ところで、私が研究所に勤めていた時期には、LGBTQだとか、セクシャルマイノリティなんて言葉は存在しなかった。

今私が65歳で、20代の頃となると、70年代。同性愛者は精神病だとか、変態だとか言われる時代で、自分自身、博士へのこの思いを恋慕だとは思いたくなかった。

同性を恋い慕うことは少なからずあったけれど、実家はいわゆる小金持ちで、親戚や近所との繋がりも深く、両親に恥ずかしい思いをさせたくなくて、恋心は毎回心の奥に秘めたままだったし、その思いを引き摺ることはなかった。

現に、私は今、好きにこそなれていないが、男性とお付き合いすることができている。だから、大丈夫なんだ、同性愛者なんかじゃなくて、ただ少し、気の迷いが起きただけ。博士への気持ちも、いつか諦めがつくだろうと思っていた、のに。

誘われてしまった。博士のすぐそばに。私が近づいていいのだろうか。

博士は、もしかしたら、私に幻滅してしまうかもしれない。

だからと言って、このチャンスを逃したら、きっと一生この思いを引きずってしまう。今付き合っている男性には、ひどいことをしてしまう。

忘れよう。諦められなくても、一時的に忘れることくらいなら、私でもできるはずだ。

今から博士の部屋に入るけれど、これはただの仕事。やましいことなんて何もないんだ。必死に自分に言い聞かせる。大丈夫だ。

周りに誰もいないことを確認して、本棚をどかすと、そこには細い道が続いていて、その先にあるドアの小窓から明かりが見えた。道へ歩みを進めて、忘れるところだった、と振り返って本棚を戻す。

ドアに耳を押し当てる。防音なのか、何も聞こえない。

諦めた私は、ドアノブに手をかけた。

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