配しなくていい。明日また、ゆっくり話をしよう」


「お兄様、これから、どうするつもりですか? すぐに家を継ぐために学園をやめるのですか?」


 兄は魔導の勉強をしたいといっていた。


「本来はそうするべきなんだろうけれど。僕は欲張りでね。専科まで通おうと思っている」


 学園の上には院があり専門課程がある。そこには優秀な成績を残した一握りの人間しか進学できない。サティアスならば、何ら問題はないはずだ。


「大丈夫です、お兄様なら。私も出来るだけのことはします」

「ありがとう。ならば、これからは大切なことはお前と相談して決めよう。ビアンカ、しっかり勉強して卒業しろ。もちろん専科に進みたいのならば、相談に乗る」


「そのことなのですが」


 ビアンカが、ひたりと兄に目をすえる。その瞬間、彼女から、いつものふんわりとした柔らかな雰囲気が抜け落ちた。


「なんだ?」


 妹のあらたまった様子に嫌な予感がした。


「私、学園をやめて、修道院に入ろうと思います」


 きっぱりと言い切るビアンカに、サティアスの口調も強くなる。


「また、そんなことを」

「私は父の血を引く実の娘です」


 言い張る妹に、サティアスは天を仰ぐ。彼女の言わんとしていることは分かる。


「お前に、罪はないだろう……。それならば、僕も甥だ。血を引いている」


 サティアスはビアンカがときおり見せる清廉さが好きだ。だが、それがいつも彼の手を焼かせる。ビアンカは自分の父もろとも責任を取るつもりだったのだ。









 結局、ビアンカの修道院行きは叶わなかった。サティアスに全力で阻まれた。


 フローラは国外追放になり、彼女の実家も公爵家を恐れるかのように離散した。サティアスはそれでも軽いというが、ビアンカが極刑を望まなかった。



 そして、出て行ったジュリアンから当然のことながら音沙汰はない。ちらほらと以前の彼について黒い噂を聞く。ビアンカはそれが何なのか気になったが、サティアスに問い質すのは、なんとなく憚られた。


 一方、父や次兄がいなくなっても母のイレーネに寂しそうな様子はなく、こちらで楽しそうに遊んでいる。

 

 ビアンカはというと卒業したサティアスが、同じ敷地内にある専門課程にいるせいか、父の事で表立って不快な思いをすることもなかった。


 もちろん学園ではケスラー家のことは密やかに噂となり、中にはひそひそと陰口をたたく者もいた「本当の兄妹ではないらしい」、「よく義兄の世話になれたものだ」とか。だが、レジーナとエレンの変わらぬ友情に守られ、ビアンカはそれなりに充実したときを過ごした。




 母は、父とジュリアンがいなくなったせいか、留守がちになった。以前にもまして、よく遊びに出かける。


 サティアスは、忙しさを縫って、なるべくビアンカと食事を共にするように気を使ってくれていた。以前は自室で食事をとることが常だったのに、いまは彼女が寂しい思いをしないようにとさりげなく時間を作ってくれる。


「ビアンカ、父上と母上が毎年派手な茶会や夜会を催したせいで、家の財政状況が思わしくない。今後社交は控えるよ」


 兄はそんなことを言いだし、その言葉通りに実行した。イレーネは、サティアスに夜会をやるよう強く迫っていたが、やんわりと時には断固として彼は断っていた。


「ケスラー家の別邸での華やかな夜会がこの国では社交シーズンの皮きりになっているのよ。皆楽しみにしているのに、うちがやらなくてどうするの?」


 派手好きなイレーネは常々不平不満を漏らしたり、兄を「けち」などと詰ったりした。しかし、そんな母もサティアスの言う通り、人の口に戸は立てられず、社交界に徐々に居場所を失くし、半年もすると父のいる遠い領地へと去って行った。もちろん以前の父との醜聞も響いている。それはそれで自業自得なのかもしれない。



 しかし、さすがにビアンカもそんな兄の様子が心配になった。


「夜会をしなくて、大丈夫なのですか。本当は、私に気を使ってやらないのではないのですか?」

「まさか、そんなんじゃないよ」


 と言ってビアンカを安心させるように微笑む。

 サティアスはもっともらしい理由をつけているが、ビアンカを矢面に立たせたくないのだ。社交界は海千山千で、中にはひどい当てこすりを言うものもいるだろう。ビアンカは甘んじて受けるつもりだった。

 

 だが、実際には常に兄の背に庇われている。


 そんなに守られても……



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