第17話 貯水池公園
「すごく好きな味だったよ。優恋さん、作ってくれてありがとう」
「………」
夏向の言葉に、優恋がまたぽっと顔を赤くした。
「……だ、だから結由が作ったのよ」
「作ったのは優恋さんだよ」
夏向は今の会話ではっきりと確信したように、優恋を見ていた。
「えっ」
「間違いない」
「ち……違うわ」
とたんに優恋は俯く。
「違わない」
「違うもん……」
「違わない。じゃあ僕の目を見て、もう一度言ってみて。『朝早く起きてお弁当を作ったのは結由です』って。嘘だったらわかるからね」
「………」
強気に言われると、優恋は何も言えなくなってしまった。
結由にチャーハンの味について訊いた時に、夏向はぴんときていた。
結由は隠し味とそうではない味の区別がついていなかったのである。
そんな人があんな美味しいチャーハンを作れるはずがない。
「お弁当のほとんど……っていうか全部、優恋さんが作ってくれたんでしょ」
「………」
優恋は言葉に詰まったままだった。
父も母も料理をする家庭に育った夏向は、理解していた。
濃いめ、薄め、少し優しめ、少々きつめ……。
いろいろあるが、味付けの仕方は料理の種類を問わず、似たものになりやすいのだ。
「結由と付き合わせたくて、そうしてるんだね」
「……結由はとてもいい子よ」
優恋がポツリと言った。
「それはわかる。僕みたいなのを随分と誘ってもくれてるよ」
「好きだからよ」
優恋が夏向を見る。
「でも僕は結由じゃなくて、違う人と出掛けたいな」
「……違う人?」
ちょうどそこで、バスが停まる。
二人が降りる停留所についたのである。
ここからは見知らぬ他人のように、別々に学校に向かうのが暗黙のルールだった。
だが今日の夏向は、優恋が降りてくるのを待って、隣に寄り添う。
「もう少しいい?」
「うん」
二人はバスから降りた人たちの集団から離れ、並んでゆっくりと歩き始める。
「あのさ、今度の金曜、僕とどこか行かない?」
「えっ……?」
優恋が夏向を見る。
その言葉を理解するまで、少し時間がかかった。
「わ、私?」
「うん」
「……私は……だめだよ」
優恋が言葉に詰まり、髪を揺らしてうつむいた。
「どうして?」
「だって……」
「お弁当のお礼は? させてくれないの?」
「………」
「コーヒーのお礼もあるよ。ね?」
夏向は優恋の横顔を見ている。
「……デートみたいなことはできないわ」
優恋は動揺しながらも、きっぱりと言う。
「それならこうしよう。結由とデートするための練習」
夏向が言うと、優恋は目をパチクリさせた。
「……練習……?」
「うん。今のままだと、結由とうまくデートできるか自信ないしさ」
夏向は頭をポリポリと掻いた。
「優恋さんは、結由と僕をうまくいかせたいんでしょ?」
「……うん」
優恋は頷く。
「じゃあ協力してくれると嬉しいな。優恋さんとなら気兼ねなく話せるし」
夏向はひとつだけ嘘を交える。
しかしそうやって頼み込まれると、他人思いの優恋は前向きに捉えるのだった。
「優恋さん、お願いします」
「……じゃあ」
「じゃあ?」
「一度だけよ」
「よかった」
これで結由を喜ばせられるかもだよ、と夏向は照れながら言った。
「でも、場所はあんまり素敵じゃない所がいいな」
そういったスポットは結由のために取っておいてほしい、と優恋は考えているのだった。
「素敵じゃないとこ? ……うーん、なら、貯水池公園とかどうかな」
言ってすぐに、あ、でもあそこは何もなくて寒いだけか、と夏向が額に手を当てる。
それでも、優恋は期待通りだったのか、くすっと笑って頷いた。
「ふふ。いいわ。厚着して行きましょ」
貯水池公園はその名の通り、800mにも及ぶ貯水池に遊戯施設やキャンプサイトなどが付属している。
しかし『遊戯施設』と言っても、規模はディズニーランドには遠く及ばず、アトラクションの大半は老朽化のために稼働していない。
キャンプのマネごとをするだけにしても、今は寒すぎる。
良いのは、近いというだけだ。
「え、ほんとにいいの?」
「うん。せっかくだから結由がこうしてほしいっていうの、夏向くんにいっぱい教えてあげる」
すっかり乗り気になった優恋が、眼鏡の奥でにっこりと笑った。
◇◆◇◆◇◆◇
それから数日たった、金曜の午後。
その日は先生たちが受けなければならない国の講習があるとかで、午前で授業が終わる日だった。
なので、優恋さんと14時に山手線の駅前で待ち合わせている。
今日の場所は今時期のデートコースとしては穴場すぎるので、結由はもちろん、知り合いに会う心配もしなくていいだろう。
学校から近いというほどの距離でもないし。
でも優恋さん、結由とくっつけることしか頭にない話し方だったな。
まあ、二人で過ごせるだけいいか。
ともかく、うまく思いついてよかった。
「おまたせしました」
「あ、ぜ、全然待ってないよ」
また綺麗すぎて、直視できない。
今日の優恋さんはコンビニでぶつかった時のあの人そのままだった。
白のダウンジャケットに、赤と黒のチェックのカシミアマフラー。
ジャケットの中は黒のブラウス。
下はぴちっとした、白の膝上タイトスカート。
ホントスタイルいいな……。
僕なんかが隣を歩いていいんかな、と思ってしまうほどだ。
でも制服は長いスカートなのに、なんでタイトスカートなんだろ……素敵だから全然いいんだけど。
「今日は眼鏡は?」
「うん、コンタクトにしてみたの。そばかす、恥ずかしいけれど」
言いながら、優恋さんはやっぱり恥ずかしいのか、僕に背中を見せる。
「気にすることないよ。てか僕ね、優恋さんが綺麗すぎて隣を歩くの、気がひけるくらいなんだ」
「えっ」
振り向いた優恋さんは、本気で驚いていた。
自分の器をご存知ないみたいだ。
「そ、そんなことない……」
「あるんだよ。……あ、ちょうど電車入ってくるね」
「うん」
今日は山手線で二駅の場所だから、ディズニーランドに比べたらすごく近い。
入り口も並ばなくていいから気が楽だ。
「昨日もプレイ配信したんだけど、2回とも二位だったの」
「見てたよ。惜しかったよね。最後はグレさえ持っていたらと思ってた」
「夏向くんと一緒だったら、絶対勝てたのに」
「いやいや、僕がいてもきっと変わらなかったよ」
そんなふうに、移動中はゲームの話で盛り上がった。
自然に楽しい話題になるのは、やっぱり優恋さんだからだよね。
「改札を出て……こっちだね」
「うん」
山手線を降り、貯水池公園に向かう。
バスに5分間に合わず、逃してしまったので、歩いちゃおうかとペットボトルの水を片手に30分ほどの道のりを歩くことにした。
いつもなら面倒で、早く過ぎないかなと願う時間。
でも、優恋さんと一緒だと素敵な時間に早変わり。
誰かが居ればいい、というわけじゃない。
結由とディズニーランドに行ったから、なおさらわかる。
あんなにど派手なアトラクションに乗っても、あんなにきれいな花火と音楽を聞いても、ひたすらしんどかったし、一分一秒が引き伸ばされているかのように感じた。
「夏向くん、お口の横からお水こぼれてる」
「またやってもうた」
「あはは」
一緒にいるのが優恋さんだから、きっと僕は幸せな気持ちでいられるんだ。
僕はやっぱり、この人のことが……。
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