第37話 野放し

 ビアンカは秘密の執務室を文字通りひっくり返す。幸いサティアスは几帳面なので、書類はきちんと整理されていた。必要な物とそうでないものをより分け判断のつかない物は必要なものと一緒に鞄に突っ込んだ。


 ほどなくして叔母関連の資料も見つかった。それによるとビアンカが生まれる前にケスラー家と縁を切られている。父の仕業だろう。


 叔母の所在を示す書類もあった。長兄の字で書かれていたので、何らかの手段で、所在を調べたのだろう。叔母は結婚し外国で暮らしている。ビアンカは、まだ見ぬ叔母に祈りを込めて手紙をしたためた。


(どうか味方になってくれますように……)


 そして書庫の姿見へ抜けでた。書庫の出入り口は一か所しかないが、それは窓をのぞいての話だ。ここで不用意に廊下にでて使用人に見つかるわけにはいかない。


 ビアンカの進む道はただ一つ。窓の外に鞄を投げ捨て、自らも飛び降りる。一階とはいえ結構な高さがあるが、風魔法が使えるので速度を軽減できた。なんとかどすんと音を立てずに降り立つ。


 その後、くたびれて粗末なマントを被り、裏庭を抜ける。カバンを袋に詰め、洗濯婦のふりをして屋敷の裏口から逃げ出した。海辺の修道院で市井の生活を見ていなければ、思いつかなかった手だ。


 ケスラー邸の脱走に成功したビアンカは、親友レジーナの住むハイランド伯爵邸を目指し、荷物を抱えひた走った。






 幸いハイランド邸の使用人とは顔見知りだ。制服姿で先ぶれもなく来たビアンカだが、訝しげな顔をしつつもいれてくれた。


「まあ、ビアンカ、いったい、どうなさったの? 体の方は大丈夫なのですか?」


 突然のビアンカの来訪に慌てて自室から降りてきたレジーナが目を丸くする。彼女は昨日ビアンカの具合が悪くなったという噂は聞いていたが、早くに帰宅したので、実際に何があったのかまでは知らない。


 そして、ビアンカは休みなのにも拘わらずなぜか制服姿だ。そのうえ凄く元気そう。


「なぜ、制服をお召しに?」

「ごめんなさい。先ぶれもなく突然伺ったりして」


 そういえば、ビアンカがメイドも従者も連れていないことに気付きレジーナが驚愕する。


「嘘でしょ! ビアンカ、もしかして一人で来たの!」


 貴族令嬢としてあり得ないことだった。びっくりしたレジーナが思わず叫んでしまう。


「ええ、ここまで走ってきたの。近くて助かったわ」


 ビアンカは朗らかな笑顔を浮かべ、けろりとしている。


「そういう問題ではなくて、危険よ! 私だって独り歩きなんてしたことがないわ。兎に角入って。お茶を淹れるから。事情を話して」


 レジーナが規格外の令嬢ビアンカをサロンへ連れて行こうとする。


 ビアンカの突飛な行動には慣れているつもりだったが、今回のはさすがに想定外すぎた。どうして公爵令嬢がこんなに自由なの? サティアス様は何をしているの? なぜビアンカが野放しに。めまいがしそうだった。


「待って、レジーナ、お茶はいらないわ。とても不躾な御願いで申し訳ないのだけれど。少し頼まれてくれないかしら」


 良くは分からないが、ただ事ではなさそうだし、親友の願いだ、聞かないわけにいかない。

 供もなく、華奢な体に大きな荷物を抱えたビアンカがとても逞しく眩しく見えた。





 叔母への手紙をレジーナにたくし、ハイランド伯爵家の馬車をかり、急ぎ城へ向かった。先ぶれはレジーナにお願いしたのだ。すぐに城まで使いの者を出してくれた。ろくに理由も聞かず、二つ返事で協力してくれたレジーナには感謝してもしきれない。


 そして今は控えの間で悶々としながら彼の到着を待っている。


「驚いたなビアンカ、僕に面会に来るなんて。体の具合はいいのか? 見舞いに行こうと思っていたんだ。フローラのことは僕も責任を感じている」


 第三王子スチュアートが心配そうな表情を浮かべ近づいてくる。ビアンカは丁寧に礼をするとすぐに用件を切り出した。


「殿下、サティアス兄様の事でお話があります」


 途端に、スチュアートの顔が曇る。


「ああ、そのことか。君の大好きな『お兄様』は今こちらで事情を聴かれているようだね。心配しなくとも公爵家の令息ならば、ひどい事にはならないよ。

 それにしても公爵邸で事情を聴くならまだしもまさか城まで引っ張ってこられるとは思っていなかったよ。前代未聞だ」


「はい、私も先ほど目が覚めてお話を聞き、驚きました」

 

「え、そんな状態で大丈夫なのかい? まあ、とても元気そうには見えるが。

 それで、今日はサティアスに会いたいの? それって僕を通す必要があるのかな。もちろん、君が来てくれたのは嬉しいよ。それに今回のことはフローラと付き合っていた僕にも非はある。あらためて君には謝罪を」


 ビアンカは長くなりそうな王子の話を慌てて遮る。


「違います。見ていただきたいものがあるのです」


 スチュアートに秘密の部屋から持ってきたサティアスが嫡男だという証拠を差し出した。

事情を知らない王子が、少し面倒くさそうに書類をめくる。


「……全く君は、記憶があってもなくても、何かと言うと、『お兄様、お兄様』だ。彼と比べられる僕の身にもなって欲しい。覚えていないだろうが、ビアンカとは子供の頃からのつきあいだ。その頃からずっとだぞ。僕がどんな気持ちで過ごしてきたか……」


 などとぼやいていた王子が突然黙り込む。そしてにわかに顔色が変わる。


「これは……ビアンカどういうことだ?」

「その書類をどうか国王陛下へ。それで不足であれば、他国へ嫁いだ叔母を証人にと思い先ほど書簡を送りました。私、叔母の存在を知りませんでした。叔母は父に絶縁されて」


 王子がビアンカの話に割り込む。


「いや、これはまずいだろ。ビアンカ、ゴドフリーは君の父親だ。こんなものが公になって君に何の得がある。不正の証拠ではないか」

「スチュアート殿下、どうかお取次ぎください」


 頭を深く下げるビアンカにスチュアートはため息を吐く。


「厄介なものを持ちこんでくれたな。まあ、本物かどうかも調べなければならないけれど、前公爵家当主の魔法による承認がある。十中八九本物かな」


そこで言葉を切るとスチュアートはひたりとビアンカに目をすえる。


「わかってる? ビアンカ、これが偽物だとされたら、君も大変なことになるよ? それに本物と認定されたとしても自分の父である公爵を刺す行為だ。それでもいいのか? 陛下に渡して」


「はい、お願い致します」


 ビアンカの決意は揺るがない。昔から、そうだ。彼女はサティアスの事となると……。スチュアートが一つため息を落とす。


「ちょっとここで待っていろ。父に話を通してくる」


 ビアンカは立ち去るスチュアートに深く頭を下げた。


(どうか、お兄様を助けて!)


 その後、ビアンカは数時間待たされることになった。


 その間茶と軽食が振舞われたが、喉を通るものではなかった。大変なことをしてしまった自覚はある。今頃になって体が震えてくる。だが、サティアスが不当な目に合うことは看過できなかった。


 ビアンカに後悔はない。





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