第9話 恐怖のお誘い
翌日。
「おはようございます」
「おはようございます」
朝のバスでは、いつもの人といつもの時間に挨拶し、揺られる。
でも心なしか、今日はなにか、チラチラと見られているような気がする。
いや、気のせいかな。
でもとりあえず、昨日の配信、無事に終わってよかった。
つり革につかまりながら、胸をなでおろす。
そして昼休み。
「ちょっと! 昨日マジでかっこよかったぁー!」
例によって、体育館裏に連れられた僕。
しかし睨まれるいつもとは違い、ゆっこんは僕の腕を取ると、しなだれかかるように絡みついてきた。
「ど、どうしたの」
オレンジの香りに包まれながら、今までの塩対応を知っているだけに、僕は目をしばたたかせる。
「どうしたもこうしたもないわ。本気で惚れちゃっただけ」
そう言って、ゆっこんはそのままの状態を維持する。
「わっ……」
彼女の頭が僕の顎のところにあって、サラサラの髪が目の前で流れている。
それだけじゃない。
腕にも柔らかいものが当たっている。
「よくあそこから勝ったよね~」
「た、たまたまうまくいっただけだよ」
ゆっこんの話によると、生配信で勝てたのは事務所的にも相当ありがたかったらしい。
確かにあの影響で、僕のチャンネル登録者数がまた増えて、今日にも7000人に到達する勢いだ。
応援メッセージもたくさんもらって、今日は気分が高揚しているよ。
「昨日から、こうしたかったの」
「え、えーと……」
「……あ」
そんな折、ゆっこんが慌てて離れ、背中の後ろで手を組む。
見れば通りすがりの用務員さんが、木材を抱えたまま、唖然とした様子でこちらを眺めていた。
「……まだ見てる?」
背を向けているゆっこんが、声だけで訊ねてくる。
「いなくなったよ」
ゆっこんが肩を脱力させ、ほっ、と息を吐く。
「もう、せっかく……まいっか。あのさ、今週の金曜日って夜とかヒマ?」
ゆっこんがくるりと振り返ると、半歩の距離で頬を染めながら訊ねてくる。
「金曜日は学校以外はなにもないよ」
僕はドキドキしてしまっていた自分を隠すように、平静なふりをして言った。
「また対談生配信やりませんかって、宝田さんが」
「え」
顔から血の気が引くのがわかった。
対談生配信って、まさか……。
「前回は荒れちゃったけど、あの動画、再生数450万とか出てて実はすごいんだって。夏向にぜひお願いしてほしいって」
「……だ、大丈夫なの」
前回が悪夢だっただけに、不安を隠せない。
「うん、今度はきっと大丈夫よ。詳しい話はまた宝田さんからあるから! それじゃあね!」
ゆっこんが手を振って去っていく。
その制服の背中を眺めながら、僕は背筋が冷たくなっていくのを感じていた。
「あれをまた……いや、もちろん前回はたまたまだろうけど……」
思い返せば、恐怖でしかない。
今でも夢に見てうなされるからね。
僕、人前で恥かくのって、そんなに慣れてないし……。
「でもそんなに再生数伸びてるんだ……」
僕は腕を組んで思案する。
仕事なんだから、そんな子供なこと、言ってちゃだめか。
お金をもらうって、なにかしら苦労をすることの対価なんだし。
ゆっこんには随分迷惑をかけたし、嫌な顔は見せずに協力しよう。
「なあに、次は普通に終わるさ」
僕は自分に言い聞かせ、笑顔になろうとする。
「………」
なのに、どうしてだろう。
不安が払拭できないぞ。
◇◆◇◆◇◆◇
「KBホールディングスの宝田です」
その日の夜、さっそく電話が来た。
「KANATAさん、先日は大変なご迷惑をおかけしてしまい――」
「いえいえ、仕方ないですよ。それより体調の方はいかがですか」
僕が全然怒っていないことを知ると、宝田は嬉しそうに声を明るくして言った。
「お陰様で全快しました。ぜひゆっこんさんとの再コラボをと思いまして」
「……大丈夫ですよね」
つい、念押ししてしまう。
「もう流行病にかかった以上、私に怖いものはありません」
胸をどんと叩いたかは知らないが、宝田はそれくらい強気な感じで言ってくれた。
そうだよね。
大丈夫、僕はこの人を信じていいんだ。
「それに今回の配信は2週間後とかではなく、今週末です。健康な私がきちんと音声を担当させていただきます」
「わかりました。ではお願いします」
そこまで言ってくれるなら。
いちおう協力金も出るから、コラボ自体は僕にも利益のあることだし。
「KANATAさんのことはもうわかっていますので、おおよそ下地は作ってあります。どうでしょうか、こんな感じで……」
そしてまた、一字一句が決められ、台本が作られていく。
今回はゲーム内での技術的な部分の話になっていた。
例えば『動画を配信すると、自分が編み出したオリジナルのテクニックがダダ漏れになってしまうこと』など。
そういうことに対して、僕は気にしないようにしている、と言った感じの返事を作っている。
僕はなにかしら下ネタに噛み合わないか、無意識にチェックしていた。
(大丈夫だ……)
台本上は全く問題のない、真面目な会話だ。
うん、これならゆっこんが急にアドリブを挟んできても、すれ違いようがない……はずだ。
「ではKANATAさん、台本に沿ってよろしくお願いします」
そして、僕の声が収録される。
時間にして、10分ほどの作業だ。
「お疲れ様でした。今回の配信を見てもらえたら、前回が事故であり、本当のKANATAさんは真面目な人だと理解していただけるでしょう」
1時間とちょっとの綿密なやりとりの後、宝田が僕をねぎらってくれる。
「本当ですか」
「ええ。絶対そうなりますよ。どうぞご心配なく」
宝田さんは力強く言った。
「そうだといいです」
「では金曜の夜に。よろしくお願いします!」
明るい声のまま、宝田が電話を切る。
僕は通話をオフにすると、水をごくんと飲んで、ふう、と息を吐いた。
「そうだよ。怖がることはない。金曜は僕にとってチャンスなんだ……」
僕は不安に目を向けないようにして、宝田さんをひたすら信じることにした。
よし、宝田さんの言う通り今回はしっかり配信して、汚名を返上してやるぞ。
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