第34話 次兄の話
家族で挨拶が済んだ後、ビアンカは次兄に連れられて婚約者候補のお相手をすることになった。まだ全員の細かなことを覚えていないから次兄のフォローがありがたい。父が絞ったというだけあって人数は半分に減っているようだが、誰が減ったのかすら分からなかった。
会話に気を使い、愛想笑いを浮かべ、へとへとに疲れ切った。婚約者候補にはこの国の高位貴族をはじめとして、外国の富豪貴族や、十歳以上年上の者までいろいろな人がいる。
しかし、きっと最有力候補はこの国の第三王子なのだろう。婚約者候補は、みな愛想よくビアンカに対応するが、始終みているのは父の顔色だ。
皆ビアンカの意思に関係なく婚約者が決まるのだという事を弁えている。それほど、この国の公爵家が魅力的なのだろうか? 記憶を失くしたビアンカには何がどう凄いのかピンとこない。
唯一父の反応をあまりに気にしていないのはこの国の第三王子だ。以前のビアンカに対する不躾な態度は鳴りを潜め、物腰は優雅。今はビアンカをとても丁重に扱う。
「ビアンカ、この間、フローラの件では申し訳ないことをした。彼女とはきちんと別れたよ」
殊勝な態度でスチュアートが言う。「それは良かったです」というのも違う気がして、ビアンカは曖昧に頷く。
そういえば、今日はスチュアートの周りにフローラを見かけない。彼の言う通り二人はきちんと別れたのだろうか? それともただフローラが招待されていないだけなのか。
日が傾き始め、要人は帰ったが、まだまだ夫人たちの社交は続き、出会いを求める令嬢や令息、ここぞとばかりに公爵家と顔つなぎしたいもの達が残っている。
父の周りには太鼓持ちが集まっているようで、父は上機嫌だ。そんなゴドフリーの姿をみていると、なんだか胸がむかむかしてくる。
「ビアンカ、疲れたでしょう。少し休んできたら?」
ジュリアンが頃合いを見計らって声をかけてくれる。次兄は気遣いが上手だ。
「はい、少し疲れました」
ビアンカが素直に頷く。
「そうだ、温室に行って来たらどう? あそこならば、人もあまりいないだろう。茶会に来てわざわざ温室の見学をしようなんてもの好きもそうそういないよ。
僕も屋敷の中で息が詰まると、ときどき行くんだ」
そう言って次兄が苦笑する。いつも柔らかに微笑んではいるが、やはり彼でもつかれることがあるのだ。家族はいつもぎくしゃくしていて、時折すきま風が吹く。
思えば趣味の乗馬も息抜きなのかもしれない。
ジュリアンがビアンカに付き添い温室に向かう。
「ジュリアン兄様、大丈夫ですよ。会場へお戻りください」
今日はビアンカのお守りで次兄は友人たちとろくに話もしていない。ちなみに長兄は、今日はずっと父に付き添っている。
「気にしないで、僕の方は大丈夫。そんなことよりビアンカ、随分疲れているようだね」
「そうですね。記憶が戻らないので、粗相がないかとても気を使ってしまいます」
勉強で苦労しつつも、のほほんと過ごしていた学園生活に早く戻りたい。そんな気持ちでいっぱいだ。
「話は変わるけれどビアンカは、やっぱりスチュアート殿下がいいの?」
「え? どこが『やっぱり』なのですか? 嫌ですよ」
「そうなんだ。以前は随分気に入っているようだったけれど」
そんな話を聞くとげんなりしてしまう。
「いまは、その頃の私が、殿下のどこに惹かれていたのか全くわかりません」
ビアンカが断言するとジュリアンがクスクス笑う。
「ねえ、ビアンカ、僕たちが腹違いの兄妹だってことは、いくら何でももう知っているよね」
サティアスから聞いたばかりの話にどきりとする。彼の方からその話をしてくるとは思わなかった。ビアンカの態度に何か思うところがあったのだろうか?
別に腹違いでも実の兄でも、ジュリアンはジュリアンだ。ビアンカ自身はさほど気になっていない。むしろ腑に落ちる。
「はい、あの、どうして、そう思ったのですか?」
「大丈夫、心配しないで。別にビアンカの態度がおかしかったからそう思ったというわけではないよ。もっとも母上は、口止めしたかったようだけれど」
そう言って兄はふんわり笑う。
「ビアンカも社交の場に出ているし、学園に通っていて友達もいるから、どこかから聞いているかと思ってね。当時はそうとうな醜聞だったらしいから」
「別に気にしません。ジュリアン兄様は、ジュリアン兄様です」
「そう、ありがとう」
次兄はにっこりと微笑むと、あらたに言葉をつぐ。
「でもね、こんな話知ってる? ケスラー家の子供は稀に朱色の瞳の子が生まれるだけで、あとは青い瞳なんだって」
「そうなのですか? 初めて聞きました。そうするとジュリアン兄様の金茶の瞳は珍しいのですね。とても綺麗です」
彼のけぶる様な金茶の瞳は、光の加減で黄金色にも見える。
「そう取るのか……まったく、ビアンカは」
ジュリアンが呆れたようにくびを振る。
「私、何かおかしなことをいいましたか?」
不思議そうに首を傾げ兄を見上げる。
「ケスラー家の色と、僕の瞳の色を考えたら、別の可能性に思い至るんじゃないのかな」
「別の可能性?」
「兄上は何も言っていなかった?」
「サティアス兄様が何をいうのです?」
ビアンカは瞳を瞬いた。するとジュリアンが耳元に囁く。
「あの人はそうだよね。そういう事は言わない」
「何の話ですか?」
次兄が何が言いたのか分からずビアンカは首を傾げる。
「つまり、僕が言いたいのは、君たちとは赤の他人かもね」
「え?」
ジュリアンの話に気を取られている間に、温室の前まで来ていた。
「母上も結構な遊び人でね。社交と言って良く出かけているけれど、外で何をしていることやら。まあ、似合いの夫婦だよね」
ジュリアンは、あっけにとられるビアンカの反応には構わず、ガチャリと温室のドアを開ける。
「ビアンカ、ごゆっくり、メイドは温室の外に待機させておくよ。その方が君ものんびりできるだろう?」
ビアンカは呆けたように兄の顔を見た。
「やだな、ビアンカ、そんなにびっくりした? あくまでも可能性の話だよ。でも、もしも他人ならば、ぼくもビアンカの婚約者候補になれるのかな」
「は?」
思考が追い付いていかない。
「ビアンカ、口あけっぱなしだよ」
そう言って、ジュリアンがくすくすと笑うと、「じゃあ、またね」と去って行った。
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