第10話 二度目の対談生配信


 それから静かに4日が過ぎた。

 夏向にとってはさながら、嵐の前の静けさのようであった。


 だが夏向は何度も自分に言い聞かせていた。


 宝田の体調は文句がつけようのないほどに万全。

 予想外のなにかが起きる可能性など、ゼロに等しいのだ、と。


 そして、やってきた21時0分。

 2回目の生配信の始まりである。


「ハーイ、みなさんこんばんこん。ゆっこんだよ!」


 明るい挨拶の声が響く。


 ベージュ色の髪の少女は、黒と白の派手なゴスロリ服を着て、椅子に脚を揃えて座ったまま手を振っている。

 白の頭巾もつけており、今日のコンセプトはメイドのようである。


『わこつ』


『今日もゆっこん激カワ~♡』


『ゴスロリ万歳』


 いつものようにコメント欄が流れ出す。

 今日は前回の倍以上となる12000人が最初から視聴していた。


 これだけ集まったのは理由がある。

 彼らは例外なく、強い期待を抱いていた。


 ――今夜、あの男が帰ってくる、と。


「今日はね、超好評だったあの配信者さんとの生対談をお届けするよっ! でも今回は真面目な話ばかりだから、変な期待はしないでね!」


 ゆっこんはウィンクしながら、立てた人差し指に、ちゅっとキスをしてみせる。


『ゆっこんきゃわいい』


『たまらん〜』


『すでにワクワクが止まらないw』


「では、KANATAくんです! よろしく~」


「こんばんは。今日も宜しくお願いします」


 まるでチャットしているかのように声が挟まれているのは前回同様である。


『KANATA、あたしともフレンドして~』


『カッコ良すぎるから、またやらかしてくれ』


『出たな、期待を裏切らない男』


 コメント欄を見ているだけで、否応なしに心臓の鼓動は速くなる。


「宝田さん、信じてますよ……」


 モニターを前に、夏向が祈りにも似た独り言を漏らす。


「みんな、前回の配信見たでしょ! KANATAくんのグレーシーはもう圧巻だったよねぇ!」


 ゆっこんは台本通りに話を始めた。


「いえいえ、運が良かったです」


「あたしがやられて劣勢だったのに、相手を翻弄して倒しちゃうとか、ホントカッコ良かったー!」


 夏向は膝が軽く震えた。

 ゆっこんはさっそく、台本を逸脱したセリフを挟んできたのである。


「いえいえ、運がよかったです」


 おお、と夏向はつい感嘆の声を漏らす。


 とっさに同じ言葉をリピートさせ、的確にアドリブに対応しようとする様子。

 明らかに前回とは違う、機転の良さ。


「宝田さんだ……」


 温かいまでの安心感が夏向を満たす。


「ねー! 視聴者の皆さんも、KANATAくん素敵だったと思うよね!」


『あの戦いはマジ見入った』


『あれの後だったから、余計にカッコよさが引き立ったなw』


『謙虚だし惚れる~♡ ウチとランク上げして欲しい!』


 コメント欄を見ればわかることがある。

 今日は純粋なゆっこんファン以外にも、夏向を気に入って見に来てくれている視聴者がいるのである。


「あらあら。なんなら、今日はKANATAくんのソロプレイを配信する?? あたしが解説で」


 ゆっこんが少し膨れた表情で言う。

 ここも言葉通りの意味ではなく、前回同様、そのいじらしい顔を見せることがポイントになっている。


『ゆっこんが見たいんだよ~』


『KANATAもおもろいけど、ゆっこんがいてこその動画です』


『ふくれてるゆっこん、マジかわいい』


「それだと味気ないですね」


 とっさにKANATAの声も挟み込まれる。


「ふふ、みんなありがとう。KANATAくん、視聴者さんからパーティ頼まれたら一緒に行ってあげてね!」


「ええ。もちろん行きます」


 ここも秒で返す返事である。


「ふぅ」


 夏向は肩の力を抜くと、笑みを浮かべながら椅子の背もたれによりかかる。

 発せられた返事はすでに、宝田を感じさせるに十分なものであった。


「よし、みんな、約束はとりつけたよ! じゃあ今日はKANATAくんと初心者さんからの質問に答えていく感じにするね。みんないっぱい勉強していってね!」


 そしてゆっこんは手元に置かれたメモ書きのひとつを手に取ると、それを読み上げる。


「では1つ目の質問です。KANATAさんはエイム練習をどのようにしましたか、とのことです! どうですか」


 ゲーム用語で、武器の照準をあわせる操作のことを「エイムする」、もしくは単に「エイム」という。

 ゲーム熟練者であればあるほど、エイムはすばやく、正確に合うようになる。


「はい、エイムは重要ですね」


 夏向はそう言って少し間を置く。

 実際は間を置いているのではなく、声の操作者が次の音声を探しているだけである。


「別ゲームですが、小さい頃からエイムだけ『オーバーウォッチ』で父に練習させられました。Bot撃ちコンテンツがとても充実していてオススメですよ」


 夏向はかつてないまともな返答をしてみせる。

『Bot』とはこの場合、人が操作しているかのように動くようプログラムされた標的を指している。


『おお、オーバーウォッチか』


『なるほど』


『エイム練習なら確かに』


 期待していたお笑い方向ではないものの、聴衆も頷く。

 宝田が言った通り、まともな会話が成立している証拠と言えた。


(ありがとう、宝田さん……)


 夏向はやっと、胸をなでおろすことができた。


 もう心配しなくていい。

 以前のようなことはもう二度とないのだ。


「では2つ目の質問です。敵を先に見つけても、撃つと音で他にも位置バレしちゃうと不安になり、なかなか撃ち始められません。こういう時、KANATAさんはどうされていますか……という質問です! どうでしょう」


「気持ちはよくわかります。周りを見ているからこその考え方ですね」


 そう前置きすると、音声上のKANATAは考え込む仕草を見せた。

 台本通りであり、この後は先程同様、次のセリフが選ばれ、続く流れである。


「………」


 しかしそこで間があく。


「KANATAくん、どうかな」


「………」


 KANATAはそのまま沈黙し、言葉は一向に発せられない。

 そのまま、間は明らかに異常なレベルにまで空いてしまう。


 コメント欄もざわざわし始めた。


「た、宝田さん……?」


 なにかトラブルが生じているのだろうか。

 一抹の不安が夏向の脳裏をよぎる。


 それでも夏向は、悪夢を振り払うように、頭を大きく横に振った。


 迷いを捨て、一心に信じ続けるのだ。

 声の操作者は、太鼓判を押してきたあの宝田なのだから。


 当然、夏向は知る由もなかった。

 本日、宝田はつわりを発症し、急遽休みとなったことを。


 夏向の期待を裏切り、代役は当然、前回のあの素人になっていた。


「ふふ、もしかしてKANATAくん、トイレでも行ったかな」


 ゆっこんが気を遣って間をもたせようとしている。


「いえいえ、大丈夫ですよ」


 それにちょっと遅れて、やっとKANATAの声が挟まれた。

 いつ使われてもいいように収録されていた、接続の言葉であった。


 夏向はほっと安堵する。


 さすが宝田。

 大丈夫。こうやって、多少のトラブルくらいは乗り越えてくれるはずだ。


「よかった。実はあたしもね、動画を配信している間はトイレとか我慢してやってたりするんだ。アハハ」


 ユッコんは、アドリブでうまく話を繋ぐ。

 しかし。


「そうですね。大なり小なりは漏れてしまうと思いますが、致し方ないことだと思います」


「……え?」


 ゆっこんの顔から、笑いが消えた。


「ちょっと待てぇぇぇ!?」


 夏向はモニターを掴んで叫んでいた。

 今の会話をもう一度見直してみよう。


『敵を先に見つけても、撃つと音で他にも位置バレしちゃうと不安になり、なかなか撃ち始められません』


 に対して準備されていた返答が、


『――そうですね。大なり小なりは漏れてしまうと思いますが、致し方ないことだと思います』


 だったのである。

 なんら問題のない会話のはずであった。


 しかし。


『実はあたしもね、動画を配信している間はトイレとか我慢してやってたりするんだ。アハハ』


『――そうですね。大なり小なりは漏れてしまうと思いますが、致し方ないことだと思います』


 こうなると、話は違ってくる。

 自室でのお漏らしを許容、いやむしろ、夏向の部屋ではこれが作法として常態化していることを示唆している。


『www』


 待ちかねた発言に、この視聴者たちが黙っているはずがなかった。

 コメント欄が読みきれない速さで流れ出す。


『いや、致し方あるだろw』


『小はともかく、大は気にしろw』


『床の身にもなれ』


「か、KANATAくん、さすがに漏れたらやばいよ……あはは」


 ゆっこんがなんとか笑いながらも、あえぐ。

 しかし今日の夏向も、これからだった。


「終わった後は、見回して人がいなければ放置でいいと思います」


『いや、いいわけねぇw』


『放置すなw』


『腹筋ちぎれるwww』


「たいていすぐには気づかれません。その現場からは早めに立ち去りましょう」


『おいwww』


『逃げの一手w』


『常習犯だなw』


「――つ、次の質問ですっ!」


 ゆっこんも前回のことで学んでいた。

 こうなると、話題を早々に変えた方が安全であると。


 夏向の声は録音されたものであることを、今やゆっこんは知っている。

 話題を新鮮にすれば、声の操作者も切り替えやすくなるはずだ。


「これが一番多かった質問! KANATAくんのお母さんはどんな人ですか?」


 だが、宝田ならまだしも、声の操作者はゆっこんのとっさの判断についていくことができなかった。

 ここは本来、ゆっこんのあいづちが続く。


 ――うんうん。じゃあまとめると、ざっと索敵して漁夫が見えなければ仕掛けるのは間違ってないってことだね!


 だから、KANATAは答えた。


「そうですね。100%白です」


 キターwwwという言葉が、コメント欄を埋め尽くす。


『だから誰がPの色を聞いたw』


『いや、聞きたかった』


『黒派残念だったなw』


 コメント欄はここぞとばかりに大火事になる。

 そんなコメント欄に、夏向はさらに油を注ぐ。


「皆さんもわかると思いますが、そういう時の処理は、手伝ってもらった方が経験上早くて安全です」


『若母が手伝う……だと……』


『安全の意味kwsk』


『ちくしょう、住所教えろください』


「実際、さっきまで僕もしてたんですけど、たくさん手伝ってもらいましたよ」


『おいwww』


『また自慢気に言いやがった』


『お兄さん、生き別れた弟の健志です』


「きょ、今日はKANATAくんへの質問コーナーでした! いろいろ手伝ってくれるお母様、素敵ね!」


 もう他に手段がないと見るや、ゆっこんが強引に締めくくる。


「ええ。もちろん逝きます」


 今回も夏向は最後にバカタレなセリフを放ち、大量の『www』『やめれw』をもらって配信が終了した。

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