【2】月影透夜:ライジング

 港町エヴァンスは二十日前から呪われている。

 暗闇の中で人を殺す、ヴァンパイアが住み着いたからだ。


「あんたなら……この町を救えるってことだよな?」

「お前たちが情報を寄越してくれるならな」

「ああ! そりゃあもちろんさなんでも聞いてくれ! もう夜に怯えるのは懲り懲りなんだ」


 ヴァンパイアハンター・月影透夜は酒場のカウンターで酔っ払い共に囲まれていた。


 顔を近づかせてきては酒臭さを漂わせる男たちに嫌悪した表情を見せながら、透夜は一つ一つの情報を精査していく。

 透夜がまずヴァンパイアの情報を聞きつけて港町エヴァンスに訪れたのは本日午後四時、夕方を迎える前の時間。

 それから太陽が落ち、月が煌々と輝きを強める〝夜〟が始まるまでにおいては、エヴァンスの様は普通の街となんら変わらない平和な港町であったと記憶する。人の数もそれなりに行き交っていた。


 しかし、〝夜〟の訪れと共に町から綺麗に人が消えた。警戒心からなのだろう、薄霧に包まれる午前零時の港町には、酒場以外の温もりがなくなっていた。


「おれたちはこのエヴァンスで生計を立てている漁船員だ。日の出前には海に出ねえといけねえ」

「が、ヴァンパイアが住み着いてから俺たちは格好の獲物でしかなくなった」

「やってらんねえ人生さ」


 口々に語る男たち。この酒場には彼らなりの抵抗を持って、夜でありながら明るさを、人々の色を絶やさないように今日までを騒がしくいるようだ。

 確かにヴァンパイアはこの酒場に寄り付いていない。

 ……が。


「酒を呑んでいたら仕事なんて出来ないだろ」

「恐怖に負けてよくわかんねえもんに殺されちまうよりは酒呑んでよ、海に溺れておっ死んだ方がマシだと思ってんだ」

「そうか」

「ハンッ、同情はするなよ? どうせそうすることしか出来ねえんだ、せめておれたちを惨めな思いにはさせないでくれ」


 ……それは、ある種の自己暗示。あるいはプライドに当たるものなのだろうか。

 自分の恐怖心を覆すためにこの呪われた夜をうるさく生きている。

 酒を呑んで、闇に呑み込まれない。

 人の恐怖を好むヴァンパイアに、狙われないようにするためには正しい選択をしているようだった。


「どうやったらあの野郎共を殺せる?」

「水銀で〝伐る〟。ちなみにニンニクは意味ないぞ。お前らは食っているみたいだが、ただ臭いだけだ」


 ニンニクは数十年前のお守りだ。ヴァンパイアは強い匂いに嫌悪感を示すだけなので、今の時代には香水があれば事足りる。

 ニンニクは臭くていけない。


「なるほど……なぁ、おれたちはどうすればいい?」

「お前たちは別にそのままでいい。全部俺が終わらせられる」


 ヴァンパイアは一般人にどうこう出来るものではない。

 それに。


「――ああそうだ、ヴァンパイアに殺された命の数は?」

「……犬が三匹、人が五人だ」


 ヴァンパイアは、殺せば殺すほど強くなる。

 不用意に人を連れて挑むのは、むしろ悪手でしかないんだが――。


「……まずいな」


 どうやら、すでに手遅れだったらしい。


 ◆ ◆ ◆


 キュポッ、とコルクの抜いた瓶の中にある、水銀を港町エヴァンスの住宅地に近い森で月影透夜は撒いていた。

 ある種の結界に当たるものだ。

 酒場を出て深夜。薄霧に包まれたままの港町。

 鬱蒼と深く、冷気の漂うようなこの森に、月の明かりは差し込んでこない。


「………」


 耳を澄ませば聞こえてくるのはなんだろう。

 風に揺れ、騒がしい草木のなかで、一つ異質な音が聞こえた。


「銃声?」


 カラスが飛ぶ。唐突な破裂音は静かな夜のなかで大きな存在感を放つ。つい、顔をしかめてしまいながら、透夜はすぐにその音の出所を求めて鞄を背負い走り出した。


「……?」


 駆けつけ、ふと月光の反射できらりと光ったものに気づき、転がっていたそれを拾う。

 ――銀で作られた銃弾だ。漂う硝煙の匂いは先程の銃声と合致したものであると推測できる。


 近いところでガサガサ!と大きな音がした。


 鞄を下ろし、その中から全長八十センチにもなるような木割斧を抜いて構える。そこそこの重量を誇るそれは、水銀でコーティングされた刃を持った対ヴァンパイアのオートクチュール。刃を保護するレザーカバーを外すと、美しいほどに映えた銀色が透夜の獲物として輝く。

 透夜はこれをトマホークと呼ぶ。


「―――」


 息を潜める。

 カチン、と鳴らした愛用のライターで森のなかに微かな明るさを与え、見据える先は草木に隠れた奥のほう。


 ヴァンパイア。

 基本的にその特徴は、大きく人と変わらない姿であることが挙げられる。

 霊鬼のような存在で、生きているようには思えない〝人〟の姿をした魔物。

 血を吸うヴァンパイアもいれば心臓を喰うヴァンパイアもいる。その性質は、実体のない魂を吸い取っている事に違いはない。

 心臓を喰えば体は骸。逆に吸血された体は魂を喪い、ヴァンパイアへと成り果てる。

 太陽の元で生きてはいけず、強い匂いを毛嫌いし、死なぬ身体を持ちながら水銀を弱点とする悪魔。

 それと、ヴァンパイアにはもう一つの共通点があった。


 それは目の色が赤いことだ。


「っ」


 がさり。と踏み込んだ先に、女がいる。

 暗い森の中で、黒いコートを羽織った女だ。

 彼女はどこか悔しがるように、唇を噛んで遠くを見据えていた。が、姿を表した透夜に気づくとこちらを――その赤い眼で射抜いた。


「ヴァンパイアか」

「―――――ッ、待ちなさい!」


 振われたトマホークが間一髪のところで止まる。透夜の早計な判断を、彼女の言葉が待ったを掛ける。


「私は人間です!」


 どこか動揺するように、緊張するみたいに。

 無理もない。首元に差し向けられた白銀のトマホークは未だブレずにそこにある。

 透夜は訝しげに様子を見ている。


「貴方は同業者ですね。私はルベル・レークス。レークスの名をご存知でしょう?」


 レークスと言えば――王家と呼ばれる、悪魔と人間の争いのなかで絶対的な力を持った最強のハンターの末裔か。

 魔術と呼ばれるものを唯一使える系譜だとされているが、後継が生まれずに潰えたとされるこの界隈の伝説だが。

 未だ訝しげに思いながらも、トマホークを下ろす。


 赤い目の女性。ウェーブのかかる艶髪に、凛とした力強さを持つ眼をした同業者らしきルベル・レークスは、ほっとしたように息を短く吐くと透夜を見据えた。


「お名前は?」

「月影透夜。ヴァンパイアが住み着いたという噂を訪ねてここにきた」

「なるほど。私も同じです。……良ければ情報共有をしましょう。それにここで時間を過ごすのはあまりにも危ない」

「それは、そうだな」


 未だ微かに残る硝煙の香り。透夜とルベルは一度頷き合うと、酒場へと戻ることにした。


 時刻はまだ夜中の一時。

 朝を迎えるにはまだ早い。

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