第32話 お兄様の秘密


「それは、ジュリアン兄様も同じ考えなのですか?」


 もし、次兄がイレーネと同じように考えているのならば悲しい。


「さあ、お前のことは赤ん坊のころから知っているが、正直ジュリアンのことは分からない。最初から距離を置かれていたし、僕に懐くこともなかったからね。お前が四つの時に彼らはやってきた」

 

 ビアンカは紅茶を一口飲み、気を落ちつけた。


「でも、まあ、私は苛められているわけではないし、きっといいお母様なんですよね?」

「頷いてやりたいところだが、気を付けた方がいい」

「え?」

「もともと、スチュアート殿下とフローラを引き合わせたのは母上だ」

「そう、だったのですか」


 とても嫌なことだが、耳を塞いではいけないと、兄の言葉を心に刻む。


「それにしてもいつの間にか、随分とジュリアンに懐いたようだね」


 サティアスはそう言ってふわりと笑う。


「はい、何度か一緒にお茶を飲みました。ふふ、ジュリアン兄様寂しがりやのようで、お母様がいないとお茶に誘いに来るのです」

「へえ、そう、よかったね。僕はとっても忙しくてお茶を飲む暇もなかったけれど。そうなんだ。よかったね」


「よかったね」を二回言う。いつもはあまり表情の変わらない長兄が今は笑みを浮かべている。それなのに声はいつもより冷えていて……。

 正面に腰かけ微笑むサティアスの姿になぜか背中がぞくりとした。彼といると時々感じる緊張。落ちた沈黙が重く感じる。


 ビアンカが茶を飲んでのんびりと過ごしている間、彼は忙しかったわけだし……。よくは分からないが、ここは謝るところなのだろうかと思いかけたころ、長兄がいつも通りの落ち着いた様子で口を開いた。


「夜も遅い、今夜はもうこれくらいにしておくか?」


 ビアンカはその言葉に首をふる。


「あの、文机にある日記を書いた方、まさかお父様ではないですよね?」


 ビアンカは半信半疑だった。サティアスの顔が珍しくこわばる。


「そうだね。言わなくちゃ」


 言いたくなさそうに見える。


「あの、言いたくないのならば、無理にとは言いません」


 何となく嫌な予感がした。


「あれを記したのは、父上ではなく、僕の実父。父上の兄にあたる人物だ。」


 一息にいった兄の言葉に、ビアンカの頭の中が一瞬真っ白になる。


「えっと、そうすると、私は……私は、お兄様の何? 何なんですか?」


 認めたくない事実に目を見開く。


「日記に出てきたリリーは、僕の母だ。お前の母親は別邸にあった姿絵の女性コーネリアだ。ビアンカによく似ていると思うが」


 今度こそビアンカは呆けた。なぜなら、この家で一番家族らしいのは兄だし、一番親近感がわくのも兄だ。ビアンカはがたりと椅子から立ちがあがる。


「なんでですか。お兄様と私はおそろいの金髪です! 兄妹以外のなにものでもありません!」


 ビアンカが力強く言いきると、突然兄が噴き出した。


「ははは、ビアンカ。面白い」

「ちっとも、面白くなんかないです! おかしな冗談はやめてください」


 ビアンカが泣きそうになりながら必死に言い募る。


「冗談なんかじゃないよ。本当のことだよ。まさか笑ってしまうとは思っていなかったけれど。なんだか、お前の子供の頃を思い出してしまって」


 まだ兄はくっくと笑っている。ビアンカにとっては衝撃的な事実だ。この家で一番頼りにしていた長兄が他人だった。


「笑わないでください。なぜここで笑うのですか! 凄いショックなんですから」


 しかし、怒った後は急速にしゅんとなる。


「そんな……私、お兄様と他人だなんて」


 肩を落とすビアンカにサティアスが優しく声をかける。


「大丈夫まったく血がつながっていないというわけではないよ。従兄弟だ」


「それで、お兄様、それも周知の事実なんですか?」


 みなきっと知っていたのだろう。記憶がないせいでまたのけものだ。確かに兄の凛々しく涼やかな目元は、ビアンカにも父にもないものだ。


「いや、おそらく父上以外知らないはずだ。僕はこの家の実子という事になっている」

「え……」

「僕も最近知ったんだ。ビアンカを探しに別邸に行くことになり、いろいろと家探ししているうちに隠し部屋の存在を知った。そこで、自分の秘密も知ったわけだ。

 本邸に隠し部屋があるのは屋敷の見取り図から気付いていた。入ったことはなかったが、別邸でいろいろと知ってしまったから、ここでも調べたんだ。

 ビアンカ、あの日記を書いたのは僕の実父ユージン、母はリリアナ、リリーは愛称だろう」


「ちょっと待ってください。なぜ、お父様はお兄様を実子としたのでしょう?」

「やはり、そう考えるか」


 兄の顔が引きしまる。ビアンカはどきどきした。きっとよくないことだ。


「僕の実父ユージンは魔力が強く、ケスラー家の当主だったんだ」

「という事は、お兄様は……」



 ビアンカは今度は考えるまでもなく瞬時に悟った。

 父ゴドフリー・ケスラーは、罪を犯したのだ。じわりじわりとその事実がビアンカの心に黒くシミのように広がる。


 この家の本来の当主は、サティアスだ。彼がいる以上、父ゴドフリーは後見人でしかない。魔力のある者から、魔力のある者へ家が継がれるこの国では、あくまでもつなぎのはずだ。父が不正をはたらき、サティアスを実子とすることで彼を跡取りから外した。家督を乗っ取ったのだ。


「父母は僕が生まれてすぐに馬車の事故で亡くなった。母は身ごもってから、出産まで別邸にいたようだ。彼らは僕の出生の届けを出す前に亡くなった」


 恐らく父はユージン・リリアナ夫妻の子を死んだものとして、新たにサティアスを自分の子として届け出たのだろう。その行為はあまりにも卑劣で、考えれば考えるほど体が震え、胸が苦しくなる。


「ビアンカ、済まない。もうこの話はしない」


 サティアスがぎゅっとビアンカの手を掴む。温かい。その時になって初めて自分の手が、冷え切っていることにきづいた。


「ビアンカが僕と口をきいてくれなくなる前も、そうして、声もなく泣いていた。いやなんだ。そんなお前を見るのが」


 そう言われてビアンカは初めて自分が泣いているのに気づいた。後から後から涙があふれ出て……兄の青い瞳が不安そうに揺れる。


 こんな心細そうな彼を初めてみた。



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