第5話 忘れっぽい彼女


 翌朝。


「おはようございます」


「あ、おはようございます」


 いつものように、隣にあの子が乗ってくる。

 石鹸の香りが先か、その声が先か、いつもは五分五分だ。


 彼女は決まって僕の右隣に来る。


 特に話さないけれど、いつも定位置だからみんなから見れば家族くらいに思われてるのかもな。 


「お客様におかれましては、ドア付近に立ち止まらず……」


 停車するごとに運転手さんがアナウンスを繰り返している。


 どうしたんだろ、今日はなんか混んでる。

 近くの製薬会社で何かイベントでもあるのかな。


 まぁ原因はさておき、結果として今は隣の人との距離が近い。

 いつもはたまに肩とかぶつかるくらいだけど、今は周囲から押されて常に袖から出た二の腕どうしが重なり合ってる。


「………」


 え、なんか……。

 腕じゃない、柔らかいものがぶつかるんだけど。


「………」


 お互い気づかぬふりにしてる。

 けど、ちらりと見ると、彼女は大きな眼鏡の下で、頬を染めているように見えた。


 この人、着痩せするってやつなのかな。

 すごくほっそりしているようにみえるのに。


 柔らかいもの、すごいんですけど。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 ぴゅうぅ、と吹く風が冷たい。

 並ぶ街路樹は咲かせていた紅葉を地面に並べ、やってくる冬の準備をしている。


 校門を抜けて、製薬会社が開放している庭園の横を通り過ぎると、放課後も生徒の姿があった。


 あったといっても、男女ひとりずつだけどね。

 もちろんこんな時間だから、彼らはお弁当を食べているのではない。


 学園の生徒しか知らない、特殊なならわし。

 放課後、葉桜に囲まれた噴水の前で告白すると、うまくいくというものだ。

 まあ、僕には縁のないところだろうけど。


 手を取り合っているから、幸い、この二人はうまくいったらしい。


 よかったね。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「水響で予約していた者です」


「いらっしゃいませ。お連れ様がお待ちです」


 約束のお店に入ると、営業スマイルの女店員さんが、僕を店内へと連れる。

 案内された先でカーテンを抜けると、ベージュの帽子を深くかぶった人が素脚を組み、スマホをいじっていた。


「遅い。1分遅刻」


「大目に見てあげてください」


 僕は席につきながら苦笑いする。


「でも個室にしてくれたのは偉い」


 そう言いながら、ゆっこんは深く被っていた帽子をとって、ふぅ、と大きく息を吐いた。


「でしょう」


 コロナが流行ってから、喫茶店でも客席に配慮があって、個室化した席がちらほらある。

 このお店にそういった席があったのは幸いだった。


 ゆっこんは有名人だからね。


「夏向のと二つ頼んでおいた」


「あ、ありがとう」


 僕も食べるのか。


「なにか文句ある」


 ゆっこんが僕を睨む。


「ないよ。それより一昨日はありがとうね」


 僕は置かれた水を口にしながら、ゆっこんの視線を受け流す。


「……一昨日?」


「うん、僕のせいじゃないって言ってくれたの、嬉しかったよ」


「……え? あ、うん……」


 ゆっこんは急に挙動不審になる。


「どうかした?」


「ど、どうもしないわ。早くパフェが来ないかなと思ってただけ」


 ゆっこんは髪に手ぐしを通して、僕に横顔を見せている。


「あとね、また配信に誘ってくれてありがとう」


「あ、うん」


「集客になるから嬉しいんだ。前の配信でも言ったけど、うちって片親でさ。苦労をかけるのが嫌で配信を始めたけど全然でね。困ってたんだ」


 感謝を伝えてみたが、どうしてかゆっこんは気まずそうな表情を浮かべ、視線を泳がせている。


「おかげで母さんを助けられるよ」


「……奢らせて悪かったわね」


 ゆっこんは視線をそらしたまま、ボソリといった。

 ああ、それを気にしていたのか。


「これから配信でもらえる収入を考えたら全然だよ。いつでも奢らせてもらうよ」


「登録者、少しは増えたの?」


 ゆっこんが水を口にしながら、話を変えるように訊いてきた。


「うん。この間の生配信のおかげで、一気に4000人を超えてね。あんなことになっちゃったけど、結果的にはすごく感謝してる」


「ふーん。よかったね」


「うん」


「おまたせしました~」


 そこで店員が30cmはありそうな巨大なパフェをふたつ持ってきた。

 これがちまたで噂の、デカチョコパフェだ。


 アイスとチョコレートがこれでもかとばかりに重ねられたタワーの上に、クッキーが丁寧に飾られ、ダメ押しでキャラメルソースがどっぷりとかかっている。


 見た瞬間に絶対食べきれないとわかる、980円+税の値段に相応の破壊力だ。


「すごーい……」


 ゆっこんが目を輝かせている。


「写真で見るより強烈だね」


 ちなみに僕は見ただけでおなかいっぱい。

 できれば甘いもの好きの母さんに譲りたい。


 こうなっているのはある意味、母さんのおかげだし。


「さ、迷惑かけたのは間違いないから。たくさん食べていってください」


「うん、ありがと」


 ゆっこんはスプーンを立てると、嬉しそうにパフェを崩し始めた。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 その日の夜。

 身の回りのことを済ませてαPEXに繋ぐと、ゆっこんが入っていた。


 さっきまで一緒にいたし、他の人とのやりとりもあるだろうとそっとしていたら、向こうからパーティの誘いが来た。


「KANATAくんこんばんは~」


「ゆっこんさん、さっきぶり~」


 そう答えると、ゆっこんはしばし返答がなかった。


「どうかした?」


「……う、ううん。なんでもないよ。さっきはありがとう」


「こちらこそだよ。晩御飯は食べれた?」


「うん。帰ってきてすぐに普通に食べたよ? どうかした?」


「やるね。あんな大きいパフェ食べたのに」


「………」


 僕が驚いて言うと、ゆっこんは沈黙していた。


「どうかした?」


「……あのね、ちょっと確認だけど」


 しばらくして、おずおず、といった様子で訊ねてくる。


「うん」


「さっきって二人で行ったよね」


「え? 二人以外には誰もいなかったと思うけど……」


 待って。ホラーな話じゃないよね?

 ちょっと怖くなってきた。


「ううん、なんでもない。それが聞きたかったの」


「もしかして、幽霊とかいたの」


「うふふ。違う」


 ゆっこんはくすくすと笑った。


 学校では聞いたことのない、女性らしい笑い声だった。

 そういえばさっきもこんな笑い方、しなかったよな。


 僕の好きな声だし。


「ごめんね、びっくりさせちゃって。凸砂少し練習してるんだ。よかったらまた一緒にみてくれないかなと思ったの」


「いいよ~。やろうやろう」


「それから、例の仲直り配信、今週の日曜の夜でもいいかな?」


「うん」


「じゃあ19時からでいいかな」


「あ、えーと」


 ゆっこん、忙しいから忘れちゃったかな。

 言ったばかりなんだけど。


「バイトがあるから20時以降なら大丈夫だよ」


「え? 夏向くん高校生なのにバイトしているの?」


「………」


 え? はこっちの方だった。


「ゆっこんさん、忘れちゃった? 話したよね?」


「え!? あ、あはは! ごめん、ど忘れしてた」


 ゆっこんが慌てたように取り繕う。

 どうしたんだろ。


「じゃあ当日は21時で接続して待ってます。今回は事務所関係なしだから大丈夫よ」


「はは、むしろそっちの方が望まれてそうだけどね」


 僕は笑った。

 まあいいか。

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