第24話 わたしのインターハイ

 岩手インターハイ四日目。八月の照りつける太陽から逃れるために、屋根のある席で自分の出番を待っていた。その間に短距離の決勝や、開催後半にまとめて行われていたやり投げや棒高跳びのような自分とは別の種目も見ていて、陸上競技と一言でまとめられているけれど、本当に色々な能力を持つ人達がそれぞれに合ったことをやっているんだなぁ、と感心しながら眺めていたのを覚えている。

 そんな感じなので、気負いは別になかった。予選は五着までが決勝当確だ、ということだけ頭に入れていた。

 五番目以内にゴールすればいい。そういうレースをすればいい。いつもどおりやればいい。持っている力を出し切れれば、それでいい。結果は勝手についてくるものだ。


 午後三時頃から女子三千メートルの予選が始まった。わたしはトラックに降りて予選一組の走りを見ていた。やっぱみんなはえーな、と当たり前のことを思っていた。それはそうだろう。だってインターハイだもの。東北大会だってもちろん強い選手はたくさんいたが、この頃は特に西日本の選手達が粒揃いだったし、アグネスのようなのちに歴史に名を刻むレベルの留学生まで出場していたのだ。

 そのアグネスは一組を走っていて、全国を勝ち抜いてきた日本人をラスト一周のスパートであっという間に引き離していく驚異のパフォーマンスを披露していた。これは逆立ちしても勝てねぇ、とわたしは確信した。それは別に構わなかった。優勝しにきたわけではなかったからだ。

 一組のレースが終わってすぐに二組が始まる。わたしはスタートライン近くで最後のウォーミングアップをしていた。岩手入りしてここまで練習も軽めにしてご飯もたくさん食べてきたから体調は良かった。喋り続けて夜更かしすることが多かったから睡眠時間は若干不足していたが、それはいつものことなので気にならなかった。というか、いつもスタート前は眠いなーと思っている。今もだ。

 同組には大阪の吉積鮎子もいた。この子も三年だが、去年もインターハイに出ていて、去年の冬の合宿で一番ウマが合ったのだった。

「約束守ったな!」

 鮎子が言いながら笑った。それを見てわたしはホッとしていた。このために半年以上も、わたしには不似合いと思える頑張りを続けてきたのだから。ここで満足してしまいそうになったが、昨日の夜のカンナからもらった言葉を思い出して、頬を叩いた。鮎子はギョッとした目で私を見ていた。いや、ここに立っただけじゃダメなんよ。五番目までに入らなきゃ。あっ、新喜劇のビデオありがとね! こんな調子だったので、スタート直前に何話してんだ? と周囲の選手から思われていたことだろう。

 笛の音が鳴って、まもなくスタートの合図だ。わたしはスタンドの応援団の姿を確認する。カンナがいる。浅井監督もいる。監督の隣にいるヒゲのすごいおっさん、誰? あ、他の青森代表の子達も応援してくれてる! そう、応援は力になるし、誰も見てなきゃやる気も出てこない。一番気になってたのは、謎のヒゲおじさんだったけれど。

 そしてスタートした。鮎子もわたしと似た積極タイプなのは合宿の最終日の三千メートルですでにインプットされていたので、まずは鮎子の隣を並走した。鮎子は力走型というか、力んで走ってるんじゃないの? と一見思える怒り肩のフォームだが、下半身の動きは滑らかだった。たぶん上半身を強めに動かさないとスピードに乗れないタイプなんだな、と理解した。わたしはとにかく力感をどんどん無くしていきたいと思いながら日々走っていたので、この二人が並んで走っている姿は対照的で、観てる人たちはけっこう面白かったんじゃないだろうか?

 とはいえ、いつまでも並走はしていられなかった。残り一周半になって、展開もザワついてくるころだ。このレースで持ちタイムが一番良かった本命選手が後方から一気に仕掛けてきた。合わせていかないと置いて行かれるし、少し遅れて上がってくる本命選手をマークしている集団に飲まれたら接触しそうで嫌だった。さすがに高校最後のレースが転倒リタイアはゴメンだ! そう思って、しんどかったが自分に出せる最大スピードで終盤に突入した。

 いつまで持つか? 足が軋む。今までにないくらい苦しかった。出したことのない力を使っていたと思う。練習で色々想定していたのに、それをさらに超えるような力を使わないとこんなところでは戦えないのか……と血の味のする息を吐きながら考えていた。

 持ちタイムは気にしていなかったが、タイムを持ってる選手はやっぱり強い。一位にはなれない。足を残していた選手にも交わされた。直線。隣にはまだ鮎子がいる。せめて鮎子には勝とう──それだけ考えて最後の最後は足を動かしていた。折れるんじゃねーか、と思いながら。

 最後、鮎子に競り勝った感覚はあった。本当に僅かの差だったけれど。何着かは分からなかったが、先にゴールしたのは……いち、に、さん、し……じゃあ、五番目か? 五番目かあ……息と共に言葉も吐いて、わたしはトラックに尻餅をつくように座った。こんなキツい思いしてギリギリ予選突破か、マジでつえーなこいつら……改めて、自分がとんでもないところにいることを思い知っていた。

「……おめでと」

 鮎子が、自分もしんどいのにわたしを祝福してくれた。自分は六位で、あとはタイムで拾われるかどうかの結果待ちなのにもかかわらずだ。わたしはその気持ちがうれしくて、思わず、乳首一個分勝ったわ! と叫んでしまった。鮎子にはめっちゃウケたが、大人の人も含めて周りの視線が突き刺さったことは言うまでもない。

 とにかく、明日も走れることになった。内心「明日はもっとしんどいんだろうなぁ」と思っていたが。

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