第9話 わたしの道しるべ
季節が秋から冬に差し掛かっていたあたりの時期だった。四戸高校陸上部では、寒くなってくると長い距離を走り込む練習が増えていった。駅伝の大きな大会は冬に行われる。東日本女子駅伝や、都道府県対抗女子駅伝といったあたりは、毎年テレビで生中継される大レースである。これらの大会にはジュニア枠があり、新人戦で上位入賞したカンナは高校生の青森県代表選手を決める選考会への出場資格を満たしていた。
「せっかくだから走るけど……強い人がいっぱい出てきて、その中から選ばれるのは補欠含めても四、五人だっていうからねぇ」
ジョグをしながらも、わたしとカンナは黙々とやっていられなかった。喋りながら走らないと退屈でやってられないのだった。わたしは、そんなこと言わずカンナには頑張って欲しいと思っていた。だって、友達がテレビに映ってるとこ見たくない?
カンナはスピードは全然負けてないべさ、あとは勝負どころで突っ込めるかどうかだけよ! わたしはそう鼓舞したが、カンナはうーん……としか言わず、考え込んでいるふうだった。今になればカンナの気持ちは分かるのだ。勝負にいって強い選手に標的にされるよりは、自分が標的を狙いにいくスタイルの方が大崩れせず、また失速のリスクも減らすことができる。つまり守りのレースだ。それで運良く上位入賞する可能性を探る。誰もがやぶれかぶれで走れるわけじゃない。だけど、わたしはそれがもったいないと思っていた。レース中にちょっと殻を破るだけで覚醒する選手はたくさんいたと思う。わたしの中ではカンナもその一人だった。
ジョグから戻ると、浅井監督から他の走る選手も含めて部室にくるように言われた。わたしは直感的に、これは説教がくるのではないかと読んだ。これは習い性だ。先生から別室に呼ばれるときは八割方説教。
パイプ椅子を並べてわたしたちは監督の前に座った。浅井監督は、息を一つ吐いたあと、
「お
わたしはキョトンとした。なんだ、説教じゃないのか。まあ、このおっちゃんはそういうことをする人じゃないか、やっぱ……そう安堵していた。
「蕪木はどうだ? お前は中学でけっこういいセンいってた選手だったが、こんな小さい部しかない高校でホントによかったか?」
「……青森田中とかもちょっと考えたんですけど、あそこは留学生が多いし、あたしじゃ試合に出してもらえるレベルまでもいけないかなって……今は四戸選んで良かったと思ってます。楽しいし」
「そうか。“楽しい”ってのは大事なことだぞ。三年間しかない高校生活、部活が楽しい、走るのが楽しいって終われたら、一生いい思い出になっからな。だから、オレはお前らの勝手気ままな練習態度にも口を出す気はねぇんだ」
これはわたしも同感だった。部活は楽しくないと続かない。わたしはコンビニバイトも落ちたし、マネージャーは断られたしで、放課後の居場所がここしかない。まっすぐ家に帰るなんて最悪なことはしたくなかった。わたしは友達と一緒にいるのが好きだから。その、唯一の居場所が中学の時みたいにギスギスしてしまっていたら……もしそうだったら恐ろしい。“仏の浅井”で本当に助かった。
「で、だ。それは前提として、話しときたいことがある」
浅井監督の空気が変わったのがわかった。意図して変えたのだった。これからちょっと真面目な話しますよーという時に醸す、アレだ。
「もっと楽しみたくねえか? なあ、三上よ」
自分に話が振られて、わたしは内心慌てた。何を言われるんだ、と身構えていた。
「高校陸上をしゃぶり尽くしたいとは思わねぇのか? ってことさ。心底楽しむには、最高の思い出にするには……やっぱ、大会で頑張らねえとな。お前、新人戦で壮絶に失速したけど、あの時どうだ? 楽しかったか?」
レース自体は楽しくはなかったです、腹痛かったし。だけど、レース終わった後にみんなから話しかけられたのが、楽しかったです。そう言った。ああやって結果でコミュニケーション取るのはいいもんなんだな、とあの時思ったのだった。
「そうか。オレは、お前に悪かったと思ったんだわ。お前のあの時の力やコンディションに合った指示を出来なかったと悔やんでいた。嬉しくもあったけどな……なかなかあんな指示どおり走れる奴、いなかったからな」
そんなふうに思っていたのか、と驚いた。わたしはただ監督の指示どおりに走っただけなのだが、失速したのは自分の失敗だと思っていたり監督も責任を感じてくれていたとは思わなかった。
「……オレは、みんなそれぞれ素質を秘めた選手たちだと思ってる。だからといって、無理に追い込んで追い込んで結果出させるつもりはねぇ。陸上を嫌いになってほしくねぇから。無理はしなくていい。しなくていいが、がんばれ。心底楽しみ切るためには、レースで結果出した方がいいんだ。県大会、東北大会、そして高校総体……世界が広がっていくからな。そこまでいける素質が、お前らにはあると思ってる」
言いながら、浅井監督の目はわたしに向けられていた──気がした。
無理せず楽しく勝つ。浅井監督の言葉が、結果的にわたしの道しるべになっているような気がする。
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