第18話 すげえ人に近づくためにⅡ
高校二年の冬の合宿は、わたしが初めて日本でトップクラスの環境に身を置く機会となった。普通に考えれば、東北大会の千五百メートル予選で敗退するような選手が参加していいものではなかったと思う。対象は、各地方大会決勝進出者でギリギリのラインだろう。何ならインターハイ進出者のみで固めても誰も文句は言わない、そんなハイレベルな合宿だったと思う。当時のわたしは「カンナならともかくわたしが選ばれるのはおかしいだろ」と考えていたが、今のわたしはそもそもカンナが選ばれたのもおかしいとすら思ってしまう。やはりそこは、浅井監督の意向が働いたということだった。
それまでの大会の結果はともかくとして、四戸高校陸上部の長距離部門で「来年やってやる」と目の色が変わっていたのは、選ばれた二人だったということなのだろう。浅井監督から見れば、だけど。
「お前ら、本気で全国だって言うんならこれくらいこなして見せろ」
そういうことだったんだろう。想像だけど。実際、この経験がなければ翌年のインターハイ進出はもしかしたら厳しかったかもしれない。そのくらい、この合宿は質量共に充実した内容だった。マジでキツかったけど。
わたしは陸上の長距離種目というのは、最終的には自分と向き合う類のものだということを、今は知っている。大きな大会の直前には、国内外の練習場(主に高地だ)で合宿を張るのは当たり前のことだし、そこでは単独ではなく練習パートナーや、たまたま合宿地の被った有力選手と一緒に練習することも珍しくはない。だけど、それでもやることは基本的には一緒だ。
自分との対話。走りながら、身体に語りかけたり、身体からの声を聞いたり。ウソじゃないよ。本当に聞こえてくる。途方もない時間を走り込みに当てていると、聞こえてくるのだ。というか、先に話を聞いておかないと、特にマラソンなんかは無理だ。だって、本番で初対面だったら戸惑うでしょ?
「あ、ども、右太ももです。この走り方、ボクの作りだとちょっと負担がでかいです!」
「は? キミ誰? てかなんで“ボク”? わたしの身体なのに“ボク”⁉︎ わたしボクっ娘じゃねーけど?」
「そんなこと関係ないじゃないですか。このまま走り続けたら五分後にはキレますよ〜断裂です〜!」
「は? ウソ? え、いや、マジマジ? 痛! 痛たたたた!!」
……あえて可愛い感じにしてみたが、実際この状況に遭遇すると地獄だ。こうならないように、わたしは自分と納得するまで対話することを心がけていたが、実際には本番までに不安要素を全く無くすことは、結局今まで一度もできなかったな。まあ心がけてはいる、ってことで。
ここまでのことは、あくまで“今の”わたしがわかっていることであって、この頃のわたしは自分より人のことばっかり見ていた。それは当然なのだ。力がないから。正確には、力の出し方すらまだ知らなかったのだから。
わたしは、練習で一度も全力を振り絞ったことがなかった。全力出すのはダサいしみっともない、というスカした感じがまだ残っている時期だった。ただ、自分の高校の練習ならいざ知らず、高校トップクラスの連中が揃っているこんな場所でスカしてたらあっという間に置いていかれて終わりだ。あんまり遅いと連帯責任でさらに練習量が増えて周りに迷惑がかかったりもするので、そういう意味でも本気でやらざるを得ない環境だった。当時のわたしみたいな人間は、このくらい追い込まれないと本気を出せないので、たまたまだけどドンピシャの練習方法だったんだろう。重ね重ねになるが、キツかったけど。
練習も三日目に入って、合宿も折り返し地点になった。この頃になるとわたしも練習に慣れてきて、強い選手の背中についていくことはできるようになっていた。疲労は蓄積していたけれど、それがかえって良かったのかもしれない。走る時に無駄な力が入らず、自然なフォームになっていたんだと思う。そうなるとだんだん雲の上と思っていた人たちとも仲良く話せるようになってくる。東京の選手とも福岡の選手とも大阪の選手ともよく喋った。当たり前だが、みんなそれぞれイントネーションが違っていて面白かった。わたしは新喜劇を観て育ってきたところもあるので、大阪の人と直に話すのは最高だった。自然とこっちまで関西弁に染まってしまう。
「関西のイントネーションの方が自然やん!」
そう言われた時は笑った。まさかこの時は自分が再来年から関西で暮らし始めるとは思っていなかったのだが。
そう、結局高校一年の頃と同じだった。すげえ人に近づくためやることは一つしかない。自分を認めさせること。
わたしはここでも愚直に実行した。
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