【4】Ruber Rex:ライジング

 夜が明けた。エヴァンスは日常を取り戻す。

 船乗りの男たちは、透夜とルベルの存在に大きな安心感を持って海へと出ていった。その日はヴァンパイアが出てくることもなかった。

 酒場は静かにその扉を閉め、太陽の元で人が行き交う光の時間が訪れる。


 日中。

 透夜とルベルは、郊外の森で二人向かい合い計画を練る。

「森のなかで戦うのは危険だ。エヴァンスには港に面した大通りがあって、街灯も申し分ない。民間への危険ももちろんあるが、俺たちが負けた時の方がエヴァンスにとって悪夢だろう」

「そうですね。では決行はその場所で。囮は私がなります」

「囮は……」

 名乗り出るようなルベルに透夜は困ったような表情で思考する。

 ヴァンパイアは危険だ。彼女もその事はきっと透夜よりも知っていて、見てきているんだろうが、だからと言ってその覚悟を認めてやるわけにもいかない。

「なにか策はあるのか?」

「はい。私はこんな目の色をしているから、この界隈では少し嫌がられていますけど……逆に先ほど言った、同族嫌悪する習性がどうやら私にも効いちゃうみたいで」

「待ってくれ。それは策じゃない。俺の方が近距離戦は得意だ、ルベルはサポートに回る――」

「嫌ですよ! 私はレークスの魔術も使えます! だから自衛手段なら、私にだってある」

「そんな危ない真似を、他人にさせられるわけがないだろ。俺がいるのに」

 フラッシュバックする、幼馴染の姿。

 自分だけが隠れてしまい、その物陰の隙間から、阿鼻叫喚のように村民が惑う姿を見てしまっていて、透夜はその過去を嫌っている。

「……囮なら俺が適してる。ルベルは銃なんだろ? それじゃあ接近戦に遅れを取る」

「そんなことは――」

「俺の方が、早いんだ」

 いつの間にか抜かれたトマホークが、初対峙の時のようにルベルの首元へ立てられる。それはレザーカバーを外していないことから殺意の有無は明らかだけれど、ルベルはその素早さに息を呑み、内心で恐れていた。

 ……とは言え。

 彼女もまた、それで負けましたと素直に下がるほど、柔な性格もしていなかった。

「わ、私も、早いでしょう?」

「………」

 構えられた拳銃がブレることなく、強かに。透夜の眉間を狙い撃つように、銃口が当てられる。それも撃鉄は落とされておらず、その場にあるのはお互いの信用。

 透夜はため息を吐く。

 彼女も同じように、少し引きつった笑みをしながらも銃をゆっくりと下ろした。

 トマホークを置き、謝罪を入れながら、どこか諦めたように折衷案を透夜は言った。

「じゃあ、二人で出てみるか」

 そうして決戦の用意をする。


 ――弾丸を磨け。刃を研げ。住宅にはヴァンパイアが逃げ込めないよう結界を敷き、二人の間でレークスの魔術を疑いなきよう共有する。考えられる限りのヴァンパイア、その形式を考察し、エヴァンスにいる悪魔を探れ。近隣の生物を知れ。死体の様子を見よ。

 あと持ち合わせるのは、己の勝利への確信。


「――夜だ」

 エヴァンス、大通り。二人は背中を預けあって立ち、明かりも灯さずに立ち尽くす。かたや外套に隠した剥き身のトマホーク。かたやいつでも発射の用意をした、拳銃を構えて闇を睨む。

 音はしない。今日ばかりは、酒場も静かに人の気配を消している。

「作戦通り、フォロー頼めるか?」

「OK、任せて」

 息を呑む。風が頬を撫で、外套がはためく。

 感覚を研ぎ澄ます。三百六十度、どこから来ようとも構わない。

 走る緊張感に、レークスの魔術が透夜の身体能力の底上げを行い、その反射神経を高めさせていた。

 それゆえに――。



「ッつ!」

 ガキンッ! とその凶悪な牙を剥き出しにしながらとてつもない速度で突進してきた、ルベルを狙う赤い眼の人狼へ立ち塞がるように透夜は躍り出た。

 その口にトマホークの柄を押し当て、猛攻を阻む。

 獰猛な野犬のように涎を撒き散らし、舌を踊らせ、しかし噛み切ることなどできないトマホークの柄に血生臭い口臭を浴びせてくる悪魔に、透夜は鋭く睨み返しながらも弾く。

 観察する。

 その全長は二メートルを優に超えるだろう。盛り上がった筋肉に猫背なさまは、視点の高さこそ透夜と並ぶがその威圧感は桁違いにある。

 極度に発達した両足は細くしなやかでありながら力強く、爪は鈍色。長い長い、その殺戮の果てに得体も知れぬ肉や血を帯びて黒ずんだ四肢の爪やその歯には、もはやルーツが人とは思えない。

 ――これは、悪魔だ。

「注意しろ! こいつは〝まだ弱い〟!」

「ということは!」

「確実に二体目がいる!」

 相対しながら、背中を預けるルベルに叫ぶ。

 このヴァンパイアはまだ弱い。

 それこそ、八つの命も奪えるほどの、奪った上での強さじゃない。

「こいつは俺が殺せる……!」

 唸る。唸る。あるいは、吠える。動物としての性質が、敵として定めた透夜に対し惜しみないほどの敵意を放つ。

 油断はできない。命を奪うほど強くなるヴァンパイア、それが八つの命を奪っているにしてはこの目の前の狼型は弱い。という、逆説の元にこいつは弱いと結論付けているだけで、その強さの水準は透夜に余裕を許さない。

 まるで様子を伺うようにその赤い眼でこちらを睨みながら、臨戦態勢を維持するヴァンパイアを前に、透夜はトマホークを握りしめて隙を探る。

 汗が垂れる。

「……この睨み合いを打破したい」

 尚も背中を合わせながら、しかし集中力を削るような睨み合いに透夜は背中越しに打ち明ける。索敵を続ける彼女は、その手にした拳銃の撃鉄を落としながらしかりと頷いて応えてくれる。

「任せて。――行きます」

 振り向きざま、放たれる一弾。今まで斧しか手にしていなかった透夜はまともに銃声を聞いたことがなく、間近に聴こえた破裂音に驚き頭を逸らしてしまいながらもヴァンパイアに放たれたその銀弾、その行方を見やる。

 瞬間、その発達した肢体を持ってこちらに駆け出すヴァンパイアに、透夜は遅れることなく迎撃する。

 爪のひと振りが外套を切り裂く。ヴァンパイアの顎に石突を突き立てて打ち上げる。強制的に閉じた口に合わせ、上を向いたヴァンパイアの――そのガラ空きの鳩尾を蹴り付ける。左手の爪がその足の太ももを握り、裂傷を残して、お互いに再び距離が取られる。

 透夜は苦悶の表情を浮かべるが、それでもこの隙に甘えることなく追撃に出る――。

「っ、いける!」

 接近しながら、手首を回すようにトマホークを回転させる。地面に崩れ込むヴァンパイアに、立て直す余裕など与えずに、トドメを刺すため斧を振り上げ、かざす。

 その一閃に――、横やりするような一つの影が、透夜の左腕に噛み付いた。

「トーヤ!」

「ぐっ……つ!」

 もう一体の人狼型だ。

 しかし血走ったその眼には、単独行動を好み、同族を嫌悪するような習性ではなく、まるで仲間を救いに来たような――。

「離せっ!」

 噛みつかれた二の腕に、トマホークを振り下ろすことは出来ないどころか突然の襲撃だったためにそのトマホークを取りこぼすことになる。

 深く突き立てられた牙に、一向に離そうとしないヴァンパイアが間近で唸る。恐怖と激しい痛みのなかで銃声が鳴る。二体目の人狼に対し撃ち込まれた銀弾の数々によって、やっと透夜は逃れられる。

「突然現れた……狼型なのに、まるで蝙蝠型みたい……これは」

「ルベル!」

「っ、はい! トーヤは一時離脱を! 私が相手取ります!」

 思考するようなルベルに喝を飛ばし、応じたルベルにヘイトが流れる。

 トーヤは身の回りに水銀を巻き、一時的な安全地を生み出しては止血の用意をする最中、並んだ狼型に取り囲まれるルベル。

 しかも、そのうち一体は――。

「武器を使えるほどの知性は、ないと言われているはずなのに……!」


 透夜のトマホークを握っている。


 狼狽えるな。恐怖を覚えるな。それは判断力を鈍らせ己の首を絞めるのだと、ルベルは祖父に教わっている。

 戸惑いを振り払い、構えるは銃。そしてレークスの魔術構築。

 コートの内側から抜き出した小瓶からコルクをキュポンと親指で弾き、ルベルはすぐにそれを辺りへと振り撒いた。

「――セット!」

 魔術言葉を吐く。

 途端、空中に静止しては、その水滴は引き伸ばされた一つの矢のような姿を取り、約三十。幾重にも展開し、その切先をヴァンパイアへと向けたルベルは、拳銃を持たない左手を翳す。

「射出」

 刹那的に。瞬くような、煌めくような、眼にも止まらぬ速度でヴァンパイアへと向け放たれるシルバーレイン。だがそれは、あまりにも隙が多く、速さはあるが直線的。

 だから鋭敏な人狼型には避けることなど容易くて、それはあまりにも通用せず――。

 散開した二体のヴァンパイアに接近を許したルベルは臆することなく赤い目で見据え、振りかぶられた爪を躱す。投擲された斧の一刃を屈んで避ける。大きく開けた迫る口には脱いだコートを押し付けて、その隙ある胴体に一発放つ。それを見た二体目は、力強く遠吠えをあげる。


「……くるぞ」

 空を見上げた透夜が言った。

 ――雲に隠れていた金月が、ちょうど姿を表した時。

 三体目。


 蝙蝠型のヴァンパイアが、民家の屋根にその翅を広げて、二人のことを見下しているようだった。

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