7 Cloudy Weather 1

 八月に入って、京都では珍しく長雨が続いていた。

 映像作家殺害依頼は、その後723ナツミが依頼人と繰り返しSNS上でやりとりをして10008ヨロズヤは依頼に応じることが正式に決定したが、イワリクをいつどこで転落死させるかはAIのハチマンから提案された三つの選択肢がどれも実現困難であることがわかった。

 なぜなら、長雨の影響か、標的が外出しなくなったのだ。

 これまでは撮影のために不定期に外出していた標的だが、フリーで引き受けていた動画撮影は雨の影響か依頼が途絶え、さらに自分の動画配信用の動画撮影にも出かけなくなった。

 外出さえしてくれれば、雨に濡れた階段で足を滑らせたように装って突き落とすことは造作ないが、対象は四ツ坂レジデンスの自分の部屋から一歩も出てこない。

 食事はすべてデリバリーやコンビニの宅配だ。


「これはもう、宅配業者を装って部屋に侵入するしかないな」


 岩田の行動を監視している723がため息をつきながらユウフウに提案した。

 七月末までは岩田は毎日のように外出していたが、八月に入った途端なにかに警戒するように引き籠もるようになった。まるで、10008に命を狙われていることに気づいたように。


「なんで外に出ないのかなぁ」


 723が睨んでいる四ツ坂レジデンスの防犯カメラの映像を覗き込みながら、風雅はあくびを噛み殺す。

 防犯カメラの映像は四ツ坂レジデンスの管理人室で見られる通常のもので、各フロアの廊下の様子が見られるので723は管理人室のコンピューターにアクセスして映像を確認している。映像は管理人室からマンションが契約している警備会社にも配信されているので、映像の配信先に723のパソコンを追加することはやすかった。

 標的の部屋の前に新たな防犯カメラを設置すると目立ってしまうが、すでにある物を利用するなら警戒される心配はない。


「まさか、誰かがこいつに『お前、狙われてるぞ』って忠告したわけじゃないよね」

「そういう気配はない。この男の通信データはすべて解析してるけど、そんな親切な知り合いはこの男にはいないみたいだ。ただ、依頼人がこれまでSNSで散々毒を吐いていたのに一転して沈黙したってのが影響している可能性はあるかな」


 保温タンブラーに入れた熱いコーヒーを飲みながら723が告げる。

 真夏でも冷房が効いた室内ではホットコーヒーを飲む723は、一日に二リットル以上はコーヒーを飲んでいる。


「なるほど」

「この男は、毎日のように依頼人のSNSをチェックしているんだ。たまに依頼人が『××に死の鉄槌を!』とか投稿していると、そこに丁寧なメッセージを書き込むという嫌がらせをして相手の精神を逆なでしてたんだ」

「まめな奴だね」


 風雅はSNSをしない。

 見知らぬ他人とオンライン上でコミュニケーションを取る必要性を感じないし、承認欲求が薄いため、10008グループ内のメッセージアプリは利用するが、不特定多数の相手に対してなんらかのメッセージを投稿するということはない。

 暇さえあれば本を読んでいるが、同じ読書家と繋がって感想のやりとりをしたいとか読書会をしたいと考えたこともない。

 シェアハウスで暮らしていると、ハウスメイトから「この本、お薦め!」と言って新刊本を渡されることはあるが、感想を聞かれることはほとんどない。なにしろ風雅は乱読で、読むジャンルがその時々で変わるため、読書家のハウスメイトが「いまなに読んでる? え? 源氏物語? 一昨日くらいまではサルトル読んでたよね?」と戸惑うくらいになんでも読む。

 活字ならば基本的になんでも読むが、SNSのメッセージは読まない。

 他人の日常的なメッセージに興味が湧かないからだ。


「この手の人間は、毒を吐いている間は毒を吐いたことで鬱憤晴らしになってるから問題ないが、毒を吐かなくなると身体に毒を溜め込むからヤバいんだ。それを、標的は気づいているのかもしれない」

「自分が狙われてるってことに?」

「そう。依頼人って、実は標的と同じマンションに住んでるんだ。だから、自分で襲おうと思えばいつでもやれる。でも、そんな度胸がないからやらないだけだ。標的もそれはわかっているから、万引き現場の動画を撮って恐喝しようとした。ところが急に依頼人が毒を吐かなくなったから、警戒している。自分を襲わなかったとしても、警察に恐喝されたことを相談するかもしれないって考えているのかもしれないな。ただその場合、恐喝したという証拠はない」

「証拠が、ない?」

「口頭でやりとりをしているだけなんだ。メッセージや録音データはない。標的の部屋には盗撮動画がたくさんあるから、その動画をネタにられていたって説明することはできても、動画を消去されたら証拠はない。依頼人と標的は同じマンションに住んでいるから、例えば廊下ですれ違った際に挨拶ていどの会話を交わす間に脅されたとしても、防犯カメラに写っているのは二言三言会話するだけのふたりの姿だ。ウェアラブルデバイスは常にそれぞれの会話を録ってるわけじゃないから、証拠にならない。たださぁ、この間ボクがあいつのパソコンのエグい動画をまとめて消去しちゃったからさぁ」

「……そういえば、そんなことしてたね」

「盗撮動画と仕事関係の動画と配信用の動画はちゃんと残して置いたんだけど、エグい動画だけ消えてて復旧もできない状態ってのはもしかして不自然だったかなぁ」

「その辺りは、オレはパソコンに詳しくないからよくわからないけれど、328ミツバはゲームのセーブデータが消えたらブチ切れてしばらく喚いた後は最初からやり直してるよ?」

「ゲームと違って、映像って録り直しが効かないものもあるからさ」


 723の説明に、風雅は「ふうん」と曖昧な返事をした。


「怪しんでいるのか出不精なのかはわからないけれど、宅配業者のふりして玄関を開けて貰うしかないだろうね」

「ただ、奴の部屋の前には置き配ボックスがある」


 腕組みをして723が唸る。


「つまり?」

「置き配ボックスに収まらないような物を配達したときしか、ドアが開かないってことだ」

「そのボックスって、どれくらいの大きさ?」

「そこのバナナの箱を2つ合わせたくらいだな」


 723が指で示した先には、877バナナが小笠原から取り寄せたバナナが入っていた箱が畳まれずに残っている。事務所の掃除や片付けは当番制だが、328がサボったために放置された状態だ。


「デリバリーやコンビニの食品も、このボックスに入れられる」

「もっと大きい物、ってどんな物?」

「布団、とか」


 そんな頻繁に買わないものを近日中に購入するはずがない。


「そうだ。奴の部屋のパソコンを壊そうか」

「え?」

「奴の部屋にあるパソコンは、購入履歴とデバイス情報によると高スペックのゲーミングパソコンなんだ。ディスプレイも高解像度の画面も大きな物を使っているみたいだし、あ、ディスプレイだけ壊してもいいか。八幡にちょっといじって貰って表示をおかしくして、買い換えるしかないようにさせるか」


 最後の手段とばかりに、723が計画を立て始める。


「こういう奴って328と同じで、画面解像度に結構こだわりを持つんだよ」

「うん……328のパソコンとディスプレイにつぎ込んだ金額は半端ないから、嫌というほど知ってる」


 いくら宅配ボックスに入りきらない物を購入させるためとはいえ、723もかなり手段を選ばない派だ。


「いやー、もう毎日奴の行動を監視するの飽きた! 胸くそ悪い! 428ヨツバ、さっさとあいつをってしまってくれ!」


 疲れた様子で723が叫んだが、風雅もまったく同感だった。

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