第27話 新たな秘密

 二人で茶を飲んでから数日後、ジュリアンに乗馬に誘われた。 


 驚きつつも、好奇心が勝る。早速連れて行ってもらうことにした。記憶を失って以来馬に乗るのは初めてだ。以前も乗ったことがあったのだろうか?

 

 ジュリアンがビアンカを馬に乗せて、海岸をしばらく走る。乗ってみると馬の高さに慄いたが、すぐになれた。浜辺の散歩は気持ちよく、とても楽しい。広がる砂の先に、絶壁に建つ白亜の別邸が見えた。さあっと海から吹く風が潮の香りを運んでくる。


「前もこうやってジュリアン兄さまに一緒に乗せてもらっていたのですか?」

「いや、初めてだよ。ビアンカは小さなころは兄上にべったりだったし、学園に通い始める少し前に婚約が決まってしまったからね。こんな風にのんびりする時間はなかったように思う」

「確かにそうかもしれませんが、私は太っていましたものね。こうして一緒に乗るなんてきっと無理でしたよ」


 そう言ってビアンカが笑うと、ジュリアンが苦笑した。前に着ていたドレスを見れば分かる。とても太っていた。


 ビアンカは馬から降ろしてもらい、綺麗な貝殻を拾って楽しんだ。


「ビアンカは子供の頃、ここで貝殻を拾ってネックレスを作るんだって張り切っていたよ」


 にこにこと見守っていたジュリアンが、そんなことを教えてくれる。


(何だ。私は、二人の兄に可愛がられていたのか……)


 ビアンカ、そのことに脱力した。最初から構えることなどなかったのだ。



 ジュリアンは常に緊張感のある兄と違い、リラックスしている様に見える。それに人を楽しませることを知っていた。だから、母もジュリアンを可愛がるのかもしれない。この家にはきっと彼のような周りを和ませる存在が必要なのだ。以前のビアンカが彼と仲良かったのも頷ける。


 次兄がいなければ、たまに家族全員がそろう食卓は、物音のしない冷たいものになっていたのだろう。いつも母とジュリアンが細々と会話を継いでいた。彼は壊れかけた家族の中で、自分の役割をきちんとはたしていたのだ。



 

 その後、ジュリアンは馬術部の友人たちと遠乗りに行くことになり、ビアンカも誘われたが、これには母のイレーネが反対した。


 「そんな、あなたは一人で馬を操れるわけではないのだから、危ないからおやめなさい」


 珍しく母に強くにたしなめられた。少し残念だが、母の言う通りだ。


 そのうち新しくビアンカの遊び相手になった次兄も社交があるという事で本邸に呼び戻されてしまった。ジュリアンは女性にもてるだけではなく、男女ともに友達が多いらしい。

 残るは母とビアンカの二人。しかし、母は母で社交があるといって、しょっちゅう出かけている。実質ビアンカを構ってくれるものはいなくなった。そのビアンカも午後のお茶の時間までは勉強だ。


 しかし、暇には違いない。


 いままでは極力自分の過去を知ることを避けてきた。スチュアートとフローラにまつわる面倒くさい問題を知って、更にその思いは強くなる。


 だが、ここに至って、それでいいのかと考えさせられた。皆無理に思い出さなくていいと言うけれど、どうしても釈然としない。


 迷った挙句、長兄と会ったあの隠し部屋へ向かうことにした。サティアスには申し訳ないと思うが、いてもたってもいられない。


 あの部屋で彼が遊んでいたとは思えないのだ。サティアスは合理的で時間の無駄を嫌う人である。黙っていて欲しいと言った何らかの理由もあの部屋にあるはずだ。


 最初は使用人の目を盗んで執務室から行こうとしたが、しっかりと鍵がかかっていたので諦める。



 仕方なく廊下を抜けて、階段を上り、地下の暗い廊下をぬけていった。帰りのことを考えると少々気が重いが、とりあえずそれは置いておいて、隠し部屋へ向かうことにした。

 迷うことなく階段をのぼり無事秘密の部屋にたどり着く。


 雑然としている様に見えるが、サティアスは几帳面だ。片付いている場所を重点的に調べればいい。兄の言いつけに背くようでちくりと胸が痛むが、ビアンカなりにこの家の秘密を知りたかった。そうしないといらぬ疑いを抱いてしまいそうになる。


 きっと大丈夫、そんな悪い物はでてこない、そう信じて家探しを始める。

 埃をかぶった書架をぬけ、この間に気になっていた窓辺の白い文机を調べることにした。やはり埃はかぶっていないし、整頓されている。羽ペンとインクは新しい。兄が書き物をするのに使っていたのだろうか?


 引き出しを引くとするりと開いた。鍵はかかっていないようだ。中央の広い引き出しから調べていったが、なかは空だ。他の引き出しも調べる。すると左側の引き出しから、古い日記帳のような物が出てきた。誰のものだろう? 表面の文字が掠れて読めない。なぜか緊張してきた。


 人の日記を盗みみるなどいけないことは分かっているが、気になって仕方がない。古いから、兄の日記と言う事はないだろう。長兄の日記だったら、すぐ閉じる。そう決めて日記を開いた。


 ページを繰ると流麗な文字が飛び込んできた。書き手は男性のようで、日々のことが淡々とつづられている。どうやらこの人物はこの別邸の管理をしていたようだ。家令だろうか?


 ちらほらと新妻のことが出てくる。名をリリーというらしい。行間から、この人物が、新妻をとても大切にしていることが伝わってきた。しかし、その反動か人の私生活をのぞき見してしまったようで、嫌な気持ちになる。


 申し訳ないので、すこしとばしぎみに文字を拾う。パラパラと最後のページまでめくるといつの間にか白紙になっていた。


 日記を書くことに途中で飽きたのだろうか? 今度は後ろから前に戻るようにページをゆっくりと繰っていくと妻が身重になり、子供が生まれてくるのを楽しみにしている様子がつづられていた。それ以降日記が途切れている。


 まさかとは思うが、これは父の手記だろうか。今の父からは想像できないが、実はとても優しい人で、いろいろあってひねくれたとか……。


 いや、しかし、父はここに出入りできないはずだ。それとも兄が父の日記をここに持ち込んだのか? 母の名はイレーネだから、リリーは愛人なのだろうか。ビアンカは悶々と悩むことになった。


 時間を忘れて考え込んでしまう。ふと気づくと陽がだいぶ傾いていて、焦った。使用人達がビアンカいないのに気が付き騒ぎ出すかもしれない。陽が落ちる前に何食わぬ顔で戻らなければと慌てる。


 結局、幸せな夫婦生活を送る他人の日記を盗み読みして終わってしまった。修道女を志すビアンカはその事実に打ちのめられそうになる。もう、修道院に受け入れてもらえないかもしれない。


 日記はいつ書かれた物だかわからないし、書き手も知れず。これ、いらない知識かもと、ビアンカは自分の不甲斐なさに一人がっくりと落ち込む。慣れないことはするものではない。自分の過去を見つけるつもりが、いつの間にか人の秘密を探ろうなどと……。


 日記を文机の元の引き出しにそっと戻すととぼとぼと階段室へ向かった。






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