第8話 新人戦最下位の女、遊ぶ
十月に入ったあたりで、一度限界がきた。身体じゃなくて精神のほうだ。五月に入部してから五ヶ月、休みは週に一度とテスト期間だけ。来る日も来る日も走り続けて、すっかり気分は滅入っていた。走ること自体はイヤじゃない。だけど、陸上部の練習というのはどうも単調で好きになれなかった。この頃にはだいぶ練習のコツも掴めてきたし、手の抜き方も心得てきたりと、単調な中でもなんとか楽しみを見出そうとしてきた。たまにランナー以外の投擲種目の人らと話したりとかもした。周囲からは不真面目そうな部員と映っていたかもしれないけれど、本人的には気持ちを切らさないための工夫だったということは主張しておきたい。
だが、それにも限界があった。わたしは元来飽きっぽい性格だ。日々同じことを繰り返していくのは苦行である。それを思えば、定食屋を継がなかったのは結果的に正解だったのかもしれない。
練習に飽きました。わたしはハッキリ浅井監督にそう言った。つまんないです、と。
「つまんないって……お前、辞めんのか?」
卒業まで辞めるつもりはないです。ただ飽きました。そう、辞めるとか辞めないとかいう話ではなかった。ただ飽きたのである。
今日は帰らせてください。そう言うわたしを、浅井監督は「なんだコイツ……」と言いたげな顔で見ていた。
「……明日はくんだべな?」
これだ。“仏の浅井”は許してくれたのだった。内心はらわたが煮え繰り返っているに違いないのに、生徒の主張を尊重してくれた。どこも故障しておらず、新人戦で最下位になるような生徒の言うことも、浅井監督は否定しなかった。これで許してもらえていなかったとしたら、今に至るまで浅井監督と交流を持ち続けてはいなかっただろう。この時厳しくされていたら、高校で陸上を辞めていたと思う。
陸上選手だからといって、人生は走るだけじゃない。他にもやらなければならないことは山ほどあるし、走ってだけいれば速くなるってこともない。もちろん練習が大事なのは言うまでもない。だけどそんなに物事は単純じゃないというのを、これまでわたし自身がこの身体を使って証明してきたつもりだ。
わかってない指導者は、ひたすら厳しく指導して練習量を増やせばいいと思っている。それは違うと言いたい。それを強いると身体はもちろん、心だって壊れる。場合によっては、精神のダメージの方がより根深い場合も多い。身体は故障の程度や箇所にもよるが、時間が経てば良くなる。心は、下手したら一生治らない。
それにそういう指導者ほど、メンタルケアや選手の健康を軽視しがちな気がする。高校陸上レベルでも、名門と呼ばれる高校が生徒に速く走らせるために無理な減量を強いて、その穴埋めとして鉄剤を打ったりすることがあると打たれていた本人から直に聞いたことがある。それをしていたという高校は確かに強かったけど、そこから出てきた選手は社会人でだいたいすぐに潰れていた。
……この件は思い出すと腹立つので、つい熱くなってしまった。とにかく、浅井監督はそういうことをする人ではなかったし、太り過ぎの場合はさすがに指摘されたものの、無理に痩せろと言われたことは一度もなかった。そこの厳しさがあれば、高校年代でもう少し良い結果が残せていたのかもしれない。だけど、今のわたしはきっと存在しなかっただろう。
その日練習を早退したわたしは、家で好きなCDを大音量で聴きまくり、食べたい菓子を貪り、寝転んでマンガを読み漁り、父親から頭を叩かれた。翌日からまた元気に練習に復帰したのは言うまでもない。
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