action4. バタバタ(その1)

――もうどうでもいい


 心が折れたテクラは、ただぼーっと飛び続けていた。何もやる気が起きず、何も考えられず、このまま死んでいけばいいのかなとも思った。


――このまま飛び続けていけば、何も食べられないから餓死するかな。その前に水がなくなって干からびる方が先か。雷に打たれて死ぬかもしれないし、どのみち地面に降りられないんだもの。これでいいんだ。緩やかな自殺ってやつね。


 そう思うと、風に身を任せて静かに目を閉じた。市内からかなり遠くに来たようで、街中の喧噪はほとんど聞こえなくなり、風の音だけが静かにささやいていた。


 心を落ち着けながら飛ぶテクラ。しかし、仰向けに飛んでいたために、太陽からの光がまぶしく、じりじりと肌が焼けてくるのがわかる。

 ドイツ人は日焼けをほとんどしない。肌を焼くと真っ赤になって火傷のような酷い状態になるのだ。

 顔を焼けないようにうつ伏せになりたいと思った。寝返りをするような動作をして見る。しかし、うつ伏せにはならなかった。今度は手足をばたつかせる。それでも飛行状態は仰向けのままだ。


――あれ、これどうやって姿勢を変えたらいいんだろう?


 何かをつかもうと思っても、ここは空中なのでそんなものはない。

 飛んでいるのを止めようと思っても、どうやって着地させればいいのか見当もつかない。

 ただ、真っ直ぐに、定速で仰向けになりながら飛んでいるだけである。

 顔を隠そうとハンカチを取り出して顔に当てようとするが、風に飛ばされて一瞬のうちにハンカチは視界から消えていった。


「ああ、お気に入りのハンカチやったのに……」


 拾いに行こうとしても、相も変わらず飛行制御できなかった。

 少しイラッとした。そしてそのイラッとした感情が、ふつふつと別の怒りに変わってきた。


「もう、何で降りられへんの。なんでこのまんまで飛んでんや。くっそー!」


 さっきまで人生どうでもいい。死んでも別に構わない。緩やかな自殺をしようと思っていた人間だが、飛ばされたハンカチひとつで何故かかんしゃくを起こす。まあ、人間なんてしょせんこんなものだろう。


「もー、いい加減にしてやー!!!」


 空中で大声で叫んでも、誰も聞いてはくれなかった。


  ◇  ◇  ◇


 ウィッチエイドの司令室では、テクラ失踪の対応に追われていた。

 室津室長を筆頭に、主任のあかり、この中では唯一の男性堀江、部外者だが当事者の保護者という点でたまき。そしてウィッチエイドから応援として、青の閃雷の希美が集結している。

 いずれも暴走していると思われるテクラの足取りを追うために情報収集しているが、こういう時に頼れるのは司令室の主、室津室長だ。


「堀江、ヘリはどうした。」

「県警のヘリは出払っているので、県の防災ヘリの方を出してもらえるそうです。12時20分頃離陸できるとか。」

「そうか、そっちの方が顔が利いてるからやりやすいな。JRは止まったか?」

「それが、もう止まっています。」

「え?」


 JRに運転中止の要請をしようと思って電話をしたら、すでに故障が発生していて止まっていると言う。


「列車が走行中にいきなり停電が発生したので、マニュアルに沿って列車を停止させようとした。ところが、停止寸前に架線が弛んでいた場所があったため、パンタグラフを巻き込んで破損。走行不能に陥っているとのことです。列車の停止場所は五条駅の西側約1KM先。和歌山発高田行きの2両編成ワンマンカー。今橋本で折り返し運転をしています。」


 あかりが室津係室長に報告した。


「そうか。まあ電車が止まっていいるのなら幸いだ。不幸な事故にならずに良かったと言うべきか。」


 実は数十年前。関東の大手私鉄で、魔法少女と列車が衝突して、脱線転覆という惨事が起こっている。原因は今回と同じように魔法少女の暴走。夕方のラッシュ時と重なっていたためかなりの乗客が乗っていて死者も出た。当の魔法少女も亡くなった。最悪の出来事である。


 室長もその頃はまだ小学生だったためあまり覚えていないが、魔法少女になってからはこの事件を教訓に何度も言われたことがある。


「この魔法の力を絶対に暴走させるな。コントロールしないとみんな死ぬ。自分も死ぬ。」


 列車転覆事故が起こった後、数年間はウィッチエイドの風当たりは相当酷く、魔法少女不要論・欧州に見習って魔女隔離政策を本気で考えられていたのだ。室津室長のウィッチ現役時代は正に暗黒であった。


 司令室に誰かが入ってくる。


「室長、ちょっといいですか?」

「椎ちゃん」

 若葉椎。教育支援課(ウィッチエイド担当部署)にはふたりの非常勤職員がいる。民間企業で言うところのパートで、そのひとりが彼女である。彼女もウィッチエイドのOBだ。


「実は、停電が結構発生しているようです。」

「停電?」

「ええ、五條市内で単発的なんですが、結構広範囲なんですよね。」


 関西電力配電Webサイトの停電ページには、確かに五條市内で約4000軒の停電が発生している報告が上がっている。

 しかし、サイトに上がっている停電先の住所がバラバラだ。駅から少し遠いニュータウンはまとまって停電しているようだが、旧市街地で停電しているところは飛び飛びだ。少ない停電発生区域だと数軒というところが多い。


「もしかすると……NTTの方も障害が発生してるんじゃないか? 椎ちゃんNTTに聞いてみて。」

「ええ、わかったわ。」

「室長。これってもしかして……」

「可能性は充分にある。JRの架線を切断したのも、テクラかもしれない。」

「ええ、テクラ……」


 室長とあかり、そしてたまきが悲壮な顔をする。事情をよく知らない堀江とウィッチになって日が浅い希美はよくわかっていないらしい。


「ああ、ヤバいわヤバいわテクラちゃん。このままだと本当にヤバい。命の危険に晒されてるのに……早く……早く見つけてあげないと……」


 室長が苛立った声で……

「吉野本部から青2号」

「(あーい、青2号。)」

「そっちから見て何か異常ないか?」

「(えー、ないっす。普通の平日っす。)」

「信号は付いてるか?」

「(え、信号。ついてるっすよ。)」


 かずさの答えに何か考え込んでしまう室長だが、すぐにかずさが訂正をしてきた。

「(あー、ごめんなさい。向こうの方はついてないわ。結構渋滞してるっす。)」

「おう、その辺りにパトカーはいないか。」

「(あー、さっきから交通事故らしい車が結構いっぱい停まってますね)」

「バカ野郎! それを早く報告してこい! その警官に聞け! 多分テクラだ。その事故はテクラがやったに違いない!」

 テクラの仕業だと確信に変わった。


「カカリチョー、すいません。もしかしてヤバヤバ?」

「……ああ、かなりまずい。テクラは暴走して車に体当たりしたり、電線や電話線を切断しながら走り回ってるな。」

「ワァオ、シゲキテキー」

「希美と言ったか?」

「ひぃぃぃぃ!!!」

「いいか、あいつの体は魔法の力で強化されているから今は問題ない。しかし、変身をとけば生身の体だぞ。お前もあるだろう。変身を解いたら体がダルかったり、擦り傷のひとつやふたつあるだろ!」

「えええ、そうです……ね。」

「車に衝突したり、電線をちぎりながら走ったあと、生身の体に戻ったらどうなると思う。おそらく複雑骨折しててもおかしくはない。最悪解除直後に…………死んでいる可能性も…………ある。」

「…………」


 希美も堀江も、この時点でようやく危機感のある顔つきに変わったのだった。

 そう。魔法で変身している状態では不思議とパワーがみなぎってくる。テクラのように速く走ったり車に体当たりされても、魔法の力で保護されるので特に問題はない。しかし、直後に変身を解いてしまうと、その衝撃などが体に残っており、ダメージを負う可能性があるのだ。そうならないように、安全装置のようなものはあるのはあるのだが、今のテクラはそういった知識もないために変身を解いてしまうと最悪な状況に陥る場合がある。


「やっぱりテクラを日本に来させなかった方が良かったのかねえ。」

「大丈夫です師匠。私と希美が最大限サポートするから。だから安心して下さい。ね。」

「ごめんあかりちゃん、ちょっとしんどいから会議室で休ませてもらうよ。」


 たまきが顔面蒼白になっていた。そうだろう、孫のピンチに何もしてやれない状況だ。具合が悪くなるのも当然だ。

「師匠! 大丈夫ですか? 堀江、師匠を仮眠室で休ませてあげて。」

「はい。じゃあどうぞ。こっちです。」

「ごめんねえ。」


 堀江に付き添われ、たまきが司令室を後にする。


「(青2号から吉野本部、どぞー)」

「吉野本部だ。」

「(ビンゴっすー。衝突現場の警察官から聞きましたけど、赤い魔法少女に体当たりされたらしいっす。)」

「よし! どっちに行った! その先にテクラは必ずいる! 追ってくれ!」

「(了解っす!)」


 これでテクラの手がかりはつかんだ。しかし、車と接触していることから、テクラの体が傷ついていることが確実になった。

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