第38話 バーサス *主人公でてきません。

 お気に入りのシルクのシャツを丁寧に鞄に詰め、最後に自分で調合した香水をしまう。人は第一印象に操られるのだから、服装も纏う香りも大切だ。


 これから、新しい街に行くと思うと、ほんの少し気分が高揚した。上機嫌で薄手の外套を羽織る。



「ジュリアン、どこへ行くつもりだ?」


 鞄を手にした瞬間声をかけられた。想定外に早い。まだゆっくりできると思っていた。驚きは隠して、薄笑いを口元に浮かべる。


「驚いたな、兄上、随分早いお帰りだね。ビアンカの様子は見に行かなくていいの? 部屋で寝ていると思うけれど」


 それを聞いたサティアスが笑う。兄のただならぬ様子にぞわりとした。この家で唯一本気で怒らせてはまずい相手。

 

 それに城で取り調べされていた割に、元気だ。図太い人。



「部屋にはいない。ビアンカはこの国で一番安全な場所にいるよ」

「え……部屋にいるんじゃないの?」


 またも、想定外。ビアンカは随分取り乱していたが、何らかの行動にでる手段を持たないはず。何がおきた? この家から移動したのか? ジュリアンが考えを巡らせる。



「貴様に言う必要はないだろう。よくも嵌めてくれたな」


 当然ながら長兄は怒っている。すべてバレていると思った方がいい。


「その様子じゃあ。とぼけても無駄なようだね」


 ジュリアンが肩をすくめる。まるで悪気のないいたずらを見つかった子供のように。

 フローラが何か余計なことを言ったのだろうかと考えていると、ふいに部屋の温度が上昇した。


「遅きに失したが、何があったのかは把握している。単刀直入に聞くが、一連の事件でビアンカを殺める気があったのか?」


 サティアスが問い詰める。


「驚いた。この期に及んでも自分が嵌められたことで怒っているんじゃなくて、ビアンカの為に怒っているんだ」


 ジュリアンは皮肉ではなく、素直に感心した。凡そ感情などむき出しにしない人なのに、妹のことで怒っている。


「当たり前だろ。ビアンカは死にかけた。言うのか、言わないのか」


 部屋の温度がじりじりと上がっていく。サティアスの膨大な魔力によるものだ。あまり怒らせて暴走されたらたまらない。


「わかった。言うよ」


 ジュリアンは降参したというように両手を上げる。


「そんなに怒らないでよ。一連の事件って事はバルコニーの事もバレているんだね。

 

 まず温室でビアンカが飲んだのは睡眠薬だよ。麻酔のようなものと言った方がわかりやすいかな。

 安心して、遅効性の毒とかじゃないから。

 僕もビアンカのことは気に入っているからね。殺めようとは思わない。だから、そんなに殺気むき出しにしないでよ」


「なんの毒をつかったんだ」


「だから、麻酔だよ。チョウセンアサガオから抽出したんだ。ほら、温室の池のほとりに咲いていただろう? 白い美しい花。父上にわざわざ東の国から、取り寄せて貰ったんだ。結構良い品が出来たと思う。自信作だ。麻酔として売り出せるんじゃないかな」


 ジュリアンは嬉々として語る。


「お前、何を嬉しそうに……量を間違えればただの毒だろ?」


 サティアスの神経を逆なでしたかもしれない。しかし、あれは実際素晴らしい出来だった。


「そう言われちゃうと、薬全般が毒だよね、ふふふ」


 楽しそうに笑う弟に、サティアスが一歩近づいてきた。その熱量に押されるようにジュリアンが後退る。また部屋の温度が上昇した。ジュリアンのこめかみに汗が一筋流れる。一方、魔力を放出しているサティアスは涼しい顔だ。


「ちょっと待って、全部、聞きたいんでしょ? その前に僕とけちゃうよ」


 せっかくの麗らかな天気もこの部屋では台無し。だから、魔力持ちはいやだとジュリアンは思う。きっとサティアスの力は王族に匹敵するかそれ以上。こんな化け物じみた者が、何人もいたら、たまらない。


「早く言え」


 兄の恫喝にジュリアンは肩をすくめた。理詰めでくるかと思ったが、意外に力押し。これは排除されるかもしれない。ジュリアンは苦笑した。


「わかったよ。まず、バルコニーの件。最初にフローラに近づいて仲良くなったんだ。それで、夜会のあったあの夜……」


  






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