第12話 二人のゆっこん



「だから、母さんの誕生日に連れて行くから。お土産も買ってくるから」


「う~」


「ごめんね。行ってくるね」


 僕はなんとか袖を振り切って、家を出る。


 今日は雲のない晴天だ。

 からっとした空気の中で、いつもより日差しが強く感じる。


 約束の場所にいくと、10分以上も早いのに、ゆっこんが待っていた。


 銀の刺繍が随所に入った、上品な白のワンピース。

 深く大きな帽子をかぶり、マスクもしているので、パッと見ではゆっこんとはわからない感じだ。


「ゆっこん、早いね」


「来たー、いこいこ~」


 ゆっこんは僕の腕を取ると、電車の方へと歩き出す。

 明るい感じに僕も、ほっとする。


「元気そうで良かった」


「へ?」


 ゆっこんが目をパチクリさせる。


「いや、昨日話した感じ、ちょっと沈んでたような感じがしたから」


「そ、そんなことないよ。ほら、元気じゃん」


 ゆっこんは慌てたように言い、笑顔を振りまいた。


「うん、それならよかった」


「さ、早く行って並ぼっ!」


 タワー混んじゃう、とゆっこんが引っ張る。


「わかった」


 引っ張られながら、僕は少しだけ笑顔になった。


 ま、いいか。

 肝心のゆっこんが元気なら。


 でもどうしてだろう。

 そうとわかったのに、僕の心がなにか晴れないのは。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「今日思ったよりあっついね」


「うん」


 今日初めてかもしれない日陰に入って座り、大きく息を吐く。

 ディズニーシーから攻めて、様々な人気アトラクションを制覇した僕らは、13時半過ぎに遅めの昼食を口にしていた。


「夏みたい」


「日焼けしちゃってるかもね」


 口元をハンカチで拭いているゆっこんに、僕は言う。


 今日はもう冬だというのに25度超えになっていた。

 着てきた上着はとうの昔に脱いだけど、半袖でいいんじゃないかな、これ。


 湿度が高くないのが幸いだけど、外で並び続けるのは、なかなかの拷問だ。


 昔もあったのかもしれないけど、こういう異常気象って地球が病んできたみたいで心配になる。


「ここまでだと思ってなかったから、日焼け止めを塗り直してくるね」


 ゆっこんが手さげバッグを持って、席を立つ。


「いてら」


 僕は氷漬けで炭酸がなくなったコーラをストローで吸いながら、頷く。

 そのままぼんやりと周りを見回していた。


「はぁー。それにしても、みんなよく来るなぁ」


 もっと気楽な遊園地的なものを想像していたけど、ランド自体が広いから移動だけで結構脚に来るよ。

 人混みが苦手じゃなければ、こんなに疲れないかもだけど……。


「いかんいかん」


 こんな顔じゃだめだ。


 ゆっこんも数ある友人の中から僕を誘ってくれたんだし、笑って帰ってもらえるようにテンション上げよ。


 それに、母さんのためにもしっかり下見しておかないと。

 せっかく来たんだから。


 そんなことを考えている間に、ゆっこんが戻ってくる姿が視界に入っていた。


「ただいまー……あっ!?」


 先ほどまでの椅子に座ろうとしたゆっこんだったが、曲げた膝がテーブルに当たり、テーブルがガタンと音を立てて縦揺れした。


「おっと」


 運悪く僕の飲んでいたコーラが倒れ、僕の衣服を派手に濡らす。


「だ、大丈夫? 膝、ぶつけちゃった」


「うん、僕も置いていたところが悪かったよ。ごめんね」


「ハンカチ、いる?」


 ゆっこんが慌てた様子で、バッグからそれを取り出した。


「大丈夫」


 僕は愛想笑いをしながら、濡れたワイシャツの前を絞る。

 深い紺色のシャツだから色とか全然目立たないのは幸いだったけど、案外にべとべとになりそうだ。


 ゼロコーラにしておけばよかった……。

 いや待て、ゼロでもベトベトになるんかな。


「ちょっと僕もトイレ行ってくるよ」


 僕も化粧室に走り、濡れたシャツを脱いでコーラをかぶったところだけ水洗いしてきた。


 幸い、日差しが強いからすぐ乾くさ。

 水をかぶるアトラクションとかあってもいいくらいの暑さだからね。


 その後は目立ったトラブルなどなく、いろいろ見て回った。


「今日はありがとー! 楽しかったね」


「こちらこそ。誘ってくれてありがとう。また明日ね」


 最後の素敵な花火まで見て、10時過ぎに家に帰ってきた。


「遅かったわね」


 エプロンをした母さんがパタパタと音を立てて、玄関にやってくる。


「え、起きててくれたの」


「当たり前でしょ。何か食べる?」


「ありがとう」


 台所から流れてくる香りで、母さんが味噌汁を温めてくれていたのに気づき、それをもらうことにした。

 けっこう汗をかいたせいか、なんだか今は塩分が欲しかった。


 母さんってもしかして、そこまでわかって作ってくれてるのかな。


「夏向くんなにかこぼしたの?」


 味噌汁に向き合いながら、母さんが言う。


「なんでわかるの」


 さっきちらと見ただけなのに。

 色で見分けなんてつかないのに。


 母さんは振り向くと、ほっそりしたひとさし指で僕の服の前を指差した。


「絞ったようなよれ方してるわ」


「うん、べとべとするからトイレで洗った」


 どうせ訊かれるので、こぼしたなりゆきも話しておく。


「そう、それなら夏向くんは悪くないわね」


 平謝りだったでしょう、その子、と母さんが温め直した味噌汁をおたまですくいながら言った。


「………えーと」


 僕は口ごもる。


「夏向くんどうかしたの?」


「いや、なんでもない」


 そういえば、あの時ゆっこんの口から、あの言葉が出ていない気がする。

 ごめんなさい、が。


 ゲームのチャットだと、あんなにいらないくらい謝る子なのに、どうしてだろう。


「………」


 そこで、鈍感な僕もやっと気づくことになる。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 次の日。


 僕はいつも通り学校を終え、帰宅する。

 昼休みは図書館に行き、宿題を先にやっていたので、ゆっこんとのやりとりは朝の挨拶だけだ。


「よし」


 早めに準備してαPEXに接続すると、彼女が来るのを待っていた。


 なにもすることなく座っていて、ああと思う。

 僕からきちんとこの人を待つのは、初めてかもしれないと。


 この人はいつも、僕を待っていてくれていた。


「来た」


 INを確認し、一呼吸置いてから彼女をパーティに誘う。


「昨日はありがとう、とっても楽しかった」


 彼女は挨拶の後に、明るく言う。


「こちらこそ。僕を誘ってくれてありがとう。花火もきれいだったね」


「うん」


「ところでゆっこん、ゲームする前にひとつ聞いていいかな」


「うん」


「ゆっこんって、もしかして二人いるの」


「………」


 時間が止まったように感じるくらい、チャット先の彼女は、しばらく言葉を発せずにいた。


「僕の気のせいじゃないよね。あなたは学校で会うゆっこんとは違う気がするんだ」


「………」


「ゆっこん?」


「……もしそうだったら」


 チャット先の彼女は小さな声で言う。


「うん」


「許してくれますか」


「別に怒ったりなんてしないよ。ただ、僕の中で理解しておきたいだけだから」


「…………」


 彼女はやはり、言葉が続けづらいようだった。

 それでも、僕が口を開く前に彼女は言ってくれた。


「夏向くん、帰りって『銀杏通り』のバス停で降りるでしょう」


「うん」


「明日そこで待ってる」


 どきん、と僕の胸が跳ねる。


「会えるの」


「委員会があるから18時頃でいい?」


「全然、じゃあ僕があなたを待ってるよ」


「ふふ。私が待つから。委員会早く終わるといいな」


 くすくすと、チャット先の彼女が笑う。


「なんかドキドキするなー。僕はきっと、今話している人とは直接会ったことがないだろうから」


「……そんなことないよ」


「えっ?」


 僕は耳を疑う。


「私、何度も夏向くんに会ってる。きっとブサイクすぎて気づいてもらえてないだけ」


 チャット先の彼女は、自嘲するように笑った。


「何度も? どこで??」


「ふふ。会ってからのお楽しみ」


 彼女はまた、くすくすと笑った。





作者より)今後の更新間隔は2-3日になりそうです。




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