第26話 もう一人のお兄様

 次兄は人当たりが良い割に、なぜかビアンカの友人達には近寄らない。一緒にお茶を飲めば楽しいと思うのだが……残念だ。


 長兄は父の手伝いで王都と別邸を行ったり来たりの生活を送っている。だから話し相手のいないビアンカには勉強の後の暇な時間が出来た。


 考える時間ができたせいか、ビアンカはいろいろと頭を悩ませてしまう。

 最近では父に疑惑の目を向けている。朱色の瞳を理由に長兄を跡取りから外すほど、激しい嫉妬心を持つ父こそが無能なのではないかと。

 だから、仕事などといって本当は、すべて兄に押し付けているのではないかと睨んでいる。


 いままでのビアンカに対する言動もおかしい。「サティアスはあれほど出来るというのに、お前の無能さ、怠惰さといったらどうだ。情けない」とか、今思うとビアンカに兄を憎悪させようとしているとしか思えない。


「優秀なお兄様にかなうわけありません」などと反論すれば、「サティアスはそれほど優秀ではない。あいつの学年は馬鹿ばかりだから、あいつが目立つだけだ」などと矛盾したことを平気でいう。その同じ学年に第三王子スチュアートがいることがわかっているのだろうか。




 翌朝友人たちを見送るとビアンカは勉強以外やることがなくなってしまった。彼女達と一緒に王都に帰ってもよかったが、先に本邸に帰った父と顔を合わせるのは、気がすすまない。


 今は社交シーズンだから、皆夜会に茶会に忙しい事だろう。ビアンカは父が決めたものにしか参加できない。もう、婚約者候補は絞られてきているので、変な虫がつかないようにどのみち家に閉じ込められる。


(どうか、あのちゃらんぽらんなスチュアート殿下以外とお願いします) 


 祈るような気持ちだった。




 勉強が終わり、サロンに降りていくと、母といることの多い次兄が珍しく一人本を読んでいた。彼が本を読む姿を初めて見た気がする。 


「ジュリアン兄様、何の本を読んでいるのですか?」


珍しい姿に興味をひかれた。


「ああ、これかい? 植物図鑑だよ」

「植物がお好きなのですか?」


 彼の興味は馬と交友関係にしかないと思っていた。


「ああ、意外って顔しているね。これでも僕は薬草学を専攻していてね。治癒魔法が絶対というわけではないだろう?」


 確かにこの国では、薬草に頼ることも多い。


「そうだったんですか」

「ビアンカは植物には興味なさそうだね」

「そんなことはないです。花もお茶も好きです」

「そう? 家で飲むお茶は好き?」

「はい、そういえば、家のお茶は学園のものより美味しいですね。最近ではハイビスカスティーが気に入っています。色もきれいだし、好きです」


 するとジュリアンがにっこりと笑う。


「良かった。僕が選んでいるんだ」

「そうだったんですか?」


 ジュリアンは多趣味なようだ。


「王都の本邸の温室で育てたものを使う時もあるよ」

 

 それを聞いたビアンカが目を丸くする。

 

「知りませんでした。そういえば、とても広くて立派な温室がありましたね。私、一度あそこでお茶を飲んだことがあります」


 大きな温室は正面の整えられた庭園から離れた場所にひっそりと建っている。


「そこの一角を借りて、薬草やハーブを育てているんだ。もちろん花もね」

「ジュリアン兄様、すごいです」

「よかった。やっとビアンカは僕にも興味をもってくれたね」


 そういってくすくすと笑う。


「そんな。だって、ジュリアン兄さまが私とかかわりあいたくなさそうだったから」

「そう見えてたんだね。たしかにビアンカのいう通り、記憶を失った君は貴族らしくなくて、とても正直だったから、僕に対してどんな反応を示すのかなと怖い部分はあったかな」


 最初の頃、次兄は近づいてはこないものの、ビアンカを気遣ってはくれていた。


 この機会にジュリアンにもこの家の疑問をぶつけてみようと思った。


 柔らかな午後の日が差す大きな窓のあるテラスで、一緒に茶を飲む。


「ジュリアン兄様と二人だけでお茶を飲むのは初めてです」


 そこにはいつも母イレーネがいた。


「そうだったっけ」


 のんびりとした口調。微笑んではいるが、けぶるような金茶の瞳は夢見るようで感情が読みにくく、何を考えているのか分からない。


「私、思ったんですけど。お父様はよく忙しいと言って、サティアス兄様に仕事の手伝いをさせていますよね? 実は全部、おしつけているのではないですか?」


「兄上が、そう言っていたの?」

「いいえ、サティアス兄様はそのような事は言いません」


 長兄を誤解されてはたまらないとばかりにむきになってビアンカが言うのを見て、ジュリアンがくすりと笑う。


「ビアンカの言う通りだよ。さすがに気が付いた?」


 次兄があっさり認めたので、びっくりした。いつものようにのらりくらりと躱されるのかと思っていた。


「兄上も上手くやればいいのに。真面目だから、損だよね。ああいう人」


 他人事のように言って軽やかに笑う。


「そんな、わかっているのならば、ジュリアン兄様が、手伝ってあげればいいのではないですか?」


 この兄は暇そうだし、よく遊んでいる。


「ビアンカ、もう、いろいろとわかっているよね。僕だけ通っている学校が違うとか?」


 さらりと事実を告げるジュリアンにビアンカは少し緊張しながら、コクリと頷いた。


「兄上が手伝っているのは魔法を必要とする事なんだ。貴族間で交わされる契約には魔法による承認を必要とすることが多くてね。残念ながら、魔法を使えない僕では役に立てないんだよ。だから、手伝えるとしたら、ビアンカ、君しかいない」


 ごくあっさりと微笑みながら言う。そこには長兄に対する嫉妬心など欠片も見当たらない。穏やかなままだ。そうか、以前サティアスが母は恥と思っているからタブーだと言っていたではないか。次兄は気にしていないのだ。


「そういう事だったんですね」


 毒気を抜かれた気がした。彼は後継ぎではないので、本当にやることがないようだ。父のように嫉妬に囚われることなく、日々を楽しく過ごしている。案外すごい人なのかもしれない。ビアンカは素直に感心した。


「お父様は、仕事で王都へ戻るといっていましたが、向こうでいったい何をやっているのでしょう?」


「まあ、商談とか、折衝とか、話し合いの席には兄上連れで行くことはあるだろうけど、主に愛人にあっているよ」


「……え」


 突然の暴露に唖然とする。次兄の言葉がすとんと落ちるまで時間がかかった。最低な父だ。家族の団らんがぎくしゃくしている原因はそこにあったのだろう。


「ビアンカは本当に何も知らないんだね。兄上は律儀に父上の命令を守って黙っていたのか。あの人らしい」


 次兄は変わらず微笑んでいる。そこに長兄に対する非難の色はない。ジュリアンはもともと人との距離が遠いのかもしれない、それが家族であっても。避けられていたわけではないのだ。彼なりの処世術、ビアンカはそんなふうに思った。





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