第17話 ついていくことだけ考えた

 広島県の高原に合宿所はあった。標高は七百メートル。宿泊施設の隣に体育館が併設されていて、そこに全国からたくさんの高校生が集められていた。もちろん、わたしとカンナもその中に混ざっていた。

 指導者らしき大人が何人かいて、その中には浅井監督の姿もあった。

「昔の監督はマジで“鬼”だったらしいよ」

 いつか、カンナがそんなことを言っていたのを、わたしは思い出していた。おそらく全国の中でも指折りの優れた指導者であろう大人たちの中に入っても、浅井監督はどっしりと構えているように見えた。本当に昔はすごかったのかもしれない、とこの時わたしは初めて感じた。

 実際のところ、浅井監督はすごかった。四戸高校の前は県立きこり高校で指導していて、幾度となく陸上部を全国へと導いたという。その頃は厳しい指導方針で、部員に物を言わせず強制的に大量の練習を消化させるスタイルだったという。その頃の浅井監督に当たっていたら、わたしは間違いなく今陸上をしていない自信がある。

 それもあって、全国の指導者から一目置かれていたのだろう。だから、東北大会でも目立った成績を上げていなかったわたしのような選手を、こんな場違いなところに送り込むことができたのだった。

 代表の先生から挨拶があって、すぐに初日の練習が始まった。初めは緊張しながらも、隣の子と話しながらストレッチしたりして、和気藹々とした雰囲気だった。わたしは来てよかったなと思っていた。東北大会でも青森以外の子たちと話す機会があり、友達になれた。ここでは全国の子と仲良くなれる。陸上はわたしの世界を広げてくれるな──そう、お気楽に構えていたのだった。

 次の瞬間、知らない世界が顔を覗かせた。充実した合宿所にはクロスカントリーコースが併設されていた。笛が吹かれて、唐突にスタート

 いつもの舗装された道と違い、山道のようにデコボコした道を全速力で駆け回る。みんな当たり前のようにこなしていく。わたしはただ、ついていくので精一杯……いや、最初はそれすらままならなかった。そのくらい、全国から選りすぐられた選手たちは力が全く違ったのだった。当たり前の話だ。だって、一緒に走っていたメンバーの中には、インターハイの三千メートルで表彰台に上がったような選手や、高校生にして世界大会に出場していたような逸材が揃っていたのだ。東北大会で通用していないような選手とは、住んでいる世界が違う。

 やっとの思いで走りぬけ、わたしは一息つこうとした。そこに

「五分後に二本目な」

 非情な声が山にこだました。

 五分休憩後に再び走り出す。走り出した瞬間から息が切れている。わたしより先にゴールしたとはいえ、一緒に走る子達も休憩時間はそこまで変わらなかったはずだ。なのにまるで一本目みたいな涼しい顔して走っていた。

 わたしは、それを見て、なにかが切れた。ふざけんな、負けてたまるか! 走る時だけ、わたしは負けず嫌いになる。それ以外は別に勝とうが負けようがそこまで気にならないけど、ただ自分だけ置いていかれるのは我慢ならなかった。

 抜くのは無理だ。この子達より速く走るのは、今は無理。だけど、せめて、最低限、後ろからは離れないで走ってやる! 頭の中にあるのはそれだけだった。

 足に尋常じゃない痛みが走る。心臓も弾け飛びそうだ。だけど、それでも、離れない。その一心で、最後までなんとかついていった。


 その日のお風呂は人生で一番長かった。

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