第35話 温室で

「……からかわれたの?」


 ビアンカは衝撃で真っ白になってしまった頭を抱え、温室へ入って行った。葉の緑や色とりどりの花の甘い芳香がぼーっと疲れた頭にしみわたる。


「ふう、疲れた」


 などと独り言を呟きつつ、蓮池のそばの小さなティーコーナーを目指した。幸い次兄の言う通り、ここらあたりに招待客は入り込んでいないようだし、使用人達に見張られることもない。ビアンカはほっとした。どうもここの使用人達はビアンカを監視しているようで落ちつかないのだ。


 とりあえず、ジュリアンのことを考えるには混乱し過ぎているので、ビアンカはまず咽をうるおすことにした。メイドがいないので今日は自分で茶を淹れよう。銘柄は何にしようかとティーコーナーを覗く。


 すると誰もいないと思っていたティーコーナーに先客がいた。ビアンカは少しがっかりする。挨拶せずに逃げるわけにはいかない。


 すると薄桃色でレースがふんだんにあしらわれたドレスを着た女性が振り返る。


「え、フローラ様……」


 今日は彼女を見かけなかったので、すっかり油断していた。逃げようとした瞬間、フローラが立ち上がり、丁寧に淑女の礼をする。

 さすがにこれは逃げられない。それにいつもとは違い礼儀正しい彼女に興味をそそられた。どうしたのだろう?


「ビアンカ様、今までの失礼をお許しください」

「え?」


 まさか謝られるとは思っていなかった。彼女が深々と頭を下げる。


「あの、お顔を上げてください」

「私ったら、スチュアート殿下にお声をかけて頂いてすっかり舞い上がって、調子に乗ってしまいました」


 そう言って、悲しそうに瞳を濡らす。突然のことで、ビアンカは何と言って返したらいいのかわからない。


「私、馬鹿ですね。本当に……。もしかしたら、結婚できるかもしれないなんて、勘違いしていました」


 衣装こそ煌びやかだが、フローラは憔悴した様子だ。彼女は本当に王子が好きだったのだろうか。

 

「父に茶会に出るように言われ来ましたけれど、自業自得とはいえ、身の置き所がなくて」


 いつも華やかな彼女が、茶会の間中人目につかないようにここにいたようだ。 


 ビアンカは少し不憫に思った。そして、彼女をそうさせたスチュアートに腹が立つ。

 誰だって、恋をして、夢中になって我を忘れてしまい愚かな行動をとってしまう事はある。そこまで考え、はたと気付く。


(我を忘れて愚かな行動……これは誰の記憶?)


 心が大きく揺さぶられる。 


「フローラ様どうぞお座りください。もしよろしければ、一緒にお茶を飲みませんか? 今メイドを呼びますね」

「ビアンカ様、お待ちください。人目を避けてこられたのでしょう? ゲストをもてなすのは疲れますものね。もし、よろしければ私がお茶をお淹れしましょう」


 微笑を浮かべるも、その表情は儚げで、声も消え入りそうに細い。しかし、フローラが是非にというので、固辞するのも申し訳ないので、淹れてもらうことにした。


 じっさい手慣れたもので、カップに注がれる紅茶からは良い香りが漂ってくる。


 一口飲んでほっと一息ついた。


「こちらのお屋敷の温室は素晴らしいですね。とても素敵です」


 褒められると嬉しい。


「はい、次兄のジュリアンが手を入れているのです。そういえば、こんな奥まったところにある温室によく気が付きましたね」

「え……ええ、ここにいると本当に癒されます。すっかりと長居してしまいました。そろそろ父に怒られてしまいそうです。結婚相手を探さねばならないのに……」


 ビアンカは返答に窮した。「どなたかいいお相手が見つかりますように」と言うのも受け取り方によっては嫌味になる。するとフローラがまた口を開く。


「貴族の娘と言うのは、殿方からみたら気楽に見えるのでしょうね。生活が保障されているかわりに、家の駒になるしかないのに……」


 ぽつりと言う。


「そうかもしれませんね」


 ビアンカもこれには同意する。まさかフローラと共感しあえると思わなかった。


「そうしたら、サティアス様がここの場所を教えてくださって」

「え、サティアス兄様が?」

「はい、最初はとても近寄りがたい方かと思っていましたけれど、とても親切な方なのですね」


 そう言って口元ほころばせる。ビアンカは胸の動悸を覚えた。もしかして、サティアスを気に入ってしまったのだろうか? 

 そう言えば、ジュリアンが妙なことを言っていた。あの人がもてないわけないよ。ビアンカもそう思う。


 自分はいったい何を考えているのだろうと、浮かんできた思いを打ち消すようにこくりとお茶を飲む。


「フローラ様、お代わりはいかがです? 今度は私が淹れましょう」


 そう言って立ち上がった途端、ふらりと足元がよろめいた。


「まあ、ビアンカ様、大丈夫ですか?」


 フローラが慌てて立ち上がるとビアンカの腕をとる。


「ええ、ごめんなさい。なんだか……足元がふらついて、あなたの声も遠くから響くように聞こえるわ」

「まあ、それは大変ですわ」


 フローラの声に顔を上げようとするが、上手く体が動かない。フローラがビアンカの体を抱えて歩く。


「だ、だいじょう……ぶ。今メイドを呼ぶから……」


 ビアンカが、テーブルの呼び鈴を取ろうとすると、どんと背を押された。体の自由の利かないビアンカはそのままバシャリと蓮の浮かぶ池に落ちる。


 大きな水音がして、濁った水を飲んでしまった。苦しさに水の上に顔を出す。そんなビアンカに手を差し伸べるフローラが二重にも三重にも滲んで見える。


「あら、いやだ、話と違う。すぐに死なないじゃない」


 そんなあっけらかんとした声が上から降ってきた。差し伸べられたと思った手は、そのままビアンカの頭を水の中に沈めた。


 立つこともままならず沈んでいく池の中で「ビアンカ」と誰かが必死に呼ぶ声が聞こえた。がっしりと腕を掴まれ、力強く引き上げられる感覚に意識が遠のいた。





「ビアンカ!」


 どこかから、誰かに呼ばれた。

 薄っすらと目を開けると外界の景色が飛び込んできた。


「ビアンカ、聞こえてる? 僕が分かる?」


 誰……?


「ビアンカ、無事でよかった」

「ジュ……リアン兄様」


 ビアンカは自室のベッドに寝かされていた。


「あれ、私はいったい……」


 起き上がろうとするとくらりと目が回る。ジュリアンがベッドの上のビアンカを支えた。


「ビアンカ、無理をしないで」

「あのいったい何があったのでしょう?」

「君は薬を盛られたんだ」

「え?」


 ビアンカの記憶が温室まで巻き戻る。ああそうだ。温室でフローラと茶を飲んだ。あの時彼女はビアンカに詫びていたのに。

 まだ、薬の影響で頭はぼうっとしていたが、状況は理解した。それと同時に悲しい気持ちがこみあげてくる。


「ビアンカ、済まない僕の管理が悪いばっかりに、こんなことになってしまったんだ」


 ジュリアンの声に深い後悔が滲む。次兄の話によると草花から抽出した成分を温室の薬棚にしまっていたらしい。


「もちろん、鍵をかけておいたんだが、その鍵が壊されていて。僕の調合した薬がビアンカを害するために使われたんだ。僕が自室でしっかりと管理していれば、こんなことにはならなった」


 悔し気な表情をする次兄を初めて見た。


「ジュリアン兄様のせいではありません」


 ビアンカは室内を見回した。自然と彼を探してしまう。


「あの、サティアス兄様は?」


 海辺の別荘でビアンカが気を失った時には真っ先にきてくれた。


「それが、話を聴きたいと城へ連れて行かれしまって。おそらく今頃取調官に事情を聴かれている」


 ビアンカは飛び起きた。まだくらくらとするが、それどころではない。

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