第6話 見惚れてしまった人
翌日。
土曜なので学校はお休みだけど、僕にはバイトがある。
近くの個人病院で、誰でもできるような患者さんのサポートをするものだ。
病院という所は慢性的に人手不足らしい。
特にコロナが流行ってからはその傾向は顕著で、女の看護師さんがひとりで力仕事をしていたりするそうだ。
患者さんが病院の外まであふれていた時に、見ていられなくて手伝ったのが始まりだ。
僕はただ、目についた簡単なことをやるだけで、看護師さんや先生から、すごく感謝された。
3日も手伝うと、院長から正式にバイトをお願いしたいと言われて、今は掃除係兼看護助手という体面でお給料をもらって働いている。
そんな仕事が9時から16時まであって、一日で6000円ももらえる。
今日は患者さんが多くて、閉院できたのが18時だった。
その後の掃除や後片付けを手伝い、帰路についたのが19時で、もうあたりはすっかり暗くなっていた。
「まかない代ももらったし、食べちゃおうっと」
仕事中から無性に果物が食べたかったので、そのまま最寄りのセブンに寄った。
目当てのグレープフルーツを見つけて支払いを済ませ、店を出る。
食べながら帰ろうと、カップの蓋をひっぱりながら角を曲がった時。
「あっ」
「きゃっ」
前を見ていなかった僕が悪かった。
勢いを殺せぬままどん、と誰かとぶつかってしまった。
蓋がまだ開いていなかったのは幸いだった。
開いてたらこぼして相手にかけてしまってただろうから。
「す、すみません。大丈夫ですか」
僕も尻餅をついていたけど、すぐに起き上がり、倒れ込んだ相手を抱き起こす。
彼女の石鹸の香りが鼻をくすぐっていたけれど、それどころじゃない。
病院の手伝いをしているだけに、怪我が気になっていた。
「だ、大丈夫です」
澄き通った、きれいな声。
相手は女だった。
僕と同じくらいの年齢で、さらさらの黒髪を肩に下ろしている。
ベージュのセーターに、黒のタイトスカート。
そんな短いものを穿いていたのもあって、彼女は上半身を起こして女の子座りをすると、そのままそっちを手で隠した。
「よそ見していました。すみません」
僕はそれに気がついて、彼女の横に回り、同じ方向を見るようにしながら、支えて立たせようとする。
「……私も、ちょっとスマホを見てて」
「怪我はありませんか」
「はい」
「よかった」
僕は胸をなでおろす。
こんなところで人に怪我させたりしたら、もうバイトや配信どころじゃないからね。
「気遣ってくれてありがとう」
少女はニコっと笑った。
そこで僕は、はっとする。
とんでもなく綺麗な人だった。
整った目鼻立ち。
透き通った肌理の細かい頬には、わずかに朱がさしている。
特に化粧をしているわけでもないのに、顔立ちは全てが美しく調和していて、非の打ち所がない。
いや、顔立ちだけじゃない。
揺れる胸、くびれたウエスト、そして再び膨らむ腰下。
伸びる太ももは白くむっちりしていて、タイトスカートがよく似合っている。
こんなに綺麗でプロポーションがいい女の人、初めて見たかもしれない。
いや、母さんももちろんすごいけど、僕的には女性と捉えてませんので枠外です。
見られていることに気づき、彼女は照れたように顔、というか目の下あたりを手で隠して横を向いた。
「夏向くんも大丈夫でした?」
「………」
「……あの?」
ちら、と彼女が目だけでこちらを見る。
「あ、すみません、大丈夫です」
慌てて答える。
色香に惑わされていて、全然聞いてなかった。
ただ、その時の僕が感じていたのはひとつだけ。
この香り、僕、どこかで……と。
だから、彼女が僕を夏向と呼んだことにも気づかなかった。
なぜ彼女が黒のタイトスカートを穿いていたかなど、当然思いもよらなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
涼しい、からりとした朝。
小鳥たちが冬ごもりするのか、餌を必死に探している。
日曜も開院している病院は珍しいらしい。
だからか、患者さんは平日以上にたくさん来院される。
今日も閉院時間が2時間以上押して、掃除までしてたら18時過ぎになった。
まあ残業はお給料が増えるし、肉体労働なだけだから僕は全然いいんだけど。
昨日と今日の残業で、パフェ代もしっかり稼げたよ。
帰ってきてご飯とお風呂、母さんの家の手伝いも済ませて、パソコンの前に座る。
「8時48分、よかった~」
僕は時計を見ながら安堵する。
間に合わないかとちょっとヒヤヒヤした。
今日はゆっこんとの仲直り配信の日だからね。
αPEXに接続すると、すぐにゆっこんからパーティ招待が飛んできた。
「てすてす」
「はい、ゆっこんさんの声聞こえてますよ」
「夏向、今日もよろしく~。トリオのもうひとりはあたしの友達だよ。今日はこの三人で回すね」
画面にはゆっこんと僕の他に、『Yちゃん3024』という人がいた。
もちろん初めて会う人だ。
「はい、『Yちゃん』さんよろしくおねがいします」
ちなみに返事はなかった。
「あ、夏向。ちなみにあたしのことはゆっこんでいいよ。配信中はKANATAくんと呼ぶけど」
「わかりました」
「そろそろ9時ね。じゃあ配信始めるね!」
今日は本物のライブ配信だ。
実際のゲームプレイがそのまま放送される。
でも全然緊張していない。
こないだ散々恥晒しをしたし、そもそも今回は喋りの部分が全然ないからね。
ただゲームをすればいいだけだから。
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