第18話 鳥たちの歓迎


「あらあら、寒いのにこんなところまでよく来たねぇ」


 貯水池公園の入り口につくと、受付らしい白髪のおばあさんがガラスの奥でニコニコしていた。


「こんにちは」


 二人で挨拶をする。


「来てもらって悪いんだけどさ、遊戯施設は止めてるんだよ」


 やはり老朽化が随分と進んでいるらしい。

 都の指摘を受けて、今年の5月から稼働を全面的に取りやめたそうだ。


「あ、いえ、僕たちは中を散歩できればいいので……おいくらですか」


「入園料? そんなのいらないよ。釣りもしないんだろ?」


 知らなかったけど、今は貯水池を泳ぐブラックバスを相手にゲームフィッシングする釣り人が訪れるらしく、その人達から入釣料をとっているらしい。


 今は釣れない時期になっていて、そういう人も少ないらしいけど。


「はい。しないです」


「開いてるから好きに出入りしておくれ。閉園は6時だよ」


 おばあさんは二カッと笑って、言う。


「ありがとうございます」


 僕たちはおばあさんに礼を言って、横の入口をくぐった。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「夏向くん、見て見て、あっち」


 優恋さんがささやくような声で、澄み切った水面の一角を指差す。

 遠目で野鳥が飛来しているのが見えて、遊戯施設側ではなく、貯水池の方に足を向けていた。

 

 今の僕らは、池から10メートルもない高台の踊り場で、柵に手をかけ、水面を見下ろしている感じだ。


「すごいかわいい……子が四羽もいるわ」


 優恋さんの言った先には、カルガモの親子が縦に一列に並び、愛らしいさまで泳いでいた。


 貯水池公園は明治以前からの自然がそのまま手つかずで残っているのは知っていた。

 貯水池と言っても、周辺をコンクリートで固められているわけではなく、自然そのままの湖にしか見えない。


 それだけに遊戯施設がないエリアは俗世離れしていて、空気も澄み切っていて、『清閑』という言葉がぴったりな感じかも。

 カルガモ含め、いろんな野鳥も生息しているらしく、見ているとまるで動物園にでも来たかのような新鮮さがある。


 こんなに野鳥に愛される場所だったなんて、知らなかったな。


「いっぱいいるね」


 僕は心が洗われる気分のまま、あたりを見渡した。

 見ただけでも、八種類の野鳥が水面にいる。


 それほど大きいものはいないけれど、初めて見る美しい鳥たち。


「カルガモくらいしかわからないわ」


「調べてくればよかったね」


 スマホで写真を撮ってレンズ機能で調べればよいのだけど、シャッター音を立てる、たったそれだけのことが嫌だった。

 この自然の中に、俗世を持ち込むような気がして。


「ねぇ、向こう行ってみない?」


 僕も優恋さんに小声でささやく。

 いつのまにか、吐く息が白くなっていた。


「どこ?」


「向こう。きっと鳥たちを近くから見られるよ」


 僕は優恋さんに頬を合わせるようにしながら、目的の場所を視線と指で示す。

 そこは釣り人が踏み固めたのか、背の高い草木が分けられて水面のそばまで出られるようになっていた。


「うん、行ってみたい」


「足元気をつけて」


 僕は優恋さんが見づらいコンタクトで来ていることを思い出し、彼女の手を取る。


「うん、ありがとう」


 二人で手を繋ぎながら、草木をくぐっていく。

 お互い手袋はつけていないので、彼女の手が冷たかったのはよくわかった。


 そうして、僕たちは水辺に出る。


「わぁ……」


 二人の口から、感嘆の声が漏れた。


 凛とした空気の中、鏡のような水面に浮かぶ鳥たちの姿が、間近に見える。

 こんなに見えてると、鳥たちからもはっきり認知されているのだろうけれど、全然逃げないのは不思議だ。


 そうか、いつも釣り人がいるから慣れてるのかな。


「素敵……」


 優恋さんはマフラーを巻き直すと、水辺に屈んで、自分を鳥たちと同じ目線にした。


「私、カルガモとかこんな近くで見るの、初めて……」


「うん。同じだよ」


 僕も並んで隣に屈み、二人で白い息を吐きながら、同じものを目で追う。

 今の僕は、ただ、それだけのことに幸せを感じていた。


 楽しいことや幸せなことを手に入れるって、なんらかの対価を払わなければならないのだと思っていた。


 先日のディズニーランドのように。


 でもこんな身近なところで、こんなにも心が癒やされる場所があるなんて。


 優恋さんも同じだったのかもしれない。


 どれだけの時間、彼女と手を繋いでそうしていたのだろう。

 気づいて空を見上げると、陽は傾き、西の空が赤く染まり始めていた。


「随分時間が経っちゃったね」


「ホント、もう暗くなるね」


 二人で手を繋いだまま、笑い合った時。

 水面では、とても珍しいことが起きていた。


「……えっ?」


 先に気づいたのは、優恋さんだった。


「どうかした?」


「う、うそ……夏向くん、あれ」


 優恋さんが、指をさす。


「……えええ?」


 あまりに予想外の出来事に、僕たちはそれ以上言葉が出なくなる。


 空から大きな鳥が何羽も水面に舞い降りてきたのだった。

 それは白い美しい翼を見せつけるかのように大きく広げ、優雅に水面を泳ぎ始める。


「は、白鳥……だ」


「………」


 辛うじて言葉が出た僕はまだ衝撃が軽かったようだ。

 優恋さんは呼吸も忘れたように、ただただ見入っていた。


「……どうしてこんなところに」


 白鳥は確かに渡りをする鳥だ。

 冬に日本から北海道を越え、さらに北の国へと渡っていく。


 10月末ごろ、北海道の空を飛んでいくのが見えるという話は聞いたことがある。


 でも東京の貯水池に降りてくるとか、初耳だ。

 いや、知っている人たちがあえて内密にしていて、知られていないだけなのか。


「……なんて素敵なの……」


 優恋さんは膝をついたまま、僕の手を強く握る。


 白鳥は6羽。

 群れていて、そのうちの2羽は互いの存在を確かめ合うように顔を寄せ合っている。


「綺麗だね……」


「うん……すごい……」


 白鳥はその後も飛び立つことなく、しばらくこの地で羽休めをするようだった。

 僕たちは閉園の6時まで、その素敵な鳥たちを眺めていた。


 ずっと、手を繋いだまま。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「あ~温まる!」


「うふふ」


 帰り道、僕たちは山手線を降りた駅前のうどん屋さんに立ち寄り、二人で「はふはふ」言いながら、月見うどんを食べた。


 温かいうどんって、あなどれないよね。

 すぐにエネルギーになってくれるのか、体が一気に温まって、元気になったよ。


「おいしかったね、夏向くん」


「うん。初デートでこれだけどね」


「ふふふ。でも全てがとびっきりだったわ」


「よかった」


 色気も何もない夕食に、二人でつい吹き出して笑う。


 でもこんな店なら、優恋さんも結由に気を遣わなくていいしさ。

 冷えた体を温めるのには、フランス料理や豪華なパフェより断然こっちのがいいよ。


(全然お金使ってないのに、こっちのが思い出になりそう)


 結由とディズニーランドに行った時、チュロスとか歩きながら食べてたけれど、何を話していたのかはもちろん、味すら覚えていないもんな。

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