第6話 貴族のしきたり? 本邸
翌朝、海辺の屋敷に別れをつげ、王都へ馬車で向かった。ビアンカには兄がもう一人いるという。新たな家族との対面に緊張していた。
しかし、馬車の中では相変わらず兄は余計なことはしゃべらないし、母はそわそわしていて、落ちつかないし、ビアンカは胃が痛くなりそうだった。
王都の屋敷のびっくりするほど大きな門扉をぬけると、玄関ホールには使用人が総出で待っていた。その壮観な眺めに、ビアンカの足はすくむ。
重厚な造りの屋敷におっかなびっくり母と兄に続き入っていった。
着いてすぐ、休む間もなく豪奢なサロンに通される。心の準備がまったくできていない状態で、父ゴドフリーと次兄ジュリアンに対面した。
二人ともビアンカを見てひどく驚いている。「随分痩せた」と。せめて「会いたかったよ」とかないのだろうか?
しかし、そのうち、父が探るような視線に気づき、あまりいい気分はしなかった。そのとなりで、次兄は取り繕うように微笑んでいる。
肉親の再会にしてはぎこちなく、何の盛り上がりもない。
父には似ているのかと期待したが、同じなのは髪の色だけだった。ジュリアンは母似で金茶の髪と瞳を持っていた。
その日の晩餐はとても堅苦しく、ビアンカは最後まで自分がこの家の子ではないと思いたかったが、
「記憶がないのに、マナーは完璧だな」
と父公爵から指摘された。そういわれてみればカトラリーを選ぶのに全く迷いがない。そのことに愕然とする。
「ビアンカにはその手の記憶は残っているようです」
と長兄サティアスが言う。彼は気付いていたようだ。
「それならば、学問に関しても覚えていると良いのだがな。ビアンカ、そこらへんはどうだ」
ビアンカは厳格そうな父に話を振られてびくりとした。
「いえ、何を学んでいたのか全く覚えておりません」
それでも正直に答えると、父は目に見えて落胆していた。その後、会話らしい会話もなく、白々とした雰囲気の中で晩餐は終わる。
(疲れた。ここ絶対自分の家じゃないと……思いたい)
食後、メイドに導かれ入った自室は違和感バリバリだった。調度品はやたら豪華だが、黒を基調にしているせいか、よく言えば重厚、……陰気で重苦しいものだった。
磨かれて黒光りする家具はところどころ金で縁取られてるが、華やかさの欠片もない。
カーテンも重苦しい暗緑色だ。
そして極めつけが大きな天蓋付きベッドだ。趣味の悪い布が垂れ下がっていて、安眠できそうもない。記憶喪失前の自分とは、分かり合えそうにもなかった。
ビアンカは、ふかふかのベッドの隅に小さくなって丸まる。開放的なつくりの海辺の屋敷の方がよほど過ごしやすかった。
(これって、お部屋の模様替えしてもいいのかしら?)
♢
次の日、ビアンカは早速、医者に診てもらった。記憶障害と診断された。記憶は戻ることもあれば、戻らないこともあるという。薬もないし、何ともはっきりしない結果だ。
この時ビアンカは、別にどちらでも構わないと思っていた。
「記憶を失うと、全く性格が変わってしまうという事もあります」
と医者がいえば、
「学力が低下したり、馬鹿になってしまったりすることはあるのか?」
などと父が聞いていた。それが最大の関心事らしい。
記憶を失ったビアンカには金持ち貴族の考えることがわからない。もっと、「娘の命が助かって良かった!」とかないのだろうか?
海辺の街で、いくつもの素朴な家族の団らんを見てきた。しかし、ここにはそれと類似するような絆はない。これが貴族と庶民の違いなのだろうかとビアンカは首を捻った。
その後、休む間もなく、早速、家庭教師たちに紹介された。彼らによっていろいろとテストされたが、結果はさっぱり。
文字は憶えているので一通り読めるが、学問の知識が全く残っていないので用語がわからない。
そして地獄のような一週間が始まる。家庭教師たちによって、ほぼ一日中勉強を詰め込まれたのだ。しかし、思い出す気配はまったくない。
途中からは焦っても仕方がないと、のんびりと構えていた。
するとある日突然、父の執務室に呼び出され、「お前は、だらだらと何をしているのだ」とこっぴどく叱られた。
「ビアンカ、落ち込まないで。君はよく頑張ってるよ」
その日の昼下がり、勉強の合間にサロンで茶を飲んでいると、次兄のジュリアンに慰められた。どうやら彼は親切なようだ。長兄と違い、あたりがとても柔らかい。そしてよく微笑むので、いくらか癒される。
「困りました。ジュリアン兄様、私、今まで学んでいたことを、まったく覚えていないのです。勉強を教えてもらえませんか?」
すると今まで穏やかな表情を浮かべていたジュリアンが、なぜか顔を引きつらせる。
「家庭教師に聞いた方がいいんじゃないかな? それに、僕より、兄上の方が適任だと思うよ」
そうは言っても長兄サティアスの帰りは、ジュリアンよりずっと遅く、夕食時にも姿を見せることはない。
ビアンカは知らずにため息を吐く。修道院の穏やかな生活が懐かしい。あそこには声を荒げて叱責する者などいなかった。
(お勉強が出来ないって、そんなにいけないことなの?)
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