【5】月影透夜:ターニング

「まずいな……」


 蝙蝠型。もっともポピュラーに挙げられる〝ヴァンパイア〟としての姿であり、その始祖と同じ繁殖機能を持つ悪魔。全ての元凶。血を吸い、人を悪魔とする者。

 その姿は教会内でも討伐を嫌うものが多い。

 なぜならそれは、あまりにも、人としての姿を残しているからだ。


「こんなケース、あり得ない……!」


 痩せぎすな身体。青白い肌。きしんだような黒髪に、鋭く生えた二本の犬歯。背中に生えた翅は蝙蝠のように大きく広がっており、狼型より知能は高く、時に人として人を欺いて人を襲う狡猾な悪魔。

 その性質は野生的な狼型より何倍も何倍も悍ましい。腹立たしく、生かしてはおけぬ存在だ。


「トーヤ……!」

「今立て直す」


 ぎゅっと布をキツく縛り、止血を完了して透夜は立ち上がる。多少眩む視界もあったがそれ以上に現状は悲惨で、だからこそ気を張り駆けつける。


 改めて集結する、手負いの人狼。二体目の人狼。そして蝙蝠型の三体目を目の前に、ルベルとの戦闘の際民家の壁に突き立てられたトマホークを引き抜きながら透夜は彼女に合流した。


「蝙蝠はちょっと相性が悪い。と言っても狼も二体は武が悪いが、まだ出来る」

「任せても平気ですか?」

「ああ。覚悟を決めよう、俺たちが倒さなきゃいけないんだ」

「――はい」


 見据える。対峙する。ルベルは拳銃の銀弾を装填し直し、透夜は馴染ませるように斧をぐるんぐるんと回す。呼吸を整え、タイミングが全て透夜に託されたような睨み合い。


「蝙蝠の相手は私に任せてください」


 キュポッとルベルは二本目の瓶を開けた。



 ――駆ける。

 人狼が叫び、奴らも走り出す。その速度は人よりも圧倒的なため、本来なら後から行動に移した人狼の方が素早いのだが――レークスの魔術支援を受けている透夜の方が、今はそれ以上に早い。


 交互に連携を取って降りかかる二体の人狼。まず先に狙うのは手負いの方だ。

 俊敏な二体目の攻撃を、針の隙間を縫うように躱しながら透夜は懐から取り出したダガーを二本投げつける。


 手負いといえどそれは簡単に弾かれるが、確かに生まれた隙を見て――透夜は懐に潜り込み、左斜め下からの逆袈裟斬り。深くは切れないが浅くでも切り裂いた裂傷に、人狼は鮮血を撒き散らして呻く。その間にも依然二体目が透夜の背中に迫るのを感じながら、のけぞっている手負いに対してはタックルをしかけて押し倒した。


 立ち上がるまで、約二秒ほどの無力化だ。


「――ッ!」


 短く息を吐きながらも力を入れて左向きに振り返る。眼前まで背負っていた二体目に対し、振り上げていた斧をそのまま滑らせるように横一閃に凪いだ。それは人狼の目先を切りつけ、奴の勢いは滞る。


 相対し、遠心力まま流れる斧を握りしめて留める。くるんと手元を回転させて逆手に持ち直すと、先程のような正確性は削がれてしまうものの往復斬り――つまりは逆手横一閃。


 確かに切り裂く感触を手に、再びくるんと回転させて順手に持ち直したトマホークに、左手を添えながら垂直に構えた。


 振りかざし、今度は二の腕を噛まれるなどというリスクがない状態で振り下ろした一刀は、二体目の右肩をすぱっと切り裂いて丸太のような腕を落とす。

 鼓膜につんざく悲鳴が響く。


「ハッ――」


 しかし息つく暇もない。

 振り返り、起き上がろうとする手負いの方を見る。間髪入れずに馬乗りに乗って人狼の両腕を踏みつけると、抵抗を最小限にする。暴れる頭に、懐から取り出した水銀を流し込んでは蒸発するように爛れていく口内を見る。余計に暴れ狂う様に、首元を抑えるようにトマホークの柄をぐっと押し当てれば、踏みつけた両腕と首を抑えるトマホークに力を入れて息絶えるまで押し付ける。


 足元の人狼は、


「―――……っふ」


 弾けるように灰となって風に流れ、透夜は一度息を吐き切る。

 まだ、油断は出来ない。


 振り返り、片腕を失った人狼を見る。


 敵意に満ちたその赤い目は、悲しみにさえ暮れているように見える。

 それが痛みかあるいは慟哭なのか知らないが、滲む涙を流すその様に理不尽な怒りを覚えてしまうのは、透夜の境遇故だった。


 慈悲などくれてやるわけがない。

 両手で握りしめて構えた斧を、力強く振って首を落とした。


 ◆ ◆ ◆


 時間は少し遡り、一方ルベルは。


「射出!」


 二体のヴァンパイアに向けて駆け出した透夜を見届け、展開した水銀の矢を空を飛ぶ蝙蝠型へ向けて放つ。


 乱れ打ちのようなそれが狙うのは翅。蝙蝠は全長の三分の二が翅となるが、このヴァンパイアも例外なく、人の三倍のサイズを翅として大きく広げている。

 その飛翔速度は凄まじくもあるけれど――同時に、ここまで的として成立する巨大な姿もまあ見ない。


 狙いを済まして一本ずつ。身の回りに矢を滞空させながら、翳した左手を蝙蝠型に合わせながら射出する。


 夜空を駆け抜ける巨大な影は、しかし交戦的ではなく、まるで逃げるように透夜が駆け出した方向とは真逆の方向に飛び出した。

 海がある方向だ。


「逃がさない!」


 一本一本。その矢は確かに翅を貫くが、墜落するほどのものではない。逃げ切られるのは厄介だが、ならば姿を現した意味は?


 船が立ち並ぶ漁港を並走するように海面上を飛ぶ蝙蝠型を狙う。

 波はない。夜の海は静謐に、そのさざなみを立てて船を揺らす。


「――ッ」


 一定の場所まで行くと、とたん蝙蝠型はその飛翔を止め、振り返って滞空を維持した。

 漁港の果て。それ以上、接近もできない位置。ルベルは足を止め、絶妙に届くか届かないか計りにくい距離を維持するヴァンパイアに、軽い舌打ちをしてしまいながら。


「撃ち落とす!」


 ぐっと魔力を練って、十何本もあった矢を一つに合わせ、槍とする。大地を踏み締め、左手を翳し、ぐっと力を込めて。


 息を吐く。息を吸う。目を一度閉じ、すぐに見据える。暗闇の中にあろうと、ヴァンパイアの赤い目はくっきりと残る。だからルベルは、それを狙う。


 クク、とヴァンパイアが、笑ったような声を出した。


「ッ――……っな」


 射出。唱える暇もなく、ぐるっと足元に巻きついた、粘着質な何かがあった。

 見下ろす。それは、その一瞬こそ理解できなかったが、すぐに一つの可能性に思い至り、初の事例であることに驚愕と、嘘であることをつい望む。


「どんなヴァンパイアですか……!」


 形容すれば、蛸だろうか。そのウネウネと動き、吸盤があり、力強くグッとルベルの片足を引いたそれは、すぐにルベルを水の中に引き摺り込んだ。


 しばしの騒がしさと飛沫を残した後、海面は元通りの静けさに戻り、槍として浮かんだ水銀だけが、その場に残り続けていた。

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