第64話 母の面影

「ああ! ヴィヴィアン! ヴィヴィアン! ヴィヴィアン! 会いたかった!」


 連呼しながらリンダ・リンドバーグが身体に抱きついてくる。

 まるで子犬でも愛でるかのような恍惚とした表情で頬を摺り寄せてくる。


「くそったれ! あんた騙したな!」

「ああ! 怒った顔も素敵だ! ヴィヴィアン!」

「誰がヴィヴィアンだ! 俺様はレヴィンだ! 離れろ変態!」

「も、もっと! もっとくれたまえ! もっと激しく罵ってくれたまえ!」


 メガネのレンズは彼女の鼻息で真っ白に染まっている。


「こっわ! ホラーかよ!」


 レヴィンは全力でリンダ・リンドバーグを引きはがすと、むしり取るように耳からピアスを外す。

 姿見には再び見慣れた白髪の青年が映し出される。


「ああ! なぜ外す! 私のヴィヴィアンを返せ!」

「黙れ変態! 母さんの形見とか言って俺様を騙しやがって!」



「いや、騙してはいないぞ? そのピアスは彼女が私にくれたものだ。ただそれに『肉体を構成する表面上のマナに働きかけて性別を変換』機能をつけただけだ」



「つけんな! いい加減にしろ!」


 怒り心頭の白髪青年にリンダ・リンドバーグが不敵な笑みを浮かべる。


「だが、貴君も懐かしかったのではないか? 久しぶりのとの対面は――」


 言われて白髪青年は口ごもってしまう。


 確かに自分の女性化した姿に母親の面影を見てしまっていた。

 悔しいかな、在りし日の母を連想させる風体に自分が間違いなく母さんの子供なのだと感じられて少しだけ嬉しいと感じてしまっていた。


「うーん、貴君のヴィヴィアンはだいぶ若いね。貴君の父親と結婚する前のそうだな……さしずめアカデミー時代のヴィヴィアンといったところか」


 マッドサイエンティストが被験者を観察するような顔で頷いている。


「私としては最高だがね! 愛しいヴィヴィアンを奪っていった憎き男に手籠てごめにされる以前の生娘きむすめのヴィヴィアンだと思うとより興奮できる!」


「やめろぉ! 息子の前で生々しい話をすんな!」


 白髪青年は部屋の窓を開け放つと、ピアスを握り締めて振りかぶる。


「こんなもん! 捨ててやる!」


 すると、ローテーブルに腰掛けて足を組んだリンダ・リンドバーグが再び「いいのか?」と不敵に笑う。


「そのピアスさえあればいつだってヴィヴィアンに会えるんだぞ? どうだ? そう考えれば悪くないだろ?」


 白髪青年はリンダ・リンドバーグの言葉を無視する。

 しかし、手を握り締めたままピアスを投げ捨てることができなかった。


「くそったれ……」


 白髪青年は呟くと、握りしめた手をそのままポケットに仕舞う。


「帰る。二度と来ない」


 白髪青年はそう吐き捨てて踵を返して扉に向かう。


「そうだ。帰る前にもうひとつ。貴君に伝えなければならない情報があった」


「知らん知らん! 俺様はもうなにも聞かん!」


 白髪青年は両手で耳をふさぐ。


「貴君の親友の一大時いちだいじだがいいのか?」


 さすがに足を止めざるを得なかった。


「……親友? ダンテのことか?」 

「ああ。そのダンテ・ダンテリオンが今まさに『危機』に瀕している」

「なぜ? どうして!?」白髪青年の顔色がさっと変わる。


 命の危機とは穏やかではない。ダークエルフのメイドも相当強いと感じたが、栗毛の幼馴染ならば後れを取ることはないだろう。

 それほどまでにダンテ・ダンテリオンは個人として強い。

 多勢に無勢でもない限り栗毛の幼馴染が、危機に瀕するなどという事態はあり得ないのだ。


「一体、誰だ? ダンテが殺されそうになるような強い相手とは!?」


 すると、メガネ女史がおもむろに告げる。


だが?」

「……は?」



「花街で朝まで豪遊した挙句、一銭も持ってないことが発覚して、女郎たちに『若くて見栄えのいい青年をこよなく愛する変態豚貴族』に売られそうになっている」



「…………は?」

 呆れて言葉も出ないとはこのことである。

 

「【花街ギルド】は未払いに非常に厳しい。そうした不届き者を見逃せば界隈の沽券に関わる。早く行ってやらねば親友が人としてを失うことになるぞ?」


「くそったれ……あの馬鹿! なにやってんだ!」


 白髪青年は走り出す。


「持っていけ! 私が一筆口添えしといてやった!」


 そうメガネ女史が封書を投げてくる。

 白髪青年は入り口で封書をキャッチする。


「借りが出来たな! リンダ・リンドバーグ!」

「そう思うならまた顔を見せに来ててくれたまえ! レヴィアント! できればヴィヴィアンとして!」


 背後から嬉しそうな声が響いてきたので「黙れ!」と返す。

 しかし、扉を閉める際にレヴィンはしばし足を止める。


「その……もしもまた俺様がこの部屋を訪れる時は……美味い紅茶だけでなく俺様好みの甘い茶菓子も忘れるな!」


 瞬間、メガネ女史が今日一番の嬉しそうな笑みを浮かべる。「了解だ」と。


 


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