第20話 キスの練習1


「……結由のことなんだけど」


 見飽きるほどに流れ星が流れた頃、隣にいる優恋さんがぽつりと言った。


「ああ」


「前に言ったように、イブの夜に会ってあげて」


 僕は頷く。


「そうだね。優恋さんの最初からの頼みだし、それは守るよ」


 しかも結由にお弁当のお礼をした時に、「代わりにどっかいこうよ」って言われて、わかったと言ってしまったしね。


(はぁ……)


 でもまたディズニーランドの時のような、長い時間を過ごすのか。

 気が重いなぁ。


 まあ他ならぬ優恋さんの頼みだし、苦しむのは一日だから頑張ろう。


「結由ね、そこでキスしてほしいのよ」


「はい?」


 失意しててちゃんと聞いておらず、聞き返した。

 なんか今、優恋さんの口から、気になる言葉が出たような。


「もう一度言うわ。結由ね、そこでキスしてほしいの」


「……き、キス!?」


 僕は自分の顔が赤くなるのをはっきりと感じた。


「うん。イブの夜に好きな人とキスをするの、結由の小さい頃からの夢なの。もう何度も聞かされているわ」


 優恋さんは穏やかな笑みのまま、昔を思い出すように遠くの星空に視線を向けた。


「だから今年、それが叶うといいなって結由は思っていて――」


「――ちょ、ちょっと待って、優恋さん」


 僕は話を続けようとする優恋さんを止める。


「会うだけならまだしも、好きじゃない人とはそういうことはできないよ」


 それは、明らかに越えている。

 友達としての付き合いで守らなければならない一線を。


「お願い。結由は夏向くんが大好きなの」


「困ったな」


 うーん、優恋さんらしくないな。

 結由のこととなると、冷静じゃなくなっちゃうのかな。


「その日一日だけでいいから」


「もしかして」


「うん?」


「結由にそう言えと頼まれたりしてないよね」


「………」


 優恋さんが、目をそらした。


「い、言われてないわ」


(なんか怪しい……)


 でもいくら優恋さんのお願いでも、そればかりはなぁ。

 一日だけと言われても……。


「とりあえず、したいかどうかは別としてさ」


 僕は小さく咳払いし、動転してしまった自分を取り繕う。


「そもそも僕ね、そういうことは素人だから、うまくしてあげる自信がないよ」


 逆にやらかしてさ、こっぴどく嫌われるのがオチだよアハハ、と笑いにもっていく。


「大丈夫よ」


 しかし優恋さんは真顔のまま、黒髪を揺らしながら僕の目の前にすっと立った。

 ふわり、と石鹸の香りが近くからやってくる。


「……私が」


「私が?」


「れ、練習相手になってあげる……」


 優恋さんは言いながら頬を染め、僕から視線を逸らした。


「れ、れれれ……!?」


 僕はまた、顔がりんごのようになっているのを感じる。


「そこまでするの?」


「……うん。私にできることなら、なんでもする」


 ただ、優恋さんも相当頑張っているのだろう。

 言い出しておきながら、僕と似たようなことになっていた。


「急にこんなこと、ごめんね」


 優恋さんが胸に手を当てて、小さく息を吐いた。


「私も初めてだから、あんまりわかっていないのだけど……」


 優恋さんはそのまま目を閉じて、呼吸を整え始める。

 それでも、また目を開いた時には、覚悟を決めたようにしっかりとした表情で僕を見ていた。


「今日は実際にキスするわけじゃなくて、形だけの練習だから」


「……そ、そうか。しないならいいか」


 いや、納得していいのか?

 優恋さんとキスと聞いて、頭が回っていない気がする。


 でも正常でいろという方が無理かも。

 だって、優恋さんとこんな近くで、優恋さんのいい香りに包まれて……。


「夏向くんはただ、私の言う通りにすればいいの」


「言う通りに……?」


「そう」


 優恋さんは頷くと、いつもの笑みを浮かべて、そっと半歩近づいた。


「まず最初にね、こうやって、女の子の両肩の下のところに手を添えるの」


 優恋さんは動転したままの僕の手を拾うと、自分の両方の二の腕のところに当てさせる。


「な、なるほど」


 僕は言われた通りにしながら、動揺しっぱなしの自分を必死に隠していた。


 練習とはいえ、優恋さんでこんなことしていいのか。

 いや、コートの上からだからまだ刺激が少なくていいんだけど。


「次にね、そのまま『結由、好きだよ』って言うの」


「……あー、優恋さんごめん。それは無理だよ」


 僕は早々に諦める。

 申し訳ないけれど無理難題。


 まぁ、おかげで頭も一気に冴え渡ったけど。

 しかし優恋さんは気にせずに言葉を続けた。


「夏向くん、女の子はキスの前にこう言われると嬉しいの」


「でも、それは本当に好きじゃないと……」


「このあたりはお芝居だと思って」


「お芝居……?」


 僕はまばたきをする。


「うん。今は上辺だけでいい。当日、実際にできるかどうかは夏向くんが決めていいの」


「それでいいの?」


「うん」


「……きっと言えないと思うよ?」


「いいの。少しでも可能性があるなら、どうかお願い」


 優恋さんは曇りのない瞳で、僕に懇願してくる。


 いや、可能性は0なんです。


(でも……)


 それにしても優恋さん、ホント妹思いだなぁ。

 きっと妹が幸せそうにするのを見たい一心で、こうやって頼み込んでるんだよなぁ……。


 いや、結由に言わされているのかもだけど……。


(参ったな)


 さすがにここまでしている人を冷たく突き放すのは、ちょっと僕には無理かな。

 せめて今は、できるところまでやって前向きな態度を示そう。


 そうすれば優恋さんも納得してくれるし。

 当日はできなかったでも、いいみたいだしな。


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